翻訳コーナー(4) 日本文

フローニにささぐ追憶

ヨハンナ・スピリ作 1871

T.Sakurai 訳 翻訳について



 わたしが9月になって避暑地の山村から街へと帰ってきたとき、真っ先に足をはこんだのは病院でした。

 そこは、旅立つ前、最後に私が訪れた場所でもあります。

 門を入ってすぐに、私のことをよく知っている女性職員が迎えてくれて、私が何を知りたいかわかって、教会をさししめします。

「あの人は、あそこで眠りにつきました」と言いました。

 私はお墓の番号をたずねました。

 でも、本当は聞くまでもなかったのです。

 身寄りがなく、愛する人の手で葬られない人のお墓は、ただ埋められて墓標もなく、土がもりあがっているだけなのです。

 静かで穏やかな空間でした。

 夕日が、草おいしげる盛り土に最後の光を投げかけています。

 その向こうには、雪をかぶった山々が、遠い昔から変わることなく輝いています。

 ここで彼女と私は、いくどとなく夕日の中、いくつもの小高い丘をめぐり歩いたのでした。

 そんな思い出の場所は、いま、静寂の中にありました。

 あのころ、この世の生活は、いかに豊かに、広々と、未知の壮麗さに満ちて、我々の眼前に広がっていたことでしょう!

――これほど多くの年月が、あのころから過ぎ去ってしまったなど、ありうることだろうか?

 その響きは今はもう消えているが、もう一度わたしにあの言葉を歌ってくれるのを聞いたような気がした。

 「待つがいい。もうすぐ、すぐに
  おまえもまた眠るのだから!」

 
(ゲーテの傑作詩「山々に憩いあり」 リスト曲 より) 

 私のお友達・あなたのお墓には十字架が立つこともなく、だれもあなたの名前を知ることもない。

 でも、私のたくさんの思い出がこのお墓へとからみついていく。

 私は、あなたのお墓にひとひら(一枚)の木の葉のような、短い文を書いてささげようと思う。

 もしかしたら、それを誰かが読んで、私とともに、心満ちた気持ちになってくれるかもしれません。

 あなたはいま

「大地にいだかれた ささやかなベッドで やすらかに」

(「Nun ruhen alle Wlder」「草木も人も」讃美歌41 6連より パウル・ゲルハルト詩 エーベリング曲1647 またはBWV392)

 あるのだから・・。


 山あいの村の白い小さい教会のとなりに、一軒の古い家がありました。

 わたしはそこで20年の月日をすごしました。

 目を開いて、心を開いて、すばらしく楽しい日々でした。

 この地上の小さな場所は、大いなる神のめぐみに満ちていたのです。

 この古い家は学校で、私は村の子供たちと人生最初の授業を受けたのでした。

 人数は少なかった。

 ですから、私たちには知りたいと思ったとき、必要な答えが与えられました。

 私たちがなにか望んだり、私の小さな希望でも、かなえられたのでした。

 だいたいわかっている問題があって、答えがなんとなくわかっているときに私が質問するのは、面白いものです。

 そこでの私の座席は、ずっと最後まで窓のすぐそばです。

 そしてたいてい私は、緑の草原をながめていました。

 太陽の光が暖かく地面にふりそそぎ、青い空の中に白いちょうちょたちが、ひらひらとかわいらしくのぼっていきます。

 そして更にその向こう、草原の細い道から、丘を下った先でトネリコの木の下にでます。

 そこは、とても気持ち良く風が吹きぬけ、ざわざわと音を立てているのです。

 だれでも、その下にくれば、足をとめてしまいます!

