Malayshia 番外一人旅

22日 (土曜日) 晴れ
 深夜から目覚めてしまう。トイレでシャワー(英国にあった電気式のもの。温度が低い。)を浴びるも、どんどん気分が暗くなる。こりゃだめだ。体調もあまり良くは無く、クアラルンプールの滞在延長を考え、ましなホテルを探したが、この時期は断食開けのお祭り(ハリ・ラヤ)で、値段が跳ね上がっている。どうせなら地方へ行こう。それほど遠く無い。
「地球の歩き方」をめくりながら、久貝さんもお奨めのMelaka にする。ここは今村組が[女衒」で撮影ロケに使っていた場所でもあるし…。

長距離バス乗り場

中華街の長距離バス乗り場で、チケットを買う。何とも安い8rm=240円。英語が一応通じるのだが、発音がわかり難い。チケットに書き込まれた、文字や数字も判読できない。バス停は物凄い数があり、表示を頼りにMalaka を探すも判らない。チケット売り場の姉ちゃんに、時間とプラットホームのナンバーを教えてくれと言っても、看板を見ろ、としか教えてくれない。客がひっきりなしで面倒そうだ。中央に何やらカードをつけたり外したりしている大きな看板がある。どうもあれのようだ。Malaka と6と言う数字は判るが、多分6番ホームなのだろう…、でも時間は…?途方にくれていると、若いお兄ちゃんが、片言の英語で、まだ大丈夫だ、時間がきたら教えてくれると。
無事バスに乗る。車窓から見える景色は、ジャングルだ。 マレーに来た、実感が沸いた。

Malaka
 バス停を降り、インフォーメーションセンターまで歩こうと考えたが、地図を見ても右も左も判らない。仕方無くタクシーを拾うことに、8rm だと言う。高い!だってクアラからここまで8rmだぞ。地図でみると直ぐ側のはずだ。また歩き出すも、日差しが堪らない、日射病になる。諦めてタクシーに。10rm だと。あーあ、最初のにしておけば…。これもまた旅の楽しみ。
 街中の道路は全て一方通行らしく、ぐるぐる回る。しかも渋滞が酷い。こりゃ歩いた方が早い、タクシーもお祭り値段なのだろう。バスの中で見当をつけておいたホテルに飛び込む。やはりお祭りで値段は1.5倍だ。でもフロントが親切で良さそうだ。電話も使えるし、冷蔵庫もTV も、風呂もある。決めた!
 今日からは、観光旅行だ。楽しもう!
昼飯を食いに近くの食堂に。ご飯にチャーシューを乗せたような…。2.5rm=80円
日差し対策に帽子を探す。中々良いのが無い。裏道に入って、ローカルな農機具屋で、見つけた、麦わら帽子。4rm。

MIMOSA Hotel 車はいつも渋滞 バイク屋じゃない、ただの歩道

体調が思わしくないので、マッサージを探しに歩く。だが見つからない。フロントで聞くと、ホテルに呼べると、でも高いからな…、仕方無い。 で、やっぱり聞かれた「女性にするか?」 だから答えた「これ以上疲れたく無い。」

中華街をブラブラ歩く。路頭にステージがあり、子供達が踊っている。大きな中華食堂の前では、高校生だろうか、”女子壱弐樂房”のような…。お祭りと関係あるのかないのか…?大きな肉まんが飛ぶように売れている。小学生くらいの女の子が注文を手際良くさばいている。私も一つ。しかし順番とか並ぶとか言う感覚は全く無い。私の脇から注文して買って行く。やっと買って被りつく、美味い!これは売れるわけだ。ところが、二口目を被りつくと、ガリっと、骨が入っている。ああ、これが本物なのか。骨付きで調理するから味が濃いんだな…。でも日本人には受けないだろうな…。

