夜半から雨音が聞こえてきて初日の出はあきらめる。なんか晴れていたとしてもあきらめてしまったような眠さだ。
6:30にはすっかり明るくなってきており、テレビをつけたら本土の方はまだ真っ暗で、初日の出を中継する番組をやっていた。何とも父島は北緯27度、東経は東京と同じくらい。黄道と地軸の傾きが23.5度とは習ったことがあったが、あらためて地球というものが実感できたっすよ。
さあて雨だしなー。新年イベントが11時からだしバイクを9時に返しても2時間も何してようかな。ということで取り合えすバイクだけ返して、宿でごろごろしていることに決定。一応バイクは満タン返しなのでスタンドに行くと2Lちょっと入った。レギュラー単価が200円ちょっとでまあこれも島なのでしょうがない。
バイク屋でまた新情報。小笠原丸の到着が大幅に遅れている模様。出発は17時以降とのこと。ははは、、島に長くいられて嬉しいな。
大村海岸の新年イベントは、母島のラムとリキュールの試飲、島野菜と果物の試食、餅蒔きやら豪華景品の当たる抽選会やら、昨日のカウントダウン等も無料で良くやってくれるものである。
あと日本一早い海開きで、雨もやんで私も泳ぎたくなった。海に手をつけると海水が温かい。結構泳いでいる人もいて水の中の方が暖かいとのこと。あー海パンもって来てたのになー。
まあ、私には餅蒔きの餅が偶然、肩と顎の間に挟まったくらいで、豪華景品には縁がなかった。毎年の大当たりでは「小笠原丸往復ペアチケット」というのがあり、今年は島の子が持って行った。でも、こちらの子供も1年のうち何回も東京に出られないだろうし、良かったんでないかい。
抽選会が終わるとグッと人が減ってしまうのはちょっと冷たいんでない。その後の南洋踊りとkaka(タマナの木をくり抜いた打楽器。ギンネムのバチで叩く。)の演奏には感激で、衣装を着たおばさんと記念撮影してしまった。本当にこちらの人は生き生きしている。
最後は亀の放流。亀センターのお兄さん、お姉さんが来て子亀を子供に持たせていて、本当は私も持ちたかった。
亀を見たものだから、最後にもう一度亀が食いたくなり大村の勘佐へ繰り出す。今回は亀の臓物の煮込みにも挑戦した。仕上げは島寿司。今回は冷酒(高清水だった)で食べる。んんー旨い。
乗船手続きは16時からとのことで、子供たちへや職場へのお土産をゆっくりと買うことができた。後はまたビジターセンターによって見ていないスライドを見せてもらった。
のんびりしていたら、16時半近くになり、Eデッキになってしまった。船首の方なのできついぞこれは。客待ち所では今回の旅で出会った人殆どに合うことができて、こんなに早く帰るのは私だけかななどとも思っていたのだが、みんな忙しいんだよね。
静岡の彼女たちの今日も一所懸命に見学に励んでいたらしく、鯨が見られたと喜んでいた。今日1日だらけていた私より偉い!!若いねー。
17時半に船に乗り込むと直ぐジャンが鳴り出発、うぇー早いぞ。乗り込みの時、私にとっては再びの、南洋踊りとkakaでお見送りをしてくれた。
船は18時には岸を離れていた。夜だというのに見送りがすごい。2艘の小型艇がしばらく併走してくれた。これではまた来たくなるわけだ。
外洋に出ると船が揺れ出す。初日のははじま丸にすればたいしたことはないが、食欲があるうちレストランに行ってまたしてもステーキとビール。後は寝てしまった。
翌朝は売店でカップのたらこスパゲッティーをつまみにビール。船の揺れが激しいためか出歩いている人が少ないようだ。ロビーもすいておりのんびりと新聞を読めた。(といっても帰りの船なので去年の新聞なんだな)あとはラウンジの椅子が空いていたので、ラム酒を飲みながら旅行記を携帯端末に打ち込んでいた。あまり動かないのでお腹がすかず昼は抜いて夕食に島塩ラーメンを食べた。
東京着は20時30分。急いで東京駅に向かったが、20:44の新幹線に1分差で乗り遅れ、50分後の最終で福島まで。3日は職場の宿日直が当たっているし4日は新年会。家に帰れるのは5日の夜。
まあがんばって働いてまた島に行きましょう。

2005年1月1日(雨のち晴れ)
「私の心をあなたのために
たいへん痩せた死ぬかもしれません」
南洋踊りの歌詞はなにかせつない
またやってます。この田舎モン。
新年あけまして(*)
ございます(*)
亀の放流「帰って来いよー」
亀の煮込みと刺身(亀を見たらつい)
おがさわら丸と併走で見送り
本当は手を海水につけただけ
このギャップ!!
お土産のブンタン→
(*)は静岡県の松下さんの作品です。
まだあるよ!!