9月1日〜4日 Hillsburgh Oyster Festival in Northern Ireland  

1日(土)雨 後曇り

jukusui in car Alba Nnack car ferry
私は車で熟睡 B&B Alba Nnack Car Ferry

 この旅の日程を英国人に話すと、「狂っている、誰が計画したのか?」と度々言われた。いや、計画者の私ですらそう思う。そのとんでも無いスケジュールの最後を飾るに相応しい、スコットランドの東の外れから、北アイルランドへの乗り打ち(一日で移動直ちに公演) Northern Ireland へ来ることは、僕らが英国を体感していくためにどうしても必要なことだった。勿論、英国4ヶ国踏破と言う意味もある、しかしそれ以上に甘ったれた日本人として、国内に未だ紛争地域を抱える英国、その現場に微かにでも触れることは必然に思われたのだ。
 Am 2:00 B&B に着いた。約束では鍵を開けておいてくれることに、が開いていない。仕方なく呼び鈴を。女性が眠そうに出て来てくれる。僕らのスケジュールに同情してくれることしきり…、朝飯のサンドウィッチとオレンジ・ジュースを用意してくれる。
 6:30 起床。ジュースを飲み。フェリー乗り場に向う。B&B の直ぐ目の前だ。荒涼としたグレーの海はまさに英国を象徴するようだ。
 7:30 出航。約1時間の船旅。寸暇を惜しんで寝る。
 9:30 Balfast 着。雨だ! 街をちょっと観て廻るも、まだ早すぎて店もやっていない。

namariiro no umi market ame no belfast
鉛色の海と空 良い市場を見つけたが… 霧雨のベルファースト

 10:15 私達を呼んでいただいた久美子さんとマクドナルドで待ち合わせ。
この旅、始めてのマック・コーヒーを飲んでいると、久美子さん、浴衣にタスキ掛け、3人のお子さんを連れ現われる。3才から10才の男の子を3人も抱え、北アイルランドの日本協会をまとめ、さらにこの2001Japanイベントの企画・実行をしている。また頑張っている日本人女性に出会えた。しかし、生憎の雨。久美子さんも殆ど諦めに近い表情だ。何とか雨が止むように祈らずにはおれない。だが、この空模様では…。
 12:00 一旦B&B に荷物を置き、会場に向うも雨は止みそうに無い。
 ところが、先ず最初の公演場所であるCastle (どうもアイルランド問題など首脳会談が行われる迎賓館のような所らしい、中に入るのにえらく時間がかかった。)に着いたとたん雨が止んだ。慌ててOystaer Festival のオーガナイザーと打ち合わせ、しかし彼女は次々訪れる、首相やお偉いさんたちの対応でロクに話しもできない。久美子さんも、他の現場の準備に行ってしまった。久美子さんの御主人がかなり日本語が上手く、助けていただいたが、複数の場所でやるにも関わらず、着替え場所、駐車場も離れていて、僕らには不便この上無い。さらにスケジュールが場当たり的だ。こりゃー困った。とにかく最初はこの迎賓館の玄関屋根の下で、5分間だけと言うことで太鼓を一曲やることにする。

Casle genkan mae oeraisanto
迎賓館のような… 久美子さんと お偉いさんも沢山

 演奏途中にちょっと雨が降ったが、取り合えず盛況だ。直ぐに太鼓を隣りのテントに運び入れ、さらにオーガナイザーの家へ着替えに。車の駐車を巡って揉める「玄関先に車を停めるな!」と、前の家のオーナーが言っているらしいのだが、色々理由を説明しようとして尚且つ怒っているから話しが判らない。まして、僕らは指示されて駐車しているんだから、直接言われても…。また車を移動、今度はテント前に、しかしまた違うことを言ってくる人もいて、一体誰の指示に従えば良いのか混乱する。時間はどんどん過ぎてしまうし…。この仕切りの悪さも英国らしいし、この旅最後に相応しいと思おう。こっちだって随分図太くなっている。

Oyster Fes B&B Ballykeel
ジョージ広田さんと 小雨のFestival B&B Ballykeel

 2:30 丁度雨も止み。チンドン開始。しかし、当然ながら人通りが少ない。坂を下りると日本人も集っている。ああ、ここで獅子舞をやって欲しかったのかと、後から判るが、既に用意は坂上のテントの中だ。テントまでチンドンで戻って「馬鹿囃し」と「獅子舞」小さなテントの中は人で溢れるが…。これで良かったのか?終了後、直ぐに片付け。衣装、小道具類だけを車に運び、またオーガナイザーの家まで行って着替え。次ぎは神輿だ。
 3:45 何となく神輿始まってしまう。これまでの神輿よりは小さい、また担ぎ棒も前後にしか無いので、軽そうだ。ただ横棒が無いので、バランスが悪そうだ。全員日本人の男性、これも始めてだ。とにかくゴールを急がないで、練ることが肝心と説明するが…、担ぐと言うよりは、揺すっている感じだが、仕方無いだろう。お歳の方もいらっしゃるので、あまりしゃしゃり出るのも憚られる。カキもテツも随分馴れて来て、上手く誘導している。途中から、空手だか合気道だか、武道をやってるらしき英国人も参加してくる。担ぎ手を変えながら、取り合えず盛りあがり方は、ケンブリッジと競う。やはり日本人が多いせいかも知れない。最後は手締めで…。
 4:30 慌てて着替え、遅い昼飯。大きな生牡蠣を食い、ギネスを飲む。美味い!ギネスはやはりアイルランドで飲むのが最高だ。最近は東京でも結構美味しいギネスが飲める、少なくともロンドンよりは、東京のが美味い…、と僕は思う。これは時間をかけて丁寧にいれるからだと思うのだが。しかしアイルランド、本当に味が違うのは何故だろう。

