8月6〜10 日 Sidmouth International Festival

6日(月) 雨、曇り、晴れ
 昨夜のホテルは、また記念すべき宿泊になった。もしかしたらLondon のジェネレーターを越える、殺伐としたホテル。従業員のネエチャンが可愛かったのがせめてもの救い。
 9:00 Exeter へ向い出発。どんどん暑くなる。確実に南へ向っていることを実感する。

Lopes Hall
Exeter UN syukuhaku
実際の宿泊建物

 2:00 Exeter 着。エクセター大学の広大な敷地の中にあるLopes Hall が宿泊場所だ。大学の敷地は、2年前に劇の稽古をするために何度も通った思い出の場所だ。全員久し振りの個室で喜んでいる。しかし受け付け嬢が鍵を見失い、我々には鍵が渡されない。こう言うミスが度々起き、しかも平然としているところが人間的と言うか、英国らしいというか…。

赤色の美しいCliff
お世話になった食堂
Arena テント楽屋入り口
violyn
バイオリンを売っている

 お薦めのサンドウィッチを公園で食べ、Eric と待ち合わせ。Sidmouth へ向う。
 Sidmouth はExeter から東、車で40分程の静かで美しい港町、私はDevonにこそ古き良きEngland が残っていると思っているのだが、まさにEngland に相応しい紳士的なリゾート地だ。面白いことに、ちょうどここに大きな断層があるらしく、海岸線に立ってみると、海岸の崖の色が西は赤、東は白とはっきり判れている。この崖岩の色は西はLand's End、東はDover まで続くらしいから、Sidmouth は英国における東西の地勢的接点と言えるだろう。ここでの公演を終えるとクス・タツヤ・アオイの3人は帰国してしまうから、七福神のチンドンがこの東西の接点Sidmouth が最終地と言うのも、偶然とはいえ私には感慨深い。
 2時間後に担当者と落ち合い、打ち合わせと言う事になり、それまで自由行動に。しかし、本当に大きな凄いお祭りだ。この祭りのために広大なキャンプ場に見渡す限りのテント…。これまで廻った各地でSidmouth Festival は良いよと言われたことを思い出す。英国中で一番大きなお祭りだと言う人もいる。
 6:00 結局担当者は現われず、別の人が僕らを食堂に案内してくれる。これから5日間の食事は昼・夜づっとここでお世話になる。
 7:00 野外劇場のテント裏に車を停め、楽屋でチンドンの用意。
  野外劇場を中心とした斜面の公園全体をArena と呼ぶ。ここだけでも小さなお店が30軒以上は出ているだろう。小さなお店といっても日本の屋台よりはづっと本格的な店作り。Pub や楽器屋、木製家具屋などもある。とりわけバイオリンを売っているのには驚いた。バイオリンが特別なものではなく、日常の”娯楽用品”として定着していることを物語っている。
 8:15 チンドンスタート。もうそれはそれは、それは素晴らしい反応だ。大人も子供も、皆、楽しみに来ている。そして取り合えず、他文化に寛容であろうとしているのだろう。
 テツは腰が大分痛そうだ。身体を斜めにして歩いている。

7日(火)曇り時々小雨

International な食堂
野外劇場リハーサル
Mr.Gaffer
Mr. Gaffer Ferris

 8:00 大学の食堂で朝食。ほとんどがSidmouth Festival の出演者で、実にInternational, 日常Exeter では殆ど見かけない、アフリカ系、インド系、そして我々東アジア系と、聞こえてくる言葉も様々、民族の坩堝のようだ。
 午前中は野外劇場を使って、Workshop。お客さんにチンドンや太鼓を叩かせて「マサル」一曲だけ披露。我々の演奏を期待して来てくれたお客さんもいるよう。これで良かったのかちょっと悩む。
 昼食後は、同じArena 内をチンドンで流す。皆本当に楽しそうにしてくれるので、こちらも嬉しい。
 そしていよいよ夕方から野外劇場で公演。椅子席は300ぐらいだが、廻りの斜面に勝手に座れるようになっていて、詰めれば2000や3000は入りそう。しかし、我々の持ち時間は沢山のバンドやダンスに挟まれて、僅か15分間だけと言う事に…。それでも一部のトリだ。テツの腰のこともあり、私のソロで「マサル」それに「馬鹿囃し」「終宴」と無理やり3曲。前がアフリカン・ドラムで凄く盛りあがったので、ちょっと心配だったが、客の反応は取り合えず素晴らしい。
 本格的にビデオも撮ってもらえるらしい。
 
 僕らに専属でついてくれたボランティアのGaffer(ギャッファー) チャップリンの様なダブダブのズボンに色違いの靴、大きな蝶ネクタイに帽子という出で立ち。絶対にパフォーマーだと思ったが、後で判ったのだが、実は医者だった。(医療制度も英国はなかなか面白いらしいが…。)冗談ばかり言っているので、何が大事なことなのか悩むことがしばしばだった。英語がロクに出来ないのに、冗談が判るわけが無い。名前のGaffer 本人は本名だと言うが、私は未だに疑っている。だってGaffe は”へま・失言・シクジリ”の意味になる…、そんな名前の医者に誰がかかるか?まさか、あの格好で医者はやっていないとは思うけど…。

8日(水)晴れ

崖の上の芝生
公園のステージで…
テツ、腰のリハビリ
国際交流?
ArenaThatre
客席から野外劇場を

 午前中多少時間的余裕があるので、町へ買い物へ行ったクスを除き、海岸の崖沿いの公園へ。ここはかつて他国からの侵略を防ぐ重要拠点だったようで、城壁跡やトーチカなどが残り、それらを上手く取り込んで、ガーデニングし、海の見渡せる、美しい憩いの場になっている。この日も公園のCafe は優雅な老人達で一杯だ。きっと、このCafe でTea を飲むことを毎朝の日課にしている方達もいるだろう。そんな方々には、もしかしたら我々のような異邦人は願い下げだったかも知れない。しかし露骨に嫌な顔をされることはまず無い。だってここは紳士の国だもの…。英国の文化を語るのに、他民族との軋轢や侵略・防御など闘いの歴史の具体的な影響を除外しては”木を見て、森を見ず”になるだろう。ガーデニングしかり、紅茶文化しかり…。Devon はそのことを良く判らせてくれる。
 おそらくクラシック・コンサートやコーラスなどをするのであろうステージも当然のようにある。綺麗に花壇で飾られたステージで場違いなパフォーマンス…、しかし、どうも花とか綺麗なものとU-Stage は合わない。この抜きがたい美意識の違い、これをどう乗り越えるのか?民族の誇りと主体性を持って…?国際化なんて言葉の問題では無く、まさに生活の好みや感性=美意識を如何に許容できるか、なのだと、しみじみ思う。そしてそれこそが個人主義の原点なんだろうな。地域的に、あるいは階級的に住み分けるのか?それとも…?
 1:00 Market Square, 町の中心、歩行者天国のようになっているところでチンドン。我々の前の出し物は町を取り囲むようにしてフォークダンスをしていた。で、それが終わる前から僕らの廻りに人が集り出す、写真を撮られる量が半端じゃない。まるでスターにでもなったよう。七福神の紹介を始めると、もう何十にも人垣。チンドンで歩き出すと、ゾロゾロと付いてくる。一体この後、チンドンに何を期待されているのか不安になる。たまたま通りかかったベビーカーを引いた日本人女性、涙を流して喜んでくれる。彼女もきっと異国の地で苦労しているんだろうな…。そういう人達の励みにでもなれば…。
 3:00 Blackmore Gardens. ここはArena につぐ重要な会場。町の中心部にあるので広さはそれ程大きく無いが、大きなテントが三つあり、家族や子供を中心とした出し物が用意されている。15分と言う指定なので、「馬鹿囃し」を一曲やって、オカメ・ヒョットコ踊りを、子供達と。
 8:00 Arena で「獅子舞」「終宴」を。「獅子舞」の反応が圧倒的にいい。後出番のアフリカン・ドラムの連中も喜んでいる。
 テツは取り合えず、腰が痛いのをおして頑張った。何とか大丈夫そうだ。腰が痛かろうがなんだろうが”気は優しくて力持ち”のキャラクターを演じ続けてもらわなければ…。

9日(木)概ね雨

パレード出発点
楽屋での記念撮影
一際目立つ僕らの写真
Dance Marquee
夜遅くまで子供も遊ぶ
テントの中も外もダンス

 朝は少しゆっくりできるのだが、私は日記やらメールやらに追われる。とにかく毎朝、パソコンの再起動を3回以上はかけている状態だから…。USB の二股も調子悪くなり、使えないので写真の取り込み等もさらに面倒。
 今日は海岸の外れからArena まで他の出演者達と一緒にパレードする。こう言う国際的なパレードは一つの憧れだった。特に僕らの元気なチンドンはパレードでこそ良さが発揮されると信じているから。しかし雨が心配。出発1時間前には何とか止み、歩いてスタート地点まで。さあ、楽しみなパレードが、と思ったがやたら進みが早く、僕らのチンドンは遅れ気味になる。どうも雨を心配して進行を早めているようだ。案の定、海岸線から公園への登り坂にはいるところで、雨が。もくもくと歩いて行くグループが多い中で、僕らは演奏し続ける。沿道からは大きな拍手、喝采が…。
 Arena 着。びしょびしょの衣装を慌てて拭いて、ステージへの出番を待つ、その間に前の組のフォークダンスグループと楽屋で記念撮影。温かみのあるテツの布袋や可愛いアオイの弁財天はどこでも大人気だ。ここのテントには、ビデオなどを販売している店もあるのだが、なんと、そこに商品として我々のプロマイドが置かれていた。それも£5で!いったい誰が買うんだ?やっぱり本人が買うんだろうな、出演者は£4でいいと言われたが…。タツヤは天狗の面を被っていたので、素顔が無いとしょげている。さらに7日のビデオも、もう売っていました、£10 で。私には一本くれたけど…、肖像権とかは無いのだろうか?
 4:30 Blackmore 公園の中に設置されたダンス用の大きなテント(Dance Marquee) に向う。"A Chance to Meet" と名づけられた60分間の僕らだけの特別ショウだ。天気も悪く、大きなテントにお客が来なかったらと心配したが、椅子席は勿論、床にまでぎっしり集っていただいた。中には7月の初頭にLondon 郊外のユースホステルで出会ったハレナちゃんや、Cardiff でフォークダンスをした人達もいる…。
 テント外からチンドンで登場、直ぐに口上、早変りで獅子舞という通常のパターン。このやり方には自信がある。僕らはミュージシャンでは無いし、獅子舞や太鼓の専門家でも無いから、出来・不出来は、どの様に構成し、見せるかにかかってくる。司会者も上手く繋いでくれて、アンコールまでやってしまった。
 7:00 隣のChildren's Marquee に太鼓を移動。何と9:55 から子供の為に15分間だけのステージが…。それにしても、大人も子供も良く遊ぶ。いくら夏の日照時間が長いとは言え、10時は流石に真っ暗だ。日本なら「子供は早く寝なさい!」と叱るところだが…。
 1ヶ月以上もの長い夏休み、家族でテントや安いB&B等に泊まり、1週間£5 の通しチケットを買って、お金をかけずに、朝から晩まで歌ったり、踊ったり、何かを見たり、参加したり…、色々な経験をして、とにかく楽しむ…、何て優雅で、羨ましい生活なんだ。日本の夏休みとの余りの乖離に愕然としてしまう。
 こう言った大規模な祭りの利権構造の調整のために行政が動くのではなく、ちゃんと家族が楽しめるように動いている。遠く地方からも集ってくる大勢のボランティア、彼らも皆楽しむために来ている、義務感でも責任感でも無い。それが出来るように仕組まれている。勿論問題も多々出てくる、そこを行政が調整し、ホロウする、臨機応変にとまでは行かないかもしれないが…。祭り、地域、行政、ボランティア、家族…、英国の一つの理想的姿がここにはある。
 

10日(金)基本的に晴れ 感動の夜

お面チンドン
Market Shishimai
Market Squareでの獅子舞
Taikoashi barashi
3ヶ月ぶりに太鼓足を

 今日は午後からまたArena で30分なので、これまでやる機会のなかったお面チンドンにチャレンジすることにする。私は天狗、タツヤカラス天狗、アオイ・オカメ、カキ・ヒョットコ、テツ・獅子、トモコとクスは篠笛で…。が、やはり難しい。異様で人目は引くが、何と言っても不気味過ぎる、尚且つ言葉が話せないから、その不気味さが強調される、あるいは緩和されない…。泣き出した子供多数。
 6:00 Market Square ここは大道芸のメッカのようになっている。僅か15分なので、絞め太鼓と竹だけ用意し、「獅子舞」(基本的に僕らの「獅子舞」は、登場やサルタヒコとの絡みなど、演劇的構成になっており、大太鼓などフルセットでやるように作ってある、しかし今日は大太鼓を使え無いので、登場の演出もサルタヒコも出せず、つまり物語的部分を全部省いて、獅子の動きだけで見せるしか無い。)と「オカメ・ヒョットコ踊り」から「馬鹿囃し」へ。驚いたことに、30分も前から人が集りだす。6時からですよ、と言ってもどんどん取り囲んで人垣が出来る。まあ、僕らだけがやるわけでは無いが…。Eric が駈けつけてくれたので、僕らの次ぎのグループの紹介をしてもらったのだが、彼に苦情が幾つかいったらしい「U-Stage を観に来た」と。そんなことなら、せめて伏せ太鼓も用意するのだった…、が後の祭り。Exeter で知合った車椅子の女の子も来てくれた。
 Rugby Club での最後の夕食。駐車場で3ヶ月ぶりに大太鼓の足を分解する。英国公演のために作ってきたものだから、この足にまつわる色々な場面を思い出す。英国公演の大きな区切りだ。
 今夜はSidmouth Festival 最後の夜で特別な儀式をやるらしい。僕らにとっても7人最後の夜だから、感慨もヒトシオ。クス・タツヤ・アオイにとっては、英国公演の最後を飾るに相応しい、まさに終宴だ。

Grand Torchlight Procession from Arena to Esplanade

8月11日へ