 たくさん教えられた敬虔で正しい教訓は、教会の雑用係の娘ベロニカの心を動かしませんでした。

 彼女は、教室では私の隣に座っていました。

「教会住まいのフローニ」と、私たちは呼びました。

 それに彼女は、あまり誰かと知り合って集団でいようとしませんでした。

 それどころか、自分の変わったところを隠し立てしないのが好みなのでした。

 成長していくあいだ、彼女は学校のクラスで成績がいい優等生でいました。

 私はずっと彼女のそばにいて、真心をもって付き合い、支えたりしました。

 確かに、彼女の外見は、私になにかこのような行動を起こさせる特別な何かをもっていました。

 その何かは、これから死にゆくときにあったときでも、存在していたのです。

 彼女のグレーの両目は、物事を見通すような賢い輝きがある一方、小さくてまるまった鼻は、純真な無邪気さを表しています。

 ですからだれもが彼女には二つの違った性質を持っているのだとわかるのです。

 いたずらっぽい口元が何か違うというとき、からかうように下から上に微笑むのです。

 私たちは親友だったのです。

 二人が目をあわすとき、いつだって笑いがこみあげて、二人とも抑えきれません。

 この昔の出来事を思うと、あのとき私たちは心の何を伝え合ったのでしょう。

 この予感は私たち二人に何をもたらすことになるのでしょう。

 それは私たちに、授業中、何度も困ったことをもたらしました。

 というのは、年取った女教師の目は、しっかりと自分の生徒たちに注意深く観察していましたからです。新聞を読んでいるときもです。

 ああ、それでも、ついに楽しい自由の時間を告げる、あの四時の時計の鐘の音が鳴る。毎日願ってやまないもの!

 その後に開かれるドア、外へと駆け出す私たち。夕暮れの風の中へと、喜びの声たからかに、思いっきり笑いころげながらどんどん先へ出ていきます。

 夕方の終わりに、たいてい私たちはもう一度いっしょになります。

 一日がまさに終わろうとするときもフローニが自由な時間の終わりの瞬間でした。

 私たちは教会墓地の壁によじ登り、反対側の道の上へと飛び降り、芝生に座ろうと草原へとかけていきます。

 そこはトネリコがざわざわと音をたて、空は夕暮れを金色にそめあげています。

 明るい夕暮れの空のはるか向こうにピラトス山(Pilatusberges)の暗く尖った岩肌がそびえたち、あたりの丘々は夕日をあびて、緑の美しさに目をみはらせます。

 そのとき、教会から鐘の鳴り響く音が聞こえてきます。

 私たちは静かにたたずみ、耳を傾け、

 遠いかなたの岩山のいただきが、あわく光って消えていくのに目をみはります。

 いくどとなく、フローニはこんな夕べにわたしをドキリとさせました。

 私たちがそこにたたずんでながめていると急に、彼女の両目がふしぎに熱っぽく、沈んでいく太陽のように熱をおび、表情が変わっていくからです。

 それで、ある考えが、ふと私の心をよぎります。

 もしかしたら、フローニは王家の高貴な血筋を引いているのかもしれない。と。

 でも、そのあと年取った教会の雑役夫が、教会の鍵束をもってきて、祈祷の鐘がなりおわると、フローニの表情や態度は一変しました。

 それまでとまるでちがって普通になり、特別な様子はなくなります。

 ただ何か抑えつけた静かな不満が、彼女の両目に残っているだけです。

 無言で私たちは別れました。

 二人ともあの無口な老人を怖く感じていました。

 フローニは自分の父についていきました。

 仕事にいく時間だったのです。

 そのあと私は、もういちど夕暮れの静かな草原の小道をあてどない散策をし、戻ってきたあと、教会付属の住居の低い窓に歩みよります。

 部屋の中に、石油ランプのぼんやりとした光の中で、年取った雑役夫は、無表情で生気なく、機織り機の前に座っていました。

 その後ろの壁際にフローニはいました。

 糸巻き車を、まるで心の中の炎のように、指と車輪を休みなく動かして、回したり止めたりしています。

 フローニにはお母さんがいません。

 彼女は自分と父のために、つつましい生活をしていました。

 二人は教会の雑用や絹の機織りでどこでも手を動かしていないといけません。

 まるで父のつむぎ車輪のそばで娘の小さな紡錘がクルクル回るようです。やらねばならない事がたくさんあるのです。

 こうしてフローニは、毎晩、たくさんの仕事をこなしていきます。

 他のこどもたちが、とっくにその日の喜びも悲しみも、まどろみの中に忘れてしまえる時だというのに・・。

 フローニはしっかりとした強い性格をもっていました。

 それが彼女の本質の一つで、私の心をひきつけたのです。

 そのほかの彼女の別の一面として、詩を感じて生み出す心、空想力といったものがありました。

 それは彼女に、いくどとなく瞬時に詩情を心の内からわきださせました。

 そんな雰囲気が私たちをとりまき、ひたしていたのです。

 確かなことは、少なくともこの時、人生でこの時にしかない、かけがえのない精神の芽生えの時期がおとずれていました。

 一方、それはそれぞれのもつ存在と性質のすべてが姿を現すときです。

 たしかに彼女は、一度ぐらい言葉の世界で、外へ駆け出すことはできた。しかしそれだけでした。

 あなたに声をかけて連れ出し、わたしたち二人だけですごした、あの春の夕べにように。
 ああ、わが親友のフローニ!