23日 (日曜日) 晴れ
 朝食に。このホテルの客は、顔は日本人とそっくりの東洋人ばかりだ。でも殆ど中国人。日本人と出会って挨拶もしないのは嫌だから、と言うか寂しいので、フロントで聞いてみた。やはり日本人は私独りだ。 I'm Mr.Lonly...
 Malaka の中心とも言える、スタダイスへ。博物館で、観光客は5rm と書いてあり10rm 出すと、"Small money" と言われる、1rm を何枚か出すと2rm 取られた、良いのかな…?とにかく色々な博物館が点在していて、実に面白い。クーラーが利いて過ごしやすいし。ところが幾つかの建物を抜け、サンチャゴ砦に入るところで、チケットを見せろと言う。見せると「何故、2rm なのか?」と。"I don't know." それから状況を説明してやったら、OK だって、よく判らん。どうもローカルで買った麦わら帽子が、地元民に見えるのかも、そんな訳…。とにかく2rm でオールフリーだから、ラッキーなわけだ。
 ラッキーを地元に分けてあげなければ、私は観光客なんだから。で、自転車にサイドカーをつけたような、トライショーに乗ってみる。スピーカーから歌謡曲をガンガン鳴らす。派手で煩い…、チンドン屋の上を行っているかもしれない。

スタダイス入り口 これでも相当地味な方 船からのMalaka

 昼飯は昨日見つけた5rm でセット料金のカレー屋へ。ビールも安い。良心的な店だ。味は、ま、こんなもんでしょう。
日差しの強い日中は出歩かない方がいい。ホテルで、読書、昼寝…。贅沢、贅沢。
 夕方からまた街をぶらつき、マラッカのツアーをする船を見つける。約45分、8rm. これは良い。解説が中々名調子で面白く、マラカの古い町並みも見れる。川にワニが沢山いる! どっぷり観光客。
 夜はフードコートで。ビール9rm、食事2.5rm。駄目だ、貧乏性がこびりついている。もっと贅沢しなければ…。 
ハリラヤが、新年を祝うお祭りだと、始めて判る。

造花を売っている店が多い ホテルへ帰る道 夕日を撮ったんだが…?

24日 (月曜日) 晴れ 
 せっかく長くMalaka にいるんだから、少し遠くにも行こう。アイルクローまで行ってみることに。タクシーを拾うと、35rm だと言う、「ホテルでは15rm で行くって言ってたぞ。」 「今はお祭りだ、あんな遠くまで、そんなに安く行けるか!」バス停まで歩き、再度タクシーに交渉。…25rm, …OK.  あ、カメラのメディアを忘れた!
 てわけで、マレーシアやASEAN の建物が展示してある野外博物館へ。タクシーは街中の渋滞を抜けると、右へ左へ、すっとばす。テール・ツウ・ノウズ、おいレースじゃないんだから。冷や汗が…。私の運転を荒いなどと言う奴がいるが、このタクシーに乗ってみろ、やせるぞ! 乗ってから気づいた、100rm 札しか持っていない…。日本なら2500円の買い物に一万円札で問題は無いが…。100rm なんて流通しているのをまず見ない。着いた先のチケットボックスでも駄目。すったもんだして、運転手が知り合いの運転手を見つけ、どうにか、さらに冷や汗をかく。私の英語能力が酷いせいか、こっちの人の英語が判らないことが多い。判りやすい人も居るのだが…。脂汗…。
 ここは明治村のようなところで、マレーシアの特徴的な家が展示されている。別荘を建てるのには参考になるかもしれない。家の中に様々な家財道具が展示されて(=置いてある)のだが、面白かったのは、必ず楽器や踊りなどの芸能のものがあること。「春駒」の原型と思えるようなものまである。芸能と生活が密着しているからなのか、芸能にかける比重の大きさには驚く。まあこの広い施設そのものの、あちらこちらに舞台が設置してあり、メインステージは1000人規模の施設になってるから、単なる展示だけでなく、芸能を見せるのが大きな要素なのだろう。残念ながら今はやっていないが…。それともう一つ、改めて感じたのは、日差しが強く、木陰や家の中に入ると、そよ吹く風の心地よさがしみじみ判ること。これは、感動ものだ!この強い日差しの下でどのように生活するか、随所に工夫がある。とにかくちょっと歩くと汗だくだ。
 ここから民族博物館に移動するつもりだが、また一悶着。「バスの捕まえ方を教えてくれ。」と尋ねたら、数人でわいわいやっている。結局、英語の判る兄ちゃんが、「送ってやる。」送って貰った。ラッキー!ところが博物館は休み。仕方なく隣のクーラーのきいた”マック”で、チキンバーガーとコークの昼飯。とりあえず、汗は乾いた。
 さらに隣の”ワニ園”に、目の前に動物園もあるのだが、昨日川でコモドドラゴンを見て、オラウータンよりワニ、と言う気になった。(ボルネオは類人猿の研究で有名。私はかつて進路を人類学か演劇か、で悩んだことがある。)
 で、ワニ。詰まらん。だって動かないんだもん、沢山いたけど…。興味深かったのは、蛇への餌のやり方。生きたままの小鳥や鶏などが、蛇と同じ水槽の中に入れられて、ばたついている。腹が一杯なのか、ぴくりともしない蛇。
 ここで始めて日本人家族と出くわすも、話しかけたら迷惑そうなので、離れた。
 バスに乗ってMalaka に帰る。1.5rm ボロボロのバス、今にも壊れそうな金属音がギシギシ鳴る。ドアは付いているが開けっぱなし…、降りるためのブザースイッチもあるが、ただの飾り、運転席上に大きな鏡が着いていて、降りる人がいるとそれで判る、…らしい。窓にアルミの柵がついているが、あれは落ちないようにでは無く、窓から乗り降りしないように、ではないのか…。停留所の案内も無いから、地元民以外は途中下車は不可能。大きなスピーカーが着いていて、歌謡曲をガンガン鳴らし、すっ飛ばす。急停車、多々。手すりをつかむ手に汗が滲む…。イヤー、ジェットコースターより怖い。いい経験でした。
バス乗り場の位置関係も良く判ったので、側の市場を物色。これは凄い!生活そのものがある。

