2007年10月21日
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出演直前に撮影会 | 終演後にも撮影会 |
チョンゲチョン広場 ステージ
8:15 | 日記の作成などをしていると、熊木さんから電話。朝食に。今日はバイキングを止めて、3Fの日本食レストランでお粥を食べることに。 |
10:30 | 衣装を着てロビーに集合。今日のステージがあるチョンゲッチョン広場はホテルの目の前だ。 ロビーにいると、富山市の方から声をかけられる。そりゃそうだ、チンドン屋と言えば富山。何と、ホテルの隣でイベントをやっているらしい。 |
富山市のイベント会場を通って、挨拶。是非、後でやってくれと言われる。 雨が降っても大丈夫な立派なステージもある。真剣に考えてみよう。 |
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11:50 | 我々のチョンゲチョン広場の会場には、控え室は勿論、待機場所さえも用意されてはいない。チンドン屋にとっては日常だが、イベントとしてはありえないだろう。派手な衣装は登場まで極力隠したいし、我々がちらちら見えたらお客様の集中力が殺がれ、他の出演者にも迷惑だ。 今日午前中の衣装は昨日のパレードと同じ、「長羽織7人集」派手さにおいては七福神を超える。 脇のビルの地下に降りる階段を見つけ待機。スケジュールは10分以上押しているようだ。 |
12:30 | 客席後ろより登場。みんな大喜びだ。「お祭りマンボ」で舞台に上がると、どんどんお客さんは増える。手拍子、歌う人、踊る人、客席が一挙に沸く。 口上の食いつきも良い。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」大喜び! 三味線ソロ、真剣に見ている。「故郷の春」全員が歌ってくれる! 感動だ。 最後の曲とふって「四丁目」 大拍手。 実行委員長が飛んで来た。「来年も是非!」と。 韓国人スタッフも、目を耀かせている。 |
ホテルまでの帰り道は、いつもどおり写真リクエストの連続。 |
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チョンゲチョン広場の舞台 | 客入りを心配したが、立ち見までいる | 実行委員長と |
13:00 | ホテル着。直ぐに着替え。シャワー。 |
13:30 | 昼飯に出発。 途中、富山県の会場に向かい、出演打ち合わせをする。我々のスポンサーであるKNT熊木さんは快く了承してくださった。富山県のイベントも同じ近畿日本ツーリストが絡んでいることが大きい。しかし、本当に突然のお手伝いだから色々難しい問題もある。夕方10分のステージをすることになった。 韓国側舞台監督は、しっかりしている。進行に対する質問など的確だ。我々のイベントは舞台監督がいるのかすら判らない状態なのに…。 |
14:00 | ソウルホテル裏のイベント指定食堂へ。 この店はタコビビンバが有名らしいので、それを。 美味い!辛い!腹一杯だ。このツアーはお腹の空く暇が無い。 |
15:30 | 買い物に出かけたメンバーもいるが、私は帰り支度の準備を始める。何より、疲れた。食いすぎのせいか…? |
16:15 | 七福神衣装を着てロビーに集合。部屋のスリッパを履いてきて慌てて戻ったメンバーも。 |
16:20 | 富山市の会場外から演奏、舞台に誘導される。 しっかりしていると思った舞台監督なのに、マイクは出ていない。指示すると慌てて出てくる。”急遽出演”の演出としては良いか…? 「プラウド・メアリー」 富山県が”チンドンコンクール”で有名であることを説明して、三味線ソロから「Aトレイン」 最後に「四丁目」 ぴったり10分で終った。 |
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富山県の会場入り口から | 屋根もあるステージ |
信号を渡って、向かいのチョンゲチョン広場に移動。地下へ降りる階段で待機。 | |
17:00 | 登壇予定の時刻だが大分押している。 舞台では太鼓を持って、お芝居をしている。韓国の伝統芸「マダン劇」らしい。まるでチンドン屋のよう。何を言っているのか判らないが、場内は沸いている。喋りのリズムは河内音頭のようでもある。これは面白い! イタリアのコンメディアデラルテなどとも共通する、大道芝居だ。 チンドン太鼓と仮面を使った、路上劇を創ってみたくなった! |
このチョンゲッチョン広場での進行は、日本での打ち合わせから変更され、出発直前に進行表が送られてきた。 僕らは、4部の最初。この4部は「ボランティア慰問公演」となっていて、最初はどこか老人ホームのようなところにでも出向くのかと思ったが、謎のままだった。 熊木さんがそれが判った、と。ようするに、このイベントの運営や進行はボランティアスタッフがやっていて、その彼らへの”お礼ステージ”だと。なるほど、納得だ。だがそれならそれで演目の構成を変えたいところだが、今更間に合わない。お礼の言葉だけ追加することに。 |
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17:40 | 午前中と同じように、客席後ろからスタート。 進行をしっかりした韓国人スタッフが買って出てくれた。このステージは韓国の学生集団が仕切りだしたようで、きちんとしている。 結局は意思伝達経路の明確化、組織化が出来ればいいのだ。イベント全体の問題もそこにもありそうだ…? 夕方になるとぐっと冷え込む。3部の途中から帰り始めるお客さんが多いように思えたが、場内にはまだまだ沢山のお客がいた。掻き分けて舞台へ。 「故郷の春」 大合唱だ。感動。この曲を選んで良かった! 選曲を助けてくれた在日の友人に感謝!! 基本的に午前中と同じ構成だが、「四丁目」を止めて「北海道民謡」2曲のメドレーで元気に終らせるつもりだった。だが、曲の最後のところでもたついてしまった。これでは終れない、急遽「四丁目」を復活。10分をオーバーしてしまった。 |
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韓国伝統芸能「マダン(広場)劇」」 | アットフォームなお客さんが沢山 | 最後のステージ |
18:45 | ホテルに戻る。途中、突然タクシーが止まり運転手が降りてきて、写真リクエスト。これにはビックリ! |
19:30 | 夕食に。ホテル正面にバンが待っている。車を使って遠くに行くらしい。 |
20:00 | 団体旅行で使われる大きな「炭火焼肉」の店。3階の個室に通される。店内は凄い熱気だ。 はさみでチョッキンの焼肉、堪能した。と言うか、食いすぎ!! 動くのが辛い! 贅沢の極み! |
帰りがけにミョンドンをブラ歩き。 屋台の数、人通りの多さ、元気な売声、圧倒的なパワーだ。韓国人パワーの凄さを、メンバーの多くが口にする。このバイタリティーはどこから来るのだろう? キムチか焼肉か? 私は腹一杯で、屋台に並んでいる食べものを見るのも嫌だ。だが、メンバーはまだアイスクリームや饅頭を食っている。日本人の食い物に対する貪欲さパワーだって負けていないぞ。 日韓の文化的違いがイベントの問題点にも影響しているのだろうか? 腹一杯と言うより、苦しさに耗労とするような頭で、ボンヤリ考えた。 食いたいだけ食っている”ブタ”に、哲学があるわけが無い。 「ビリーさん」やら何やら、ダイエットが文化になり、大金をつぎ込むような飽食の国になってしまった日本。「幸福」の意味も実感もオボロになる。 帰りの地下道に並んだダンボールハウスを横目で見ながら、重たい腹を抱えて階段を上る貧乏芸人の私…。 |
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いざ、焼肉を! | あれだけ食って、屋台の饅頭を食う | 次は30cm のアイスクリームを |
22日へ |