 私はあの時のことを、すこしだって忘れたりしない。あなただってきっとそうよ。

 一度だって、あなたは断らなかった。いつだって私をうけいれてくれた。


 4月の最初の日でした。

 アルプスを越えてきたフェーンという熱くて乾いた風が、山の上の最後の雪を、みるみる溶かしていました。

 太陽は庭にさく黄色のサクラソウのうえに、暖かい光を輝かせます。

 私は窓際にたち、教会へと下っている道をながめます。

 夜の間に、暖かい風(フェーン)が道を乾かしていました。


 ちょうどいま、土曜日の夕の鐘がひびきはじめ、日曜の聖日の始まりをつげます。
 (日没が一日の終わりで翌日の始まり。日曜日は土曜日の日没から始まる。クリスマスイブと同じ)

 西洋梨の木のすぐそばに、アムゼル(クロツグミ)がとまり、春の夕べを可愛らしく歌います。

 私をひきとめるものはありません。つい外へいかずにいられません。

 わずかにはずむ足取りで、丘を駆け下りました。

 教会の小さな家の扉のところにフローニは立っていて、わたしをむかえてくれます。

「ねえ、はやく!」私はさけぶ

「お日様が、古いカシ(オーク)の(木の生えているところ)の斜面を乾かして(気持ちよくして)くれてるわ。

 それに生垣のしたにはスミレがあるのよ。

 二人でつんできましょう。いきましょうよ。すぐに!」

「わたし、面倒なみがき仕事があるのよ」

 フローニは、ほとんどなげやりな顔で言います。

「くればいいじゃない。ねえ」私はせきたてます。

「スミレを、根のついた株ごと、もってくるの。

 すぐに、ここにもどってこれるから!」

 それで充分でした。

 手と手をつないで、私たちは古い納屋のそばを通り過ぎて、駈けていきます。

 夕方の光の中で緑の斜面はすっかり乾いていて、ほんとうに気持ちよい空間が広がっています。

 そして小鳥たちはオークの古木の高みにとまり、楽しくさえずっているのです。

「この草の上にすわりましょうよ」

 フローニはいいます。

 私の気持ちと同じです。うれしかった。

 その日の夕べは、すばらしく、おだやかで、かぐわしいひと時でした。

 私たちの頭上をこえて、そよ風が歩くようにオークの枝を通り抜け、

 足元をすぎいく風は、さわさわとすがすがしい穏やかさで、さざ波のように谷そこへと向かいます。

 いまやお日様は、はるかな西のジュラ山脈のむこうへと沈んでいき、雪山の頂きが赤く燃えるのを私たちに見せてくれます。

 フローニはみじろぎもせず、じっとそのかなたを見つめます。

「あなた、どう思う。 あのね、あの高い山のふもとに何があると思う?」

 とつぜん聞いてきました。

 そして私が答えるのを待たないで、自分で先に話つづけます。

「みてよ! なんてきれいに光ってるの!

