7月15日〜20日 London

15日(日)晴れ

SPITALFIELDS COMMUNITY FESTIVAL
展示販売の準備 打ち込みで始まり 客はどんどん増えて行く

 8:45 市場に到着。もう出店の搬入は始まっている。別に順番があるようにも、管理をしているようにも思えない。勝手に車と屋台の間をぬって、ステージの可能なかぎり近くまで車を入れ、搬入開始。大太鼓の足を組み、そこに太鼓を載せて転がすことに…。ステージに責任者らしき女性が来たので挨拶。ところが彼女は車のことには触れず、僕らの出番はお昼過ぎだから搬入が早過ぎると…。そこで仕込みに時間がかかること、車を舞台傍まで入れるには今しか無いことを説明すると、このステージは大道芸をやるものだから、大きな道具を持ち込むのは困ると…、なるほど見せられたパンフレットにはStreet Performer となっている。簡単な道具でパッと来てパッとやれるものでなければ駄目だと言う。聞いて無いけど、やっと納得がいった。つまり太鼓は駄目と言う事か。チンドンをステージ上で30分やることは可能だが、何にしても満載した荷物を下ろさない限りは何も出来ない。舞台では大きなスピカーや沢山のマイクなど結構大掛かりにPAセットも用意している。もしかしたらドラムセットとか出すんじゃないのか…?と疑問もわくが、そう言うことなら仕方ない諦めましょうと言うと、脇から舞台監督が用意にどれくらい時間が掛かるかと質問、太鼓などを組んで舞台傍に置いておければ5分あれば始められると答えると、今度は責任者がならば大太鼓はここに置けと、テーブルを移動して場所を空け始めた。いったいどっちなんだ?やらせたいのか、やって欲しく無いのか?後はI さんの悪口…、要するに”自分が仕切る”=力の誇示なんだろうな…。言葉の国英国、言葉による自己確認、階級確認…。そこへ英国流で対抗して言葉で切り込むと、彼らのプライドを傷つける、摩擦も起きる…、そんなところだろう。他国で暮し、なおかつ自己主張して行く辛どさ…。
 しかしこのイベントがCmmunity Festival =地域祭りだったのは大ラッキー、貴重な体験ができた。この地域は圧倒的にインドやバングラディシュ、アフリカなどの移民が多い,まさに国際都市London の中のLondon と言った所。生活習慣や文化の違いを如何に折り合うか、一方で民族性を如何に保持し続けるか、世界をゆする根本問題に日々直面している。だからこそ地域祭りは重要だし、きっとあちらこちらからお金も出るのだろう。仕切りの維持に必死になるのも頷ける。
 プログラムはケニアの男の子が詰らなそうに踊るダンスから、やはりアフリカ系の10才くらいの女ノ子3人組み、一人が踊るのを嫌がってなかなか始まらなかったり…、子供の失敗は世界中何処へ行っても、それはそれでご愛嬌。Saturday Childrens Club と言うのだから、週に1度民族的な教育を受けているのだろう。School of Performing Arts の着飾った可愛い女ノ子達のインド舞踊、ちょっと退屈だったBengali fork music と続き、いよいよ我々の出番。
 この頃には、お客は殆どいなくなっていたのだが、太鼓の仕度を始めだすと段々集ってくる。火曜日に観たからまた来た、なんてわざわざ言いに来てくれる人も。4日間この市場でやったかいがあったのかも知れない。Exeter のユースで出会ったノッポの青年も…。
 チンドンの打ち込み、口上、獅子舞の順。獅子でステージから飛び降りると歓声が上がる。客席を獅子で廻る予定だったが、動きが取れない。”馬鹿囃し”が始まる頃にはもうお客はびっしり、舞台後ろから覗いている人達多数。”鬼囃し”で最後に面を取ると、奥の通路まで身動きできなくなっている程。終演後、遅れて来る日本の友人多数。市場の中を歩くと、「良かったよ!」と出店の人達から何人も声をかけられる。
 で、やっぱり最後はドラムセットやら何やら随分沢山の楽器が出てきた。勿論、僕ら以外は全てマイク使用…「大道芸なら生声でしょう!」と言うのはヤッカミだろうか?
 実は今日は息子の誕生日で、久し振りに声を聞こうとしたところ、朝の仕込み中に携帯電話を無くしてしまったことに気付いた。一難去ってまた一難。

16日(月)晴れ
 今日から4日間は完全休養。London を離れユースに行く予定だったが、アパートを貸してくれているイアンが、19日までの滞在を許してくれた。本当に助かる。何せこのアパートはプール・サウナ付き!ぬるいとは言え、ジャグジーバスも付いている、London に宿泊しながらこの贅沢!!ただし、ベッドは無いので、木の床にモーフに包まって雑魚寝。

快適なアパート サウナ付きプール 窓から地下道出口を望む

 アパートの直ぐ傍に、歩行者専用テムズの川底トンネルがある!ここを歩いて渡りGreenwich へ。トンネルを出ると直ぐに世界で最も有名な帆船カティーサークが置いてある。高校生の時にこの船に憧れて模型を作ったことを思い出し、しばし感激。リスが愛嬌を振りまく公園の丘を登ると、そこに天文台が…。ここは余りにも有名な”世界標準時”を定めているところ、つまりは世界を時間で仕切っている、英国力の一つの象徴。英国に暮した時に約1月の全国旅行をした、その最後に訪れることにしたのがこのGreenwich。食べるものも満足に食べられないような貧乏状態で、この丘にのぼる道路脇に車を停め、窮屈な車中に泊まった…、それに比べ現在の恵まれた境遇…。

川底トンネル カティーサーク 世界標準時!

17日(火)曇り、雨
 英国に暮して驚いたことの一つに、夏と冬の日照時間の違いがある。冬は夕方4時には暗くなり、朝8時でもまだ薄暗いのに、夏は朝4時頃から夜10時過ぎまで明るい。この環境ではかつての日本人のように”日ノ出と共に起きて、日の入と共に寝る”なんて自然に沿った粋な生活は不可能。早朝3時から煩い程の鳥の囀りに「いったい鳥は何時寝るのか?」と真剣に悩んだことさえある。ここで集団生活を営む人間には、自然環境とは別の基準がどうしても必要になる…、それが”時を計る方法”を産み出した所以だろう、そしてそれこそが近代の萌芽に繋がった、と見るのはあながち的外れでも無いのではないだろうか?

各国の言語が飛び交う 旧天文台 公園の人気者リス
11:00 昨日予約したGreenwich の美容院へ髪を切りに。何と£21も取られてしまった!
14:00 先日サウナでこのアパートに暮すTさんにお会いし、お茶に誘われ、クス・カキと3人でお邪魔。テムズの景色も最高の広くて綺麗なお宅。余りの優雅さにしばし呆然・・・。
18:00 風邪ぎみのタツヤを残し、I さんのお宅へ、打ち上げと私の誕生パーティーをして下さる。手作りのかき揚テンプラ、魚料理、堪能させていただいた。

18日(水)曇り、晴れ、雨
 昨夜のパーティーは、まだまだ仕事の残る忙しい中無理して時間を割いて下さり、楽しい一時を過ごさせていただいた。その折、アパートの持ち主イアンより「君達がアパートを出る前に、行くよ!」と言われ「何時でもどうぞ」と答えてしまった。しかし今晩は皆其々予定が入っている、明日なら私以外は皆そろっている。イアンにその旨伝えなければと思い、I さんに電話、娘さんが出てイアンが傍にいると言うので、直接本人にその旨を伝える。5分後にI さんから電話、延々1時間も怒鳴られた…。何を…?良く判らないが「自分を無視して勝手なことをするな」と言うことらしい…。
 借りている電話を返しに彼女の家へ。再度、事の次第を説明するも、取り付く島も無い「2度とあなた達の世話はしない」とまで…。暗澹たる思いの一日になってしまった。

開演10分前
「ややこしや…」

 夜Globe 座へ、野村萬斎さんの「間違いの狂言」を観に行く。London で、しかもGlobe 座で、狂言を観れるなんて、何と言う幸運だ。しかし場内は空席が目立つ、立ち見席など1/4も入っていない。しかも半分以上は日本人…。London の街中でも随分沢山のポスターを見かけたし、宣伝費だって相当かかっているはずだ。シェークスピアの「間違いの喜劇」は英国人なら誰でも知っている、電光掲示板に英訳セリフも出る、演出も現代的で実に親切だ。それでも他国の古典芸能に興味を持つ英国人など、極一部のインテリか演劇関係者しかいないということか…。舞台は私には十分面白かったし、様式と表現を巡って考えさせられることも多かった。ただ問題はこの公演が誰に向って行われたのかということに尽きるだろう。日本国内では古典芸能ブームと言う感さえある。その上 London, Globe座、シェークスピア狂言…、とこれだけ付加価値がつけば日本人社会での評判はそれなりにあるだろう。事実、日本では狂言など見向きもしないようなウチのメンバーでさえ来ている。それでも肝心の英国人は殆ど来ない。私には、日英交流の根本的問題とそれを超える具体的方法への意識不足のように思える。

19日(木) 曇り、小雨
 朝Jem-ANET の川崎さんの所へ新しい携帯電話を取りに行く。何故かどの道も大渋滞で2時間もかかってしまう。とにかくこれで電話が繋がる…と思ったが16時間も充電をしてからでないと使えない。ここが日本と全く違うところ。アパートに戻って直ぐ充電だ。
 電源ケーブルを差しながら色々やってみるが、やはり駄目。明日まで使えない。
夕方、友人のK さんのお誘いでEmerging Japanese Playwrights と名づけられた現代の日本戯曲の読み合わせ会に参加。鈴江俊朗さんのFireflies と言う1996 岸田戯曲賞受賞作品。残念ながら私はこの作品を読んだことも観たことも無い…。したがって内容は断片的に判る英語から想像するしか無いのだが…、良く判らない。演劇評論家の扇田昭彦さんも加わった作家に対する質疑応答が面白かった。結局のところ英訳することは不可能と私は受け取ったが…。Japan Festival Awords のN さんとも2年ぶりの再会。

20日(金) 晴れ
 早朝から部屋の掃除、シーツなどの洗濯に追われる。荷積みをし、鍵を受けつけに返し、近くの公衆電話からI さんに出発の挨拶。お世話になりながら何とも悲しい別れ…。
 急ぎGloucester に向う。電話はまだ繋がらない。公衆電話から何度か川崎さんに連絡。Gloucster のオーガナイザーとも今日の宿泊のことなど全て公衆電話で…実に不便、その上£20近くもかかってしまった。
The Black Swan InnGlouceter のThe Black Awan Inn に到着。街の中心部にある便利な三ツ星ホテルだ! しかも1階はPub と言う典型的な英国のホテルで我々には最高!
 グロスターと言えば、シェークスピア「リア王」のグロスター卿を直ぐ思い出す。戯曲と密接に関わる地名や人名…、演劇が市民にとって身近な存在である大きな一つの要因でもあるだろう。
 深夜2時過ぎ、やっと電話が繋がった。夕方の川崎さんからの連絡では、何と電話会社は私が無くした方の電話を生かす作業をしていたらしい…、ああ、これも英国だ。

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