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都市の消滅
city_extinction



 カントは「永遠平和のために」で、世界を一つの政府に統合する「地球政府」は危険であると警告しました。
 すべてを単一政府とすることは、少数文化・民族の圧迫・略奪につながる可能性を指摘したのです。すばらしいです。

 では、どこまで少数民族は自治政府を作って独立できるのでしょうか。
 カタルーニャや、タタールや琉球は独立していいでしょうか。チベットやクルドは独立すべきだと個人的には思います。
 でも、具体的基準というと、その回答はまだありません。

 ある共通の絆をもったある程度の人間の集団は、自ら立法し、行政し、司法があり、それらが独立して、独裁制ではない。
 そして、直接民主制という全体主義・専制主義ではないこと。
 
つまり間接民主共和制であることが独立国の条件で、それらが集まって地球連合を作るという構想をカントは示しました。

 独立国の領域をどこに設定するか。その線引きはどうするか。同一言語・同一文化でも別国家となっている場合はよいのか(スイスとリヒテンシュタインなど)

 そして統治を考える場合、都市の問題を避けることはできません。



 都市は、統治のすべてです。政府そのものです。
 戦争で首都が陥落すれば、それでおしまいでしょう。

 都市は、個人の生涯にとっても、理想・あこがれ・希望の場所になりえます。
 でも現実は、そんな夢見る人を飲み込んですりつぶすブラックホールとして機能してきたのも間違いありません。


 都市のもともとの問題点として

1 政治的圧迫
 人口の大多数が、少数の権力と富を持つ上層階級により支配されます。そして支配層の王族、貴族、上流階級とその周辺の人々は都市に集中します。
 通常の人達は、社会に政治的に参加できず自治を奪われます。武力による脅迫権力です。事実上、立法も行政も都市が独占します。
 

2 経済搾取
 持続可能な「富・資源・エネルギー」という社会の生命線のかなりの部分は農業など広大な農村地帯で生産されます。都市では付加価値をつけることしかできません。
 しかし、その富の処分の方法は、支配層によって決定されます。
 具体的に言えば、生産者から所有権が剥奪されて支配層に移動していきます。
 土地の不在所有、課税、負債の元本と利息の弁済、小作契約など
 のシステムや法律を作って、とりあげる仕組みを作るから、都市が存在できます。報酬とその裏側の略奪による支配・権力です。 

3 宗教的合法化
 倫理的合理化といってもいいです。条件付け権力です。
 中世までは宗教的権威は、支配者の行動を正当化する強力な道具でした。
 なにしろ王は神から統治権をもらったという究極の権威をもっているのですから、逆らえば神の怒りをうけて地獄におちかねない。としたら精神的な従順は仕方ないです。(よほどでなければ反抗できません)(神仏がこんな世を作ったのだ、しかたないではないか)
 そして、これを具体化する宗教的権威の偶像・・神殿・寺院は都市に置かれるか、信仰の中心地として宗教都市になってしまうのです。

 などがあります。
 これが、古代から現代まで変わることない、人間社会のあたりまえの姿でした。
 人類の正常な姿。だといっていいですが、このように羅列されると、だれでも、「都市は本当に必要なのか」と脳裏をよぎるものがあるかもしれません。

 問題はさらに根源的に続きます。 これまで、他の文章で論じたように、


 都市は内部人口を抑圧して減少させ、周辺地区から人間を吸収しながら規模を維持し、

 あらゆる意味で持続可能でなく、持続可能であるはずの物質循環を阻害して、

 長期的に広範囲の土地生産性を劣化させて文明の衰退までもたらすもの

 だと明らかにしたつもりです。


 都市をどのようにコントロールするか、末端の個人レベルで考えて、都市の膨張に手を貸さない自立した生活を、同時に人間集団の秩序の統治を、どのように確立するかが、「千年のうち」のテーマのひとつです。

 そのため、わたしの考えるところの突破口が

 「ジェイコブズの二つの倫理」の解析による、精神慣性の打破と、

 「義の王国」にしめされる新しい社会・ライフスタイルの推進だと思うのです。


ミカ書4 : 4
「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、イチジクの木の下に座り、脅かすものは何もない」
とミカは預言しました。その考えるところは
 公正・自分の土地をもつこと
 繁栄・自分の果樹・生産手段によって生活手段を担保すること
 安全・脅かされることがないこと

 なのでしょう。


2016/9/9
T.Sakurai  「最後の一週間」から一部引用。