 私思うの。あの山の彼方に、広々とした暖かい土地があるわ。いつも太陽がかがやいているのよ。

 そしてね、きれいなお庭たちには、赤い花々と、金色の大きなリンゴがなっている。

 前に私、そんなふうに読んだことがある。

 むこうでは、私たちのとこみたいに、小さな家の暗い部屋で、つむぎ車の前ですわってなきゃいけないこともない。

 そうよ。わたしはどうしてもいきたいの。

 すぐにでも、あのきらめきかがやく雪の山々を飛び越え向こうに飛んでいけるなら。

 そして、もうけっして戻ってこないのなら!」

「なんでいきたいの? 遠いところよ?」私はたずねます。

 彼女は、希望のバラ色にほのかに光る雪原を、くいいるように見つめたままです。

 そのまましばらくたってから言います。

「私ねえ、見たこともないお花たちの香りのする、どこかのきれいなお庭にすわっているのよ。

 そしてね、わたし竪琴を持って、すてきな歌をつくって、一日中歌っているの。」

「ねえ、あなた、どうやって歌を作るかしってるの?」私は尋ねました。

「ええ、もちろん」彼女は答えます。

「夜にね、 私はずっと暗い居間でつむぎ車の側にすわってなきゃだめでしょ、

 そんなときね。私、いくつものきれいな歌やお日様やお花たちのことを思い浮かべるの。

 そして歌をつくるの。それを心の中で歌っているの」

「歌ってみて、フローニ。お願い!」

 フローニは自分で歌をつくっている。という驚くべきことをいいだしたのです。

 私の胸はたかなりました。

 今となってはその歌はほとんど覚えていません。でも終わりの部分はこんなふうでした。



「♪小さな、教会小屋の家

 とうさん、わたしはおもてに出たいのです!」と。


「それからどんなふうに歌うの?」

 私はたずねました。

「いつだって、自分の思うままによ」と言います。

「でもね、一番きれいなのは、詩に小鳥たちが出てくる場合。

 前にいちどあなた言ったよね。その詩は他のどんな詩よりもすばらしいのよ。

 賛美歌の本にのってるどれよりもね。」

「お願いもう一度歌ってみて。フローニ!」


「♪小鳥たちは

  森のなかに眠ってる

  さあお待ち、

  まもなくおまえも休むとき!」


「フローニ。あなたは大人になったら何をするの?」そして私はたずねました。

「わたしは幸せになる。きっと。」

 答えは意外でした。

 私は彼女がきっと「歌手になる」と言うのだと思っていました。

 ふつう人は、なにが本当にできるのかを考えてから、結論をだすはずです。

 しかしフローニの答えはいつも予想をこえるところがありました。

 そう思って、私は彼女をおどろきをもって見たのです。

「そうよ。そうなのよ」彼女はいいます。

「それがね、私の一番の願いごと。

 そうなりたい。

 幸せな人間でいたい。

 大きな喜びを、私は私の心の中に持っていたいの

 いつまでも、けっして消えることがないような、よろこびなのよ!」

 山々は、あざやかな輝きを失っていました。

 相変わらずフローニははるか雪山の向こうの夢の世界へと、求めてやまない気持ちでまなざしを向けています。

 そのとき、わたしは向こう側の丘のうす暗いモミの森の上に、一番星の宵の明星を見いだして、はっと気がついたことがありました。

「ねえ、フローニ。すぐに夜になるわ。

 あなた、かたづける仕事があるんでしょ。」

 あっ。と、少し、しまったような表情が浮かびました。

 でも、すぐに平静にもどります。

 彼女は起き上がって、落ちついて言いました。

「私ぶたれるでしょうね。家へ帰ったら。

 でもね、ここはすてきだったわ!

 わたしはなにもしないより、ぶたれてもよろこびがあったほうがいい」

 私たちはだまりこくって、畑のあいだを通って教会の用務員の住まいへとくだっていきました。

 スミレのことは忘れていました。

 もうどうでもよかったのです。

 私は気が重たかった。フローニはこれから怒られなければならない。

 彼女が仕事をしないで飛び出したからで、これは私に責任がありました。


 フローニはわたしより二歳年上です。

 でも私たちのような田舎の学校では、あまり気にする人はいませんでした。

 私たちは一緒に学校を卒業しました。

 それからフローニはつむぎ車から、より難しい機織り機の仕事につきました。

 それが私たちの地方の、婦人や少女達のふつうの仕事です。

 私は父の家からはなれて、街へと出ることになりました。

 ちゃんとした教養を身につけるためで、ただの街へのあこがれではありません。
 (スピリはチューリッヒで親戚の家に下宿してフランス語とピアノを習った)