アップにしたかった 有名な寺院 絶対俺の祖先

ホテルでビショビショのシャツを脱ぎ、シャワー。ビールを飲みながら、ホテル隣の屋台で買った小さな肉まんを食べる。これも美味い。
また中華街やら町の中をぶらつく。だが肉まんの店も無いし、先日の賑わいは無い。やはり特別な日だったんだな…?裏道の店で店番をするおばあちゃん、凄く絵になっている。あまりヅカヅカと人の生活に入って行くのも気が引ける。
有名な寺院で、私の祖先を発見。俺はやっぱり中国系か…。

25日 (火曜日) 曇りのち雨、のち酷い雨
 明日はクアラに帰るつもりだ。その前に、どうしてもマラカ海峡をこの目で見ておきたい。海岸沿いにあるセンチュリーホテルわきの突堤に。うーん、凄い。ここは海へ突き出すように、2階建ての桟橋を作りそこに、土産物屋やレストランを並べ、突端にはフェリーを改造したレストランのようなものが…。4〜500mはあるだろう。しかし、誰もいない、人っ子独り…。波の音と、船を係留する金属的なギシギシ言う音が響いているだけだ。一瞬、「千と千尋」の導入部のシーンを思いだした、廃墟のリゾートへ紛れ込む…。本当に、無人の店の影から”顔無し”やら妖怪がニュと現れそうだ…。 でも俺の役は、豚になって食いまくってる方か…。(顔だけで飛び跳ねるダルマ落しと言う話も…。)

まるで幽霊船 海の上のゴーストタウン マラッカ海峡を行くタンカー

 マラッカ海峡が今でも世界の重要な戦略拠点であることは間違いないだろう。ワニ達と共生するマラッカの街、その先端には近代的なホテルやショッピングセンターが立ち並び、海に向かってニュッとゴーストタウンを突き出させている。その沖を途切れることなく大型の船が行く。あの中には日本に石油を運ぶものも数多くあるのだろう。世界・経済・交流…。
 目の前の近代的ショッピングセンターでコーヒーを飲む。日本の地方都市の東京化を憂いていたが、ここはララポートとそっくり。海沿い、郊外型、内部の作りまで…。東京化では無く、経済主義の行きつくデザインなのかも知れない。
  あ、何故か判った。店が閉まっている理由、今日は元旦なんだ、それで人がいないんだ!

屋根下に1919の文字が 17世紀、ドイツ人の墓 オートバイの墓場?

英国領であったからだろう、英国的なものに良く出くわす。古い建物はその建造年を誇らしげに掲げる。そんな家がそこここにある。 この家からちょっと入った、スルタンズパレスの直ぐ裏、17〜18世紀の墓がある。そのちょっと先にはキリスト教の幼稚園もあるのだが、私には17世紀の墓の前が、20世紀のオートバイの墓場になっているのが面白かった。

 イスラムの中で唯一といって良いほど経済と近代化に成功している国、マレーシア。世界経済の重要拠点であり、多民族国家を象徴する歴史的街、Malaka、この街には世界の混沌が凝縮されているように思える。