ジョージさんのグループと 無限響プレゼントの帽子 熱気を帯びる会場

 久美子さんが気を使ってくださって最後のパーティーに招待してくださった。テントの中で、アメリカ人歌手のステージ。とにかくみんな勝手に騒ぐ。綺麗な言葉で言うと「思い思いに…」となるのだろうが、やはり「勝手」が相応しい。徐々に場内は盛りあがって行く。僕らも3ヶ月以上にわたった公演の最後の夜を、楽しませていただいた。

2日(日)晴れ、後雨

B&B genkan Hillsburgh charch Hillsburgh machi
B&B の玄関先で 街の中心、教会 祭りの後の静けさ

 B&B の窓から晴れ渡った緑の丘が見える。何となく「ああ、アイルランドなんだな…。」と思う。スコットランドともイングランドとも、ちょっと違った景色、一言で言えば「さらにただっ広い」のだ。つい、昨日これくらい晴れていてくれたら…、と思ってしまう。英国最後、しかもたった一日だけのアイルランド公演が中止を危ぶまれたのだ、それが出来た、それだけでも十分なはずなのに…。それにしても、この3ヶ月以上、野外でやることの多い我々の公演が1度も中止にならなかったのは、雨の多い英国で奇蹟と言えるのでは無いだろうか…?
 アイルランドで一番大きな新聞に我々の写真が大きく出ているらしい、それを貰いに久美子さんと街で待ち合わせ。日曜日ということもあり、街は静けさをとりもどしている。昨日は雨と慌ただしさの中で、街を眺めることすら出来なかったけど、歴史を誇る、落ちついた佇まいの街だ。
 もう間もなくゴミ溜めのような東京へ戻る私。新建材とガラスで覆われた街、東京、そこで産まれ育った私…。浮遊する私を、東京へ、日本へ、”故郷”へ繋ぐものは一体なんなのだろう?
 11:00 久美子さんご一家でベルファーストまで見送ってくださった。クリントンも演説したと言うシティーホールの前で記念撮影。短いお付き合いではあったが、またお会い出来る日がくるのだろうか?旅は常に出会いと判れ。「さよならだけが人生よ…。」

kumiko san ikka Ferry pub Ferry shigoto
久美子さんご一家と フェリーのPub ギネスを飲みながら

 12:45 定刻でフェリー出航。さっそく最後のギネスを。しかし感慨に浸っている余裕も無い、仕事に追われる。
 一路、London を目指す。車中からマンチェスターの南、Matlock のユースを予約。おおよそ6時間の行程だ。

3日(月)晴れ

JEMCA1 JEM Anet KARE
JEMCA 浜さん、ニックと JAM アネット川崎さんと カレーレストランが並ぶ

 12:30 London 着。お世話になった大使館や、助成団体などを廻る。長距離を移動しての面会なので、アポも取れず丁度お昼時になってしまったが、運良く皆さんとお会いすることが出来た。
 16:30 車を提供してくださったJEMCA の浜さんにご挨拶。Brodgate 担当のニックさんもいらっしゃった。電話のことなど何くれとお世話になった川崎さんにも会いに行く。
 SPITALFELDS の安くて美味しいカレー屋さんに、行く。ここのカレーは絶品!

4日(火)晴れ
 早朝、大雨が降った。太鼓など大物荷物の整理をしなければならないので、路上でやるしか無いので心配したが、7時にはカラッと晴れた。ユースの駐車場で荷物整理。
 銀行へ行くついでにセンターに出る。散々お世話になったイアンさんのギルドホール大学へよってみる。彼には散々お世話になりながら、しっかりお礼さえ言えなかったことが、とても心残りだったのだ。運良く会うことが出来、大学前のCafe でサンドウィッチ。直ぐにJEMCA に行く。

nimotu seiri iane to JEMCA
ユースの駐車場で イアンと Cafe でランチ JEMCA 正面

 JEMCA で運転手さんを乗せ、Heathrow へ。3ヶ月半お世話になったHiace とお別れ。メーターは11287マイル、1万5千Km を越えている…。1度の故障も事故も無く、感慨はヒトシオだ。
 空港にはわざわざExeter からEric も来てくれた。私が今仕事のために探している”イザベラ・バード”と言うイギリス人が書いた「日本奥地紀行」の源本を図書館から見つけてきてくれた。残念ながら、時間が無いのでパラパラとしか見れないが、立派な皮表紙に側面にはマーブルの模様が入っている素晴らしい装丁だ。
 太鼓やら荷物が多いので心配したが、無事チェックインも終了。Eric とビターを飲んで、再会を約束。彼は11月には熊本にくるらしい。慌ただしくExeter に戻って行くEric 、感謝!!
 貧乏旅行でロクなものは買えないが、日本で待っていてくれる沢山の応援者に、小さなお土産。全員、両手・両肩がふさがった。こんな荷物で飛行機に乗れるのか…。ちょっと不安。

11300m cyeck in Eric to
11287マイルのメーター チェックイン Eric が本を

5日 
 Heathrow を飛び立つのが1時間も遅れたが、日本時間、5時、無事成田着。

Narita cyaku
荷物の量が半端じゃない。

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