 数年のあと、私はさらに続いて、風光美しいヴォー地方(スイス・フランス語圏)に移ってすごすことになりました。

 それは私のすぐに飛び出してしまうおちつきのない性質を、フランス風の優雅さの中で暮らすことで、押さえ込んで、変えてしまおうとしたのかもしれない。

 でも、まったくそうはならなかったのです。

 私が街ですごし(修行時代を)終えて生家に帰ってきたとき、前と変わらずにあの梨の古木は庭の生垣のそばにたち、クロウタツグミは、さえずり歌っていました。

 かなたには雪山が輝き、白壁の教会からは、これも変わらずに夕暮れの鐘がなりひびきます。でも、なんとなくすべてが以前とは違っていました。

 人はみな、変わっていきます。

 大きく成長していたり、年老いてしまったり、と。

 フローニは、まったく行方がわからなくなりました

 だれもどこに行ったか知っているという人はいません。

 私はあることを耳にしましたが、本当のことを知っているのは一人もいません。
 だれも彼女から直接聞いたわけではないのです。

 一人の若い大工が村にやってきたというのです。

 ごうまんな性格で、乱暴で、陰険な目つきをしていました。

 ですから、だれもが彼に出会うと怖がって、遠ざかってしまいます。

 ただ、フローニだけが、いつのまにか彼に興味をしめしていたのです。

 19歳になるとすぐさま、彼女はある朝、その性格の悪い大工と、私たちの村の小さな教会で結婚式をあげました。

 そして、まもなく妻をつれて、姿を消してしまいました。

 人々は不審に思いながら、彼女を見送りました。

 それでも私は、何か知りたいと思いましたが、だめでした。だれもくわしいことは知らなかったのです。

 その後、私の人生には新たに関心をひきつけることがいくつもありました。

 多くのことを体験し、夢中になり、わすれさり、そしてあれほど歩いた故郷の小道のことも思い起こすことはなくなっていました。

 私は、私にあたえられた人生を歩んでいったのです。

 昔の日々のことや、フローニのこともそうなったのです。

 彼女の消息を、私は聞くことはなく、そのことを考えることもほとんどなくなってしまいました。

 でも、思い出は、心の片隅にありつづけました。

 緑の丘の、古いオークの木の下にいると、ふと思い出が心をよぎるのです。

 いくど私は、あの丘のモミの木の下から、山の清水がかたわらにしぶきをあげつつ、休むことなくはるかかなたに向かって流れ下っていき、いつまでも変わり続け、同時にいつまでも変わらないようすをながめたことでしょう。

 黄金色の朝焼けの、まわりのすべてがまだ眠りの中に休んでいるときに、わたしは日の出を見るために、いち早く体をおこし、世界が目をさまそうとしている朝の息吹を呼吸するのです。

 その中に私はいて、自分を壮大な叙事詩(オデッセイ)の一部として感じます。
 (叙事詩 英雄オデッセウスのトロイ陥落から10年におよぶさすらいと帰郷の物語。ギリシャの詩人・ホメロス作。)

 また、その日の、最後の夕日が輝いて、雪山を燃え上がらせるとき、私はふたたび立ち上がり、身を高くのりだします。

「我が心とひとつなるギリシャの故地を、探しもとめん」とホメロスが歌い、ゲーテが書いたように・・。(イフィゲネー(アガメムノンの娘が故郷ギリシャをもとめる言葉)(ゲーテ(作))からの引用)

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 そのまま私は、おだやかな五月の夕べに立ち続けます。

 沈み行く太陽が照らし出す、私の前に広がる燃えるような雪の野原。

 いくつもの丘は、萌えはじめた緑の中です。

 アムゼル・ツグミは私の上のこずえのなかで、春を甘くさえずり歌う。

そして、私の足元には、とけたばかりの雪解け水が、さらさらと流れていきます。

 私の心は、幸せに満たされる。

「そうです。すべてはあなたの くすしきしわざ

 世のはじめより なんと美しきものがあるのだろう!」

 (ゲーテ ファウスト・プロローグ 三人の天使の唱和の末尾。この世の美しさの賛美。)


 心の中に、目にとらえられないほど豊かにあふれる素晴らしいものが、くっきりとうかび、私を喜びにひたしてくれました。

 同時にこれを私が感じとれるのは、最高の詩人の創造のおかげと実感しました。

 あの「言葉」を私に教えてくれたのです。

 かの人は、のどが渇き、飲みたいと願う私を泉に導きました。そして私は喜びに心満たされて、渇きをいやしたのです。

 泉は尽きることなく、どんな人の渇きにも十分なのですから。


 私は立ってオークの木によりかかる。

 そよ風が、スミレの甘い香りをはこんでくれる。

 そこにいると、とつぜんフローニの思い出。あの四月の夜のことが私の心にありありと浮かぶのです。

 あの時この場所の近くで、彼女は私の隣に座っていた。

 それは楽しい思い出。決してわすれらない出来事。

 そして、どんどんと、今、私の心の中でふくらんでいきます。

 私は自らに語りかけます。

 私は、すべての人々の心に向かって、大声で呼びかけたい!

