8月27日〜31日 The Maltings Theatre in Berwick upon Tweed

27日(月)晴れ

緊張感の無い稽古 ひょっとこ踊り 傘の踊り

 朝から舞台上で前半から場当たり稽古。しかし緊張感は薄い。英国人の子供は常に誉められて育っているから、駄目をだすのが難しい。必ず誉めてから、でもここはこうした方がいい、なんて言わなければならない、全く駄目なのに…。私が下手な英語で必死に言っても、頷くばかり。判ったか?と聞きなおすと「Perfect!」と返ってくる。最近は日本でも同じような状況だが…。そう言えばウチにも常に自分は完璧と言う甘ったれがいたな…。
 私は殆ど寝ずに仕事に追われ、朦朧としてきた。

28日(火)晴れ
 稽古、と言っても私の出番は大体一回で流されてしまうし、出の無い場面は時々口を挟む程度で、殆ど観ていることが多い。昼休みはフラットに戻って仕事に追われる、朝も夜も…。そのために、余計強く感じてしまうのだろう、緊張感の欠如を。良く言えば”のんびり”しているということなのかもしれないし、あるいは私が”せっかち”なのか…。
 ただ、子供たちの躾やら、教育の仕方の大きな違いには驚く。基本的価値観の違い。これは、私の子供たちが現地校へ修学した時にも思ったのだが、基本的に小学生に対しては、自主性だの自立的方法だの、全く無い、と感じる。全て大人が細かく決めて、それに従わせる。これにはビックリした。まるで犬の調教のよう、いやそっくりなのだ。お菓子をご褒美に良く使う。”飴と鞭”の飴だ。「あれをしなさい!」「これをしろ!」と殆ど一方的に言って、それに従えば、後は飴。そして、ひたすら誉める。勿論”鞭”を使うことは無いし、怒ることは殆どしない。言葉で説得、従わせる。だから直接に今やっていることと関係なければ、多少悪いことをしても、ほっとかれる。”躾”の考え方、教育に対する目的意識が異なっているとしか思えない。 

29日(水)曇り
 一場から順番に、場当たり。照明や音響のきっかけあわせにおわれる。私は大きな頭飾りを被らなければならないので、それを着けて動きの確認。簡単な殺陣のシーンを作ったが、やはりこの飾りは邪魔になる。ラストシーンは、スサノオが自分の世界に戻ることになっているのだが、舞台センターに立って、ストップしろと…。本当にスターのような扱い、かなり恥ずかしい。
 途中、ラジオ局のインタビューと呼ばれたが、何のことは無い、この劇場はラジオ・ボーダーと提携していて、劇場内に小さなスタジオがある。そこで収録。どうも、何度も繰り返し流され、この劇の宣伝に使われるらしい。私の英語で役にたつのだろうか?
 夕方には「無限響」が来る予定だったが、来ない。打ち合わせも何も、全ては本番当日だ。
 劇団のFax が壊れた。彼らは冗談で「余りに遠いところ(日本)から沢山くるからだ」なんて言ってる。連日、私にFax が送られてきているから…。パソコンもダウンロード、アップロードに凄い時間がかかる。どころか、寸暇を惜しんで書いている台本が東京へ送れない。困った!

30日(木)曇り、後雨 「AMATERATSU」in The Maltings Theatre

shijiwodasu Anne butaikantokuto kodomoni
太鼓に指示を出すAnne 舞台監督サブリナと 子供達を指導するミユキ

 朝、劇場に行くと思った通り、無限響、もめている。そりゃ、そうだこの舞台にあれだけの太鼓をどう出すのだ。Anne もNile も顔が暗い。予定では、午前中に”全員そろっての始めて”の稽古。午後、通し。夜、7:30 本番だが…。太鼓を巡って時間がかかりそうなので、パソコンをとりにフラットへ1度戻る。案の定、午前中は一部の途中までしかできない。昼休憩をとって、出番に備えていると、テレビ局が来た、と言うことで、急遽私の出では無い踊りのところで、舞台に登場させられる。準備・収録に2時間くらいはかかっただろうか、Anne の顔がますます曇る。温和な彼女がヒステリックな声を出すようになった。
 何度も書いているが、基本的に私は英語が出来ない。何とか会話はしている、自分の意思も伝えてはいる、しかし…。今日も私の場面で「フローム、エキスト」と言われたのだが、「エキスト」の意味を理解しなかったため、登場から始めて大爆笑された。スサノオの登・退場で前回は太鼓が入ったが、今回は退場にしか使わないようだ。
 結局、1度の通し稽古もできないまま、稽古終了。まさにぶっつけ本番だ。
 日本から何度か国際電話。電話料金が大変だ。何度やっても台本のアップロードができない。劇団のコンピューターを借りることに。しかし、電話回線が細いらしく、なかなか繋がらない。電話料金も高いし…、つまり電話もファックスも贅沢品と言う考え方だ、考えてみれば当然だ。日本では電話もファックスも当たり前のように躊躇なく使っているが、遠い外国と簡単に交信ができることは、凄く贅沢なことなのだ。こう言うことこそ、合理的な英国らしい。

keisatu cyoukan ryouji chuji
警察庁長官らしい? 領事は唯一の日本人客 知事さんたちと…。

 観客の反応は、もの凄く、良かったようだ。僕はひとえに無限響の太鼓が良かったから、と思っているが…。とにかく握手責め。終演後、帰ろうとしない客でいっぱい、知事さんたちまで…。制作のフランシスは大喜び。ちょっと複雑な心境だ。

31日(金)曇り

watashi no heya daidokoro kaki tetsu no heya tomoko no heya
私が使った部屋 台所 カキ・テツの部屋 トモコの部屋

 皆は朝から掃除や洗濯におわれる。私はパソコンにかかりきり。出発前に、綺麗になった部屋の写真を撮る。リビング奥の小さな簡易ベッドが私の寝床。思えば、私達が此方のフラットに移る前、Anne が夜帰ってこなかった日があった、きっと私達のためにこのベッドなどの用意をしていてくれたのだろう。感謝、感謝!
 昼から稽古の予定だが、なかなか始まらない。楽屋に持ち込んだパソコンでアップロードを試していると、Anne が子供達の余りの緊張感の無さに怒って、出ていってしまった、と連絡。しかし結果として、子供達は自分で稽古をしだしたようだ。
 私の稽古は、カーテン・コールの部分だけ変更。パソコンをしまい、荷物の整理をして、終演後できるだけ速やかに出発できるよう、準備。Anne にはお礼にトモコが手作りした”巾着袋”を渡すと大感激してくれる。「無限響」には、作務依やらいらなくなった調味料などを…。そしたらお返しに、ウィスキーやら何やら…。また借りができてしまった。

rennsyuu rebakka final keiko mugenkyo mitudan mugenkyo to asobu
レベッカとマーク 最後の稽古 無限響、密談? 太鼓アドリブで遊ぶ

 昨日観て、また来たというお客やら、評判は非常にいいらしい。主な変更点は、最初の台本では「スサノオがアマテラスに嫉妬して天国を奪おうとする。」と言うのが主スジだったのを、スサノオが別れを言いに来たのをアマテラスが訝ったという、源本に近づけた。そのためスサノオのキャラクターを、何時までたっても亡くなった母を恋い慕っている、という源本から膨らまし、子供じみた暴虐無人さ、滑稽で甘ったれの暴れ者にした。つまりは、ほとんど私の演技が変っただけなのだが…。Anne はシリアスなのは余り好きでは無いらしく、私達が馬鹿馬鹿しいことをすると喜ぶ。スサノオの登場に太鼓が無くなった原因でもあるのだが、私は植木ひとしや春歌を怒鳴りながら登場、シリアスなセリフの後に、ジャンケンポンのあっち向いてホイ!と言ったような按配だ。真面目な日本人が見たら、怒るだろうな…?
 開演時間が15分も遅れ、温和なAnne は鬼のような形相になった。そうでなくとも緊張感の薄い子供達が、集中力を維持できないからだ。原因は一人の車椅子の女性。劇場玄関前に止めたワゴンから降りてこない、付き添いは老人の女性で、電動車椅子の組みたてに手間取っているらしい。こんな田舎の小さな劇場でも、車椅子で入れるようになっているし、さすがは福祉国家先進国と感心することも多いのだが、同時にこう言った問題も多々あるようだ。
 カーテン・コール、無限響のニ―ルが突然、「今日が最後のU-Stage にSpecial thanks!」 と振ってくれる。涙が出そうになった。本当に良い経験をした。
 終演後スタジオで軽い打ち上げ(子供が主なので酒は無いが…)ロスが、涙を浮かべながら、また来てくれと言ってくれる。子供達もトモコやテツ、カキにベタベタだ。この子達と本当にまた会えるのだろうか?
 10:00 皆に見送られて、Berwick を出発。感動に浸る暇さえ無い。Edinburgh を通り、西の外れCairnryan (カーンライアン?今だ発音は判らない。)に、向う。
AM 2:00 Cairnryan のB&B Alba Nnach 到着。鍵を開けておいてくれる約束だったが…。

sayonara

次ぎのページ(9月1日〜4日)