Penang

12月9日 (火曜日) 晴れ
 コタキナバルからクアラルンプールで乗り換え、ペナンへ。荷物も問題無い。ビジネスクラスのラウンジで寛ぐことにも何の抵抗感も無くなっている。慣れとは恐ろしい。こうやって知らず知らずに”特権階級的意識”は醸造されていくのだろう。せめて批評精神だけは持ちつづけなければ…。 
 国際交流協会の金原さんと領事館現地職員の仲間さん、お出迎え頂く。また若い女性だ。

ビジネスラウンジも慣れた 太鼓を運ぶ、トラック ステージにはクリスマス飾り

 現場の下見。領事の三石さんと打ち合わせ。うーん、これは参った。現場はショッピングセンターの吹きぬけのホールなのだが、そのホールは全て売り場。売り場の真っ只中にステージがある。客が立ち見をするスペースさえ十分には確保されない。恐らく、吹きぬけのバルコニーに鈴なりになるだろうが、距離が遠すぎて関係が作りにくい。つまりこのステージはディスプレイの場だ。公演の場でも交流の場でも無い。チンドン屋としてはディスプレイになり切る手もあるが…。公演の成果を上げるには、如何に舞台近くに客を呼び寄せられるかが勝負だろう。しかし、難しい。舞台上にはクリスマス・ディスプレイもあり、空間がむちゃくちゃ狭い。どうする…?

正面入り口よりホテルを

 ホテル、高級リゾートホテルの立ち並ぶ海沿いのラサ・サヤ・リゾート。観光に来たのなら最高のロケーションだが、仕事には全く向いていない。なんと言っても現場から車で30分以上もかかるのだ。公演事に全ての荷物を屋根も無いトラックで会場との間を往復しなければならない。雨も心配だし、荷積み・荷降し時間を入れれば、最低でも一時間半は必要だ。しかも会場は狭くケース置き場にも困るから、荷物を限定して持ちこむしかない、その場での構成・演出変更はできないことになる。現場近くにもホテルは沢山あるのに…。我々に気を使って下さってのことなのだろうが…、ヤレヤレ。

10日 (水曜日) 曇り後雨
 11時半に集合。荷積みをして食事に。仲間さんのアパート近くの食堂で、クラブ・ミート〜と言う、カニ肉の入った麺を、これが最高に美味い!
 13時。搬入口に到着するも他の車が使っている。昨日の話しだと搬入口にトラックを置きっぱなしにできると言っていたが…。案の定、ここは他の車も使うので置きっぱなしには出来ないと。では搬入・搬出をどのようにするか?店側とちょっと揉める。とにもかくにも搬入、仕込み。リハーサルを始めると直ぐに人は集まってくる。うん、これなら大丈夫そうだ。仲間さんによると、買い物客と言うよりクーラーの効いた店内に暇つぶしに来ている人が多いのだそうだ。3時からの本番であることをアピールする。同時に営業している各店舗に挨拶して回る。営業妨害になることは間違い無いから…。

会場全体 告知看板 舞台前のマッサージチェアに

 15時、七福神で出る。舞台前には既に人が一杯だ。わざと上のバルコニーからは見え難いように、端の店を演奏しながら回る。写真など積極的に見え難い位置で応じる。お客さんがどんどん集まってくる。上手く行った!
 口上。何時ものようにマイクを使わずに。所々聞こえないところを作った方がお客が近くに集まる。圧倒的にチャイニーズ系が多い。私の英語に大きく頷く人が何人かいるので、逆に英語が通じていない人が多いのかも知れない。
鞘抜、踊り指導を交えて10分。何時もなら彼のマレー語一言一言に沸くが、今日は反応がもう一つ難しいように思える。
Kaja、色々苦労しているようだ。どうしてもバルコニーから遠巻きに見られてしまう。それでも前に来た客は減らないから、集中力が途切れることは無い。マッサージチェア売り場は完全に客席になった。
 太鼓、一気に押し切る。もう大丈夫だ。

七福神で舞台へ上がる 笑顔が嬉しい お客は何十にも取り巻いた

 終演後、握手責め。大成功だ、と言ってくださるお客さん多数。良かった。
 外は大雨。トラックにホロが無いので、ビニールシートで厳重に被う。まだちょっと心配だが仕方無い。

11日 (木曜日)  曇り時々晴れ、小雨
 毎朝、煩いほどの鳥の声で起こされる。ホテルがサービスでテープでも流しているのかと勘ぐりたくなるほど…。そんな自分が悲しくもある。
 ここは最高級リゾートホテルと言うこともあり、客を見ているだけでも色々なことが見えてくる。顔を黒いベールですっぽり被ったムスリムの女性が、若い男性と手を繋いで歩いていたりする。アラブの大富豪なのかも知れない。ムスリムの大金持ちは、同じイスラム国家のマレーシアに随分沢山遊びに来るようだ。少しお歳の欧米系の方が夫婦や友人達とくつろいでいる姿も良く目にする。リタイアして、あるいは長期休暇をとって自分達の時間を楽しんでいるようだ。50代〜60歳くらいのサウナで出会った英国人は、「タイガーウッズ等のスポーツライターをしている。」と言っていたが、10週間の休みだそうだ。3ヶ月の休暇!日本じゃ到底考えられないだろうな…。欧米系では若いカップルや家族連れも稀にいるが、極々少数。中華系の家族連れが圧倒的に多いのと比べると、お国柄の違いと言うか、家族や人生に対する根本的な違いがあるように思えて仕方ない。10人、20人と言う大集団で動けばそれだけ煩いし、とりわけ子供達の傍若無人さは、目に余ることも多い。レストランや劇場など公共の場には、ベビーシッターを頼んででも、まだ”紳士”にはなれない子供を連れて行かない英国流の”公”に対する考え方との彼我の違い…。若い女の子の二人旅、これはまず日本人。きっと20代後半、もしかしたら30に手が届いているのかも知れないが、欧米人の目からはせいぜい20代前半にしか見えないようで、こんな高級ホテルに気ままにいる”若い二人連れのおじょうさん”には、相当驚かれているようだ。まあそれらに象徴される”日本像”が、今や世界の常識になってしまったのかも知れないが…。
 今日は一日フリータイム。皆それぞれペナンを楽しむ。

18世紀の城壁 スリーピング仏陀 極楽寺からジョージタウンを

嶋崎・村上・加藤・山本・Kaja は仲間さんと運転手のボブにペナンを案内していただくことに。
18世紀、ヨーロッパ列強の中で遅れをとった英国は、東インド会社を拠点にアジアに勢力を伸ばした。ペナンはその軍事要塞だったようだ。ここから日本を目指し、遠い不思議な国を、様々に夢想したのだろう。ペナンを挟んで極東の日本と極西の英国との繋がり…。世界がまだまだ広かった時代、命がけの大冒険旅行のことなどを考える。
 タイの寺院。タイではドラゴン(中国)がナーガ(蛇:タイ)を飲みこみ、それでも頭はナーガなのだ、と言う像が沢山あったが、ここでは2体づつ正面に仲良く並んでいた。これもお国柄…?
 黄金の仏陀。どうしてこう金箔が好きなんだろう?本物の人間のミイラにも金箔を貼っている。
それにしても寝ながら悟りを開いた”お釈迦様”が敬われるアジアと、十字架に張付けにされ残虐された”キリスト”が崇められるヨーロッパとの大きな大きな違い。

半島との間の橋 小さな漁港にも行ってみた

何と、ペネン島とマレー半島は橋がかかっており、クアラから僅か3時間だと言う。これなら我々の移動も、陸路太鼓を運ぶことも十分可能だったのに…。

12日 (金曜日) 雨
 3時に集合。昨日からちょっと具合の悪そうな鞘抜氏が心配だ。トモコも疲労の色が隠せない。お互い歳だからな…。
 明日早朝の出発で、カードでの支払い問題もあり、シティーバンクによって現金を引き出す。3cm 程もの厚さになり、とても財布には入り切らない。仲間さんにお預けする。雨、激しい。
16:30 スムーズに搬入。雨が降る日は必ず屋根のある会場、U-Stage のラキーさ。
 通訳をして下さると言うシルビアさんと打ち合わせ。驚いた!美人だ。しかも中国語もマレー語も英語も、日本語もできると言う。それでいて鼻持ちならないところが全く無い。清楚で初々しい感じが実にいい。
 舞台前の客は、昨日より少なそうだ。定刻になってもPA が来ない。会場内もBGM が鳴りっぱなし…。5分ほど押して七福神で登場。カメラを持って走りよる人達、多数。演奏しながらの写真撮影会。これで上階の客が集まってくれれば…。
 舞台へ上がり、シルビアさんの通訳を交えながら…。2曲目は久しぶりに「四丁目」

鞘抜 十一 熱演 美女(シルビアさん)と… 会場は立錐の余地も無い

例えどんなに具合が悪くとも、真剣勝負の”鞘抜十一”、どんどん人が集まってくる。
Kaja 「今日は短くなる。」なんて言っていたが、どうして20分、きっちり。客を前に手を抜けないのは、皆一緒だ。
「マサル」から始めて、フルで太鼓を。
 シルビアさんに中国語で通訳してもらったおかげだろう、お客の反応も一昨日より楽だ。2度見に来ているお客も沢山いるからかな…。圧倒的な中華系。このデパートがそう言う客層なのだろう。他民族国家の住み分け、あるいは階級意識なのか…?
 19:40、公演終了、写真、握手責め。 そして片付けがほぼ終わる頃まで待っていてくれて、「Thank you.」を連発しながら涙を流さんばかりに強く握手してくれた数人のマレー系の男性もいた。感動した…。
 21時、屋台で、金原さん・仲間さんと遅い夕食。23時、ホテルに戻る。明日は朝4時集合だ。

13日 (土曜日)
 4:15 まだ暗いロビーに集合。荷積み。力仕事だと言うのに、哲がいない。甘ったれ癖が出たのか、責任感の欠如が気になる。
 三石さん、ホテルまでわざわざお別れの挨拶にみえた。
ドライバーのボブさん、パテイックをお土産にくださる。お世話になったのに、何だかアベコベだ。外はまだ真っ暗で、眠い。幽霊の出ると言う山道を空港に向かう。
空港出国ゲート前で、ずっと我々の面倒を見ていただいた仲間さんとお別れ。ずっと手を振ってくださる。最初、若いお嬢さんかと見まがったが、異国で二人のお子さんと暮らしている、苦労人だった。僅か数日のお付き合いだったが、日本女性の優しさと強さを、改めて教えられたような気がする。名残惜しい…。
 金原さん、ラウンジまで送ってくださる。2年契約の派遣で帰国すると仕事探しだと言う、ガンバレ!
 さようなら、マレーシア。3週間もいたマレーシアは、私にとって特別な国の一つになった。再見!

Ho Chi Minh