 痛む心を胸をいだいて、私は青と金色にそまる夕空をみすえていました。

 そのとき、だんだんと近づいてくる足音に気がつきます。

 息を切らしてやってくるのは仕立て屋の年取った奥さんとわかりました。

 そのアンネおばあさんは、とがった鼻をしていて、以前からずっと長いこと教会の隣の隣に住んでいます。

 そして彼女は、フローニと私から、よくからかわれていたので、冷たい目をいつも私たちにむけていました。

 彼女自身が「なんともおもっちゃいなかったよ」と言ってくれたように、私たちも悪意があったわけではないのでしたが。


 ある考えが、ふいに浮かびました。

 あの人はなにかフローニについて知っているかも知れない。

 私は大声で呼びかけました。

「こんばんは、アンさん。 また会えて、うれしいわ」

「そうね。ひさしぶり」そっけなく返事します。

 それでも、こっちへ歩いてきて、握手に手をさしだしました。

 私はすぐに、彼女にフローニのことについて話してくれるかたずねました。

「そうよね」彼女は言います。「私たちまたお隣さんってことね」

 その答えは私を喜ばせました。

「そうなの、あなたの知ってることみんな話してくれない?」私は言った。

「私、フローニがとても大切な友達でした」

「そうだろうね」彼女はひどくさげすむような態度です。

「一緒に学校に行ってた人たちは、バカにしてるよ。まともな人ならね。

 まったく、それがそんな人ならうまくいくし、ちがっちまえば不幸になるさ。

 あとはもう、だれひとりとして知っちゃいないね」

「不幸になった? フローニは不幸せになったっていうの!?」

 予期せぬことに私は問い詰めます。

「あったりまえさ」老女はいいます。

「だけどね、あの人はなんにも言えないよ。そんなふうに人はみちまうのさ。」

 そのころからすでに白髪だった老女は、何も自分からは言おうとしなかった。

 当時、どのように、フローニが男とむすびついたか。をです。

「話して。アンさん。」知りたくてたまらずにお願いします。

「どのくらい知ってるの? 彼女がその大工の奥さんになったいきさつを」


「わたしが知ってるかですって?」

 肩をすくめて言い、近づいてきました。これで話が聞けると私は思いこみました。"

「わたしぁね、たしかにあのとき隣に住んでたよ。ぜんぶわかったさ。

 あの人にたっぷりとお説教したもんさ。

 あの大工は、たちが悪くて落ち着きようがないよ。

 あんなギラギラ乱暴そうに目をギョロギョロさせているようじゃぁね。

 でもね、あいつはいろいろなところを旅してきていて、日ごとにいろんな話をするのさ。

 海のむこうのいろんな世界を、大きな船で旅してみてきたよ、見たことのない高い木が何本も生えていて色とりどりの鳥がそこにとまっているよ、とか。

 その下には大きな赤い花たちが咲きほこって、炎が燃え上がるようようだった、とかさ。

 そんなふうに話してるのをフローニがまた気に入ってさあ、そばにいってどの話も、熱心に聴いているのさ。

 私がそれをながめてね、一度言ったことがあるよ。

 「フローニ、あんた、不幸せにまっしぐらだよ」

 すると、とんでもない冗談みたいに受け取って、ふきだしたように笑ったのさ。

 一度この道を日暮れてから通ったけど、ちょうどいま私たちのいるこのオークの木の下にあの娘が立っていたよ。

 そして、体をまっすぐにして立って、夕焼け雲をなんだか思いつめたようにみてたんだよ。

 「フローニッ」ってわたし声かけたよ。

 あんた走って帰んなきゃ、冗談じゃすまなくなるよ!」。

 「もういいのよ」ってあの子いうじゃない。

 「私、絶対にでていく。あの人と私は、遠くの広々としたところに旅立つわ」

 フローニはいつもよけいなことで頭がいっぱいで、他の人たちと同じようにできなかった。

 そして、あの子はやらなきゃならないことをぜんぶ放り出して逃げ出しちまった」

「それで、あの子は一緒にどこにいったの?」私はたずねた。

「それについては、なにも言うことないね」 老婦はつづけました。

「でもね、少し年月が流れてから、彼女突然ここにもどってきたよ。

 そしてさ、あるときおもいがけずに私とフローニは、村の中のここと反対側で出くわしたのさ」

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「フローニはそのとき元気だった? 前と変わったところはなかった?」

「いいや。ひどくやつれてたよ。

 だからさ、わたしゃあの娘がどんなふうに暮らしてたか、何もいわなくたってよくわかった。

 あの男はいきなり怒り出すし、そしたら、たちまち手近なものや嫁さんのフローニに手をだして、ひどくあたりちらすのさ」

「なんてことを・・。みんなはなにがどうなってるのか、ちゃんと知ってなかったの?」

「いやっていうほど知ってたさ。 あいつを見たときに、わたしにゃなにがどうなるかなんて。

 一度、あそこから、ひどく泣き叫ぶのを耳にしたんで、走っていって見に行ったよ。なにが起こってるかね。

 私が玄関を開けたら、あの大工は彼女から手を離して、私のすぐよこを走って外に走り出しちまったよ。

 目はね、地獄の炎みたいにギラギラしてたね。

 部屋の中ではフローニが、テーブルに向かって頭を両手でかかえていた。

 額からね、ポタポタ血がしたたってたんだよ。

 あの人、死んだみたいに真っ青な顔色で、なんにも言わなかった。

 すぐそばの床にひとりの小さな男の子が座って、火がついたみたいにワンワン泣いてた。

 フローニは私を見ようともしなかったね。私はじっくりと見てたけどね。

 玄関をもとどおり閉めて、わたしゃ出て行ったよ。

 それからっていうもの、あっちで泣き叫ぶ声がするとき、なにがおこってるか、よーくわかるようになった。」

「どうしてフローニは、いつもされるがままなんでしょう?」

「いつもじゃないさ。一度はあの人プイっとでていっちまってさ、三日ほど姿を消しちまった。

 4日めの晩に、わたしゃフローニがもどってきたのを薄暗がりのなかで見たね。あの人からは私は見なかったけど。

 彼女、音を立てないようにつかれきったようすで、こっちのほうにソロソロと歩いてきた。

 それはあの人が年取って元気がなくなったんじゃない。

 頭になにもかぶってなかったんだけどね、私はあの人の心の中のなにかがこわれちゃったように見えちまったよ。

 フローニはいつだって強情で、いい忠告だって聞き入れようとしやしない。

 でもね、私が、こそこそと元のつらい居場所にもどってくるあの人をみかけたらさ、弱気になっててすぐに目に涙をうかべて言ってきたよ。『こんばんは』ってね!」

 急いで言い終わると老アンは、丘の下に走り降りていった。

 私は、衝撃にうちのめされていた。

 木のフェンスの手すりにつかまって、何とか体をささえ、たちなおります。

 私は自分の心の中に、自分を支える大切なものを捜しました。

 それがあれば、私はすぐ以前のように、私の気持ちを高くふるいたたせられる。

 それは、なんといっても救いであり、慰めとなるものであり、フローニ自身のために見出してあげて、ぜひとも素晴らしい贈り物としてとどけてあげようと思いました。

 まったくもって、私の心の喜びの杯から、いくらか中身がこぼれおちたとしても、私はきっと立ち直れるはずです。

 そんな自分だったのに、そのときはちがった。

 すべての良きものからうけるはずの「力」がなくなっていました。

 言葉ではとても言いあらわせないほどの心の痛みです。

 私はオークの下にすわりこんで、泣きました。

 その場所に長い間いて、立ち去るとき、暗いモミの木の上に宵の明星がでていた。

 星は空から語りかけるように、まさにそこにいた。

 私のよこで、フローニが子どもらしく光り輝く目をして、未来のすばらしい幸せの日々を、熱情をもって追い求めていたときのように。

 どうして私は、そんなときにフローニのところに行かなかったか?

 私はあの夜、オークのそばで泣いたとき、フローニに対して感じたのは、一時的な同情では絶対になかった。

 なにかある闇の暗い力が私の側へ、フローニの人生から忍び寄ってきていて、私はあらがうことができなかった。

 私は、あのオデッセイスの叙事詩の中の苦難に満ちた場面においてどうふるまえるのか?

 そして、疲れきった人生にホメロスの快活さをよび覚ますのか?

 こんなふうに私は迷っていたのではなかった。

 私は、当時彼女のところへいけなかったのだ!

 それから、私は次の年にも暗いモミの木の上に輝く宵の明星を見たし、

 時には静かな夕べに丘の上に立って、沈み行く太陽を眺めました。

 人間同士の深刻ないさかい。

 それを、私は人々の目の前でやめさせることが、できない。

 静かな場所に私はいって、何時間も心をせめたてる不安と戦いながら黙りこくってオークの木の下にいたのです。

 美しいもの。そのすばらしさはつかの間にうつろう、はかなきもの。

 胸の痛み。その悲しみは大地のようにゆるぎなく私の人生に訪れた、そして私はあの静かな丘のもとにうちすてられる。

 こうして丘は私にとって、記憶を呼び起こし、さまざまな言葉がからみつく「墳墓」となってしまった。


「人のまことは、なんだろう。本当の本当に!

 定められし時に、土へと帰る

 死の息吹がまさに吹くやいなや

 生きとし生けるすべてのものは、砕かれ、地に帰すさだめあり

 天と地と、それらもすべて同じこと

 何が、それから逃れようか 」 


 (お日様の歌 第7節 バウル・ゲルハルト詩 BWV 451 ハイジに別の部分使用 「ハイジは歌う」参照)



 私が、アンばあさんから丘で出会ったときあの時から、10年という、十分に長い年月が流れました。

 そして彼女も白い教会のそばの芝生の下に横たわることになり、さらに時が過ぎました。

 私は街に移り住み、そこで私は最近創立された「プロテスタント社会奉仕団体(ディアコニッセの家)の活動に注目しました。

 ある日のことでした、信仰で結ばれた姉妹といえるその団体の女性の一人が、わたしのふるさとの近くの山の上の方から、病人を連れてきたというのです。

 私はすぐに病室に向かいました。

 その人が横たわるベッドのそばに腰かけました。

 うずたかい寝具に体をあずけていて、やつれきって、顔色は真っ青で、そのみすぼらしさに、私はうちのめされるほどでした。

 しかし、私が近づいくと、自分の灰色の目は、瞬時にやつれた面影をはっきりと見分けることができた。

 フローニも私に気づきました。

「あなたなのね? フローニ。」

 声をかけて、ベッドのそばにいきます。

「ええ、いいの」とさけぶように言います。

「とってもうれしいです。あなたさまに来ていただけて。」

「フローニ・・」そういって、私は手をさしだします。

「私たち、昔みたいに気軽に呼びあいましょうよ。

 親友同士じゃないの」

「そう・・ね」ためらいがちでした。

「私は大丈夫、きっとよくなります。でも、わたしはこんなひどい姿になってしまったし、あなたとは違うのよ・・」

「わたしたちにとって、そんなことなんだっていうの。あなたとわたしでしょ。フローニ。

 神様ならすべておわかりです。

 それに本当にうれしいことだわ。長い間あえなかったあなたにまた出会えたのは。」

 それから私はフローニの側に腰かけて、お互いに見つめあいました。

 ふたりとも胸がざわついていたのでしょうか。

 なにしろ二人はずいぶんと違う立場になってしまったのでした。

 フローニのグレーの目は、あらたに柔らかな光をたたえていました。

 そして崇高な表情を、死相のうかんだ青白い顔にうかべています。"

 病状は重たく進行は止どまることなく体をむしばんでいます。でも彼女はうちひしがれて見苦しくなっていない。

 まったく静かで、おちついた雰囲気がわたしをつつみます。それは彼女の中からわきだしていて、私は奇妙に感じた。

 そして、いつも思い出すとき、口にしたくなるのですが、フローニの中になにか王のように高貴なものがあってそれが現れ出ていたとしか思えないのです。

 ふたりはしばらく黙って見詰め合っていました。

 どちらも自分の考えに沈みこんでいました。

 そのあと、フローニが急に口を開きます

「あんたのことを忘れたことなんかなかった。

 でもね、それは心のなかの楽しい思い出でしかなかった。

 ねえ、あなたはまだ、子どものときみたいにうれしそうに笑える?」

「できてた。これまでは。」私はきっぱりと言った。

「これからもよ。私たち二人の昔の楽しい日々がわからなくなるなんてない」

 そしてその瞬間、私は、やみ衰えた姿で私に目をむける彼女から目をそらした。

 その姿は苦しみに満ちていて、私の記憶に残る元気だったころの姿と比べると、もう、ほほえみがつくれず泣き出してしまった。

「ああ、フローニ」わたしは叫ぶようにいわずにいられなかった。

 私の心の中の重苦しい気持ちがそうさせたのです

「あなたは体をとっても悪くした。もう長いことつらかったんでしょ?」

「ずっとね・・」彼女は言った。

「あんたにこれまでのこと話してあげる」

 自分の腕や首筋をあらわにした。いたるとこが痛々しく口を開いた傷跡でうめつくされていた。

「こんなになってるの。体中よ」

 私はながいこと言葉を失ってしまった。

 明らかな虐待です。すべてