T自動車メーカーのコマーシャルが好きです。始まると一緒に歌ってしまいます。リズミカルな歌とともに親子のやり取りが楽しいです。車で幼稚園に送る車内風景。子どもは後ろの席で、ママは運転中。「ママいくよ。」のことばで歌い始めます。韻を踏んだ楽しい歌は子どもも大人も楽しい。車内での子供は退屈でなかなか落ち着かないものです。まして窮屈なシートベルトやチャイルドシートは安全のためとは言え子供にはがまんできません。朝の忙しい時に急いで幼稚園に送るママは子どもと話をする暇や余裕がないはずです。運転中なので子どもの顔も見れずに歌を一緒に歌っています。しかし子どもの心をしっかりつかんでいるのです。子どもは毎朝一緒に歌うことで親子で心の交流をして絆を深めています。ママから離れて園に行くことにも不安がなくなっているはずです。親子で過ごす時間の長さが問題ではありません。いかに子どもの心に沿って親子で楽しいと思うかです。親子で楽しいと思わないと子どもは本当に心から楽しいと思いません。小さい時期は人と共感し合うということが豊かな感性を磨くことになります。こうして時間がなくても親子で一緒に楽しめる子どもは間違いなく落ち着いて賢く育ちます。
学童保育でもこまが回せない子供にこまを教えていると、今まで指導員に口答えばかりしていた悪戯坊主たちが10人位集まってきて自分はこれができると言って見せびらかしたのです。手の上にのせるもの、ひもの上にのせれるもの。私ができないようなすごい技をもった者たちが見せにきました。教えてもらおうときたのではなく、相手になってほしくてきたのです。3年生ぐらいの子供たちですが、みんな寂しく、人恋しいのです。家庭での子どもたちの生活ぶりを想像してしまいます。共働き家庭が多く、子どもへの関わりが少ないところが多いのではと思ってしまいます。私も中学生になってから、母親が働きに行き、鍵をあけて家に入ることに寂しさを感じていました。小学生までは、帰って母親と学校でのことを話したり、夕飯準備の手伝いをしながら話をしました。中学生になってからはクラブをしていたので、夕方までは学校で過ごすので学童保育の子供たちの持つ寂しさはなくまぎれていたと思います。帰るとテーブルの上に手紙がいつも置いてありました。あるのとないとは大違いです。一方的ですが母親とのつながりを感じました。母なりに忙しくても子どものことをいつも気にしていたことを感じました。子どもの顔を見ていなくても親子で心の絆は作れるのです。
仕事の関係で幼稚園や学童保育を見に行くことがよくあります。先生や指導者の邪魔にならないように黙って静かにしていますが、どうしても子どもの相手になってしまうことがよくあります。職業病です。遊びの時間、縄跳びが下手な子どもがいるとつい口を出してしまいます。要領がわかると、何回跳べるか数えてしまっています。適当にやる気が出るように初めのうちは回数に関係なくほめます。おだてるのです。子どもはすぐ調子に乗ってがんばり始めます。こちらが思う以上に短時間で上手になります。子どもは今までできなかったものが、できるようになり自信を持ちます。いやいやしていた縄跳びは楽しい遊びになり、自信に満ち溢れた笑顔になります。こうなると、もう上手に跳べる子どもたちも「数えて」と、集まってきます。一人で数えられないのに5、6人の子供の縄跳びを数えることになります。とてもいい加減になってしまいます。でも子どもたちは一生懸命跳びます。子どもは自己中心的です。自分だけにかかわってほしいと思っています。保育園や幼稚園では先生一人ですべての子どもに十分かかわってやることは難しいはずです。しかしちょっとしたことで子どもとの心の交流ができます。子どもたちは、自分の跳ぶ回数を数えてくれているものと思います。小学生の中学年以上になると、「ちゃんとかぞえてないやん」と通用しなくなります。他の方法を考えなくてはならなくなります。カードを持ち友達同士で数えさせて記録を書かせて、発表してほめてやることになるのです。年齢にあわせたやり方があります。