Kuala Lumpur

12月1日 (月曜日) 曇り時々雨
 ニュースで、日本人外交官が殺されたことを知った。”イラク復興支援”は多少遅れるかもしれないが、逆に海外派兵への道筋は早まるのではないだろうか…?国家・民族・宗教…、曖昧な国の曖昧な国民性。怖いのは気づかぬうちに集団的発狂状態に陥ること。
 高度情報化社会=情報の商品化、大衆化、平等化。そこから抜け落ちて行く”生きること”の実態…。そのことを表現をする者として、どう捕らえ、立ち向かうのか? 私なりの一つの試みとしての海外草の根ツアーの始まり、あれから僅か2年、今私は異国の地に居ながら、風呂もシャワーも特大のベットも有り、NHK 放送も見ることのできる、豪華なホテルにヌクヌクとして、同じ日本人の訃報を聞く。
 「邦人外交官」として括られる二人の外務省職員。彼らはいったいどんなことを考えてイラクにいたんだろう?家族は?友人は? 確か、「奥さん」とは、2002年に英国大使館でお会いし名刺を頂いた覚えもある。微かな接点…。
 一方、修羅の現場に産まれ、そこを生き抜かなければならないイラクの子供達は…?遠い異国からやってきた巨大な軍事力やそれらを背景にした傍若な振舞いを前に、一体何を思うのか…?
 そして、何処へ行ってもこれ見よがしの経済力を見せつける我が日本人は、世界の人々にどのように映るのか…。
 今はただ、お二人のご冥福をお祈りするしかない。

 今日は帰国組がやってくる。私はニッコウ・ホテルに早々とチェックイン。
カキは3時に久貝さんと、コーヒーショプで待ち合わせたと言う。3時ちょっと前に私も待ち合わせ場所へ。頭に手拭を被り、大きなリュックを持ったカキは、遠くからでもやたらに目立つ。私に会うと、一人旅の緊張と興奮からの開放なのだろう、安心感が顔に現れる。
10分ほどして久貝さんが現れ、席を立つと…、「あれ、クラリネットは…?」 え!?まさか…、ガーン!! 一番大事な商売道具が無い、と言う。一気に血の気が引く。チンドンのメロディーは、全てをカキのクラが担っている。それが無い…。私の頭の中を、最悪の事態と、修復プランが駆け巡る…。
 空港への迎えを久貝さんにお任せして、私はカキに付き合い、事後処理と楽器探しに動くことにする。雨も降ってきた。チキショウ! 交流基金の陳心儀(Sephrine)さんが我々を助けて下さることに。彼女は、マレー語も日本語も中国語も英語も出来る。実に心強い。車も出して頂いた。またもや2年前との雲泥の差…。
 警察。偉そうな雰囲気は何処の国でも同じだろう。だが何故かのんびりとした明るさが漂うのは、心儀さんの存在のなせる技か…?パソコンが壊れているとかで、タイプライターで書類の作成。やはり何処か抜けている。
 楽器屋へ。ズラリとギターが並びかなり大きな店、しかし…。2階へ登る階段がある。駆け上がる。陳列ケースが見え…、有った!黒いクラが…。私は一安心、カキはしきりに値段を気にしているが…、とにかく最悪の事態は免れる。カキ、一番安いのを吹いてみる。うーん…、渋い顔。私が、別のケースにある高いのを試すように促す。カキ「え、クランポンをですか?」 クランポンは高級クラリネットの製造メーカーとして有名で、値段も高く、チンドン屋が使うことはまず無い。しかし明後日には、使い込んでいない楽器で本番を迎える、多少の値段は問題外だ。しかも日本円に換算して約8万円、「日本なら倍はしますよ。」とカキ。吹いたとたん、顔色が変わる。「さすがクランポン。音が出やすい…。」 ならそれにしろ! 
 2軒目。ピアノがズラリ。だがクラは無い。心儀さんが店員に尋ねると、何と最初の楽器屋の直ぐ側に後2軒あるらしい。
 3軒目。狭い店内にところ狭しと楽器が…。あった!3本も。どれもクランポンだ。値段の折り合いのつきそうなのは…、中古のようだ。「日本なら絶対30万以上しますよ。」それが僅か7万円。気色満面のカキ。しかし中古は、調整など色々問題の出ることが多い。時間の無い今回には向いていない。
 4軒目。YAMAHA 「日本製は高いし、最初ので決まりだろ。」と私は言ったが、取りあえず…。やはり3本ある。安いのから試すカキ。吹いたとたん、「あれ!吹きやすい。」確かに響きが良い。ならば、もう一つ値段の高い方も、と促す。試すと、明かに違う。「音がデカイ!」チンドン屋にはばっちりだ。と言う訳で、8万円のヤマハに決定。日本人にはやっぱり日本製だ。 「柿崎”わらしべ長者”物語」一見落着。 結果オーライだが、あーあ、疲れた。カードが使えなかったり、現金を何度にも分けて下ろしたり、雨の中、私は緊張の連続だった。心儀さん、本当にありがとう。
 ホテルへ戻ると、直ぐにメンバーもやってきた。皆の無事な顔を見て、一安心。ヤレヤレ…。 

2日 (火曜日) 曇り、夜大雨
 身体中の痒さで、眠れない。掻くと、また別のところが赤くなる。拷問のようだ…。そんなわけで、身体中の発疹は酷くなるばかり、夜中に掻き毟って起きてしまう。

広大な国立博物館 博物館内ホール 我々のメインステージ

 午前中は、国立博物館の下見。何よりも機材確認と衣装振り分け、仕込みに追われる。クアラルンプールは現地で作って下さったTシャツがある。これが中々カッコいい。
 基金でご用意頂いた、昼食会。コーラス・ホテルの和食レストランで。
 午後。リハーサルとテレビ取材。これが結構大変。

久貝さんとTV 局インタビュー 報道関係者が多い

 夕食場所を探して、歩き周る。ニッコウ・ホテルの周辺で安くて、ビールの飲める店を探すのは結構大変。
 探しているうちに、スコールになる。

3日 (水曜日) 曇り時々晴れ
 パソコンは立ち上げると直ぐにエラーが出る。日時が駄目なのだ。ウィンドウズの修正で直るのかもしれないが…。電話回線の接続ジャクも調子が悪い。高速ラン回線の常備された高級ホテルに泊まっていても、それを使えない私の古いパソコン…。新しいパソコンに買い換えたいと思いながらも、U-Stage の経済状態はそれを許さない。
 部屋の冷蔵庫のビールを飲む者は居ない。安いスーパーから持ちこむ。食費を極端に切り詰め、U-Stage 活動の存続のためやりくりをしている。それでも誰一人文句を言うものはいない。ホテルを安いところに変えられれば、パソコンくらい直ぐに買いかえられるのに…。金のことを考えると、憂鬱になるばかりだ。

子供達と直ぐ友達に 博物館の周りを 博物館ロビーで

 13時よりチンドンで博物館の周りを回る。客はいない。博物館正面入り口より中へ。三味線、ジャグリング。客が居なければどうにもならない。博物館は街の外れにあり、フリーのお客さんはいない。

生声で口上 Kaja 子供を巻き込む 孤児達にプレゼント

 15時。客席遠く、正面入り口方向より演奏。それでも早く舞台に着きすぎる。200人くらいのお客。「昨日のリハを見て今日も来た」と言うお客さんがいる。これは嬉しい。
 口上、三味線、ジャグリング。ここでプレゼントと花束贈呈の儀式。雨も降って来た。フリーのお客はここで居なくなる。
 後半。獅子舞から太鼓。今にもスコールになるかと思われた空も、天気になり、まあ何とか盛り上がって終わった。
交流基金や大使館の方にも喜んで頂いた。取材などもさらにはいる。
 ホテルへ戻り。ブキビンタンの楽器屋へ、全員を引き連れ、華ちゃんとカキをご案内。ロア通りの私のお奨め屋台で食事。やっぱり美味い!歩いて、中華街へ。夫々自由行動。

4日 (木曜日) 晴れ
 11時チンドン開始。昨日よりだいぶお客は多い。写真を撮られまくるのは、日本と同じ。ただ、一旦撮影会が始まると、後は演奏していようが、別の出し物をやろうが、お構い無しになる。”遠慮”とか”状況”と言う感覚は無い、としか思えない。
 キューバの大使に紹介され、是非キューバにと。うん、キューバもいいな…。

お客さんを引き連れて 博物館に陳列された… 早く集まったお客を返す

 昨日よりはお客も沢山いる。私の英語が通じないのか、2時から開演だと言っても舞台前に集まってしまう。
2:00 地元の子供達の集まり、「Dodo 劇団」を中心とした公演とワークショップ。全員おそろいのU-StageTシャツを着て、感無量。リーダーのハッピーさん、ハイテンションで飛ばしまくる。

子供達にエクササイズから 右手、左手が難しい 太鼓を使って

 一般の客は参加し難い雰囲気だ。それでも多い時には随分沢山のお客も集まった。会館の職員達も大喜びだ。 

全員で記念撮影 ジャネットさんに折り紙を 打ち上げ会場

 オープンな空間で、小さな子供達を中心にしたワークショップ。相当心配もし、事実英語が通じなかったり、色々あったが、無事終了、喜んでもらえたようだ。
 お世話になった交流基金の皆さんやDodo 劇団の方々とローカルなお店で”打ち上げ” ビール持ちこみで…。ここは、なべが美味い!

 10日間のフリータイムが有り、一人勝手にフラフラ出来たので、実に思いで深い時間になった。旅も人生も、不定形な方が面白い。
 クアラルンプールは、小東京にいるかのようなその近代性と、多民族性、多様性に驚かされた。経済的グローバリズムによって必然的に問題化した、宗教や民族融和の一つの模範とも言えるだろう。そこへ七福神で乗込んだ我々…。問題提起としては、余りにも小さな一歩だが、私にとっては世界の新たな可能性に触れたような気がする。

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