26日 (水曜日
 
何だか夜中に目がさめた。出発の支度をする、と言っても一番面倒なのはこのPC なのだが…。
食後にコーヒーを飲みながら新聞をながめていると、あらU-Stage の公演が載っている。結構大きい。
フロントでチェックアウトをしながらその話をすると、大喜び。絶対また来いと行ってくれる。うん、また来たいな。

 バス停は水浸し。満潮になると水没状態になるようだ。ワニが上がって来ないのか不安になる。

Malaka 長距離バス停 スペシャルバス バス停から街への橋

 到着した日に帰りのことを考えて、バスのことは聞いておいたのだが、何と、チケット売り場は閉まっている。「クアプー、クアプー」と叫んでいるおじさんのところへ行ってチケットを買う。13rm だと言う。8rm じゃ無いのかと尋ねると、通常のバスは運行していない、特別バスだ、と。そうだよな、今日は日本で言えば三が日だもんな…。でかい荷物を持った観光客は俺独り。これがまたボロボロのバス。しかしTVとDVD が付いていて、またもや歌謡曲。

 Malaka は街の中心に古いマレーシアがあり、その周辺を取り巻くように、近大的ショッピングセンターやビルが立ち並ぶ。アジアのベニスにしたいのかもしれない。川は濁って、ゴミも沢山浮いている、こんな汚い川に生き物が住めるのか、とさえ思うほどだ。ところがナマズなど相当取れるようだ。潮が引くと、ムツゴロウのような魚が、泥の上をはいずっている。ワニもウヨウヨいる。生命力に溢れた濁りなのだろう。同じ”水の文化”でも、清流文化の日本と、そこが一番大きな違いかも知れない。
 住民は圧倒的に中国系が多い、ように思える。観光客になると80%は中国系だろう。街の中で聞く言葉も殆ど中国語のようだ。陸続きのベトナムやタイ、カンボジアが必死になって中国文化から自立しようとしている意味を考える。

11/26〜12/1
 クアラルンプールへ戻ってきた。色々発見も面白い所もあるのだが、後から来るメンバーの楽しみのために、日記を載せないことにする。

モスク風の中央駅 クアラにも交番が… ホテルの直ぐ側、刑務所

 ただ2点。27日、中央駅を見ようと歩いていたところ、裏道でポリスを名乗る男に職務質問にあった。しきりにパスポートか身分証を出せと言う。逆にこっちが聞き返すと、一応Police と書かれたカードを見せてくれたが、あれが本物かどうか判断がつかない。後ろに若い男がスッと忍び寄る、単なる野次馬だったのかも知れないが…。私はパスポートも金目の物も持っていなかったし、彼の物腰は紳士的で決してギャングと言う感じでは無かった。最終的に名刺一枚渡して、去って行ったが、私のポケットの中や、ウェストポーチの中を気にしていたから、もしかしたら本当に、麻薬とかの特殊警察だったのかも知れない。

 26日にクアラに戻って来て、27日の朝から頭痛がした。大したことは無いと思っていたが、午後から酷くなり、夕飯も食えなかった。肩こりが酷く、疲れかと思っていたが、28日朝になっても直らない。立上ることも出来ないほど、ホテルを変わるので、必死に荷造りをし、…気づいた。顔に2箇所、首に2箇所、左右の腕には沢山の赤い斑点が出ている。英国のユースでやられたのと同じ、ダニかそれに類する毒虫だ。頭痛の理由もそれ以外考えられない。フロントに交渉、そちらの責任だ、と。当然。日本なら交渉するまでも無く医者を呼んでくれると思うが、海外ではそうは行かない。調度、新聞を見せて滞在目的を教えたフロントが居たので、「新聞に言うぞ!」と脅すと、慌てて医者に連れていってくれた。
 カキはバスのチケットが買えなかったとかで、しばらくクアラにいて、3日前に山の方に行った。hot メールのアドレスの取りかたを教え、私とはメールで連絡をとっている。何でも10rm の宿に泊まったとか…、寒いとか。もうウアラに戻るそうだ、寂しいのだろう。カキも日記をつけているらしいので、何処かでアップしたいと思います。

 ここまでで日記を中断していたら、私の身体を心配して頂いたメールが何通か来た。心配かけてすみません。医者から貰った薬は飲みつづけています。身体中の発疹は赤く酷くなり、これが痒い。恐らく、帰国するくらいまでは残るでしょう。でも、頭痛は止んだし、元気です。全然痩せないし…。と、言うわけで、メンバーの来マレを待ちます。
 

Kuala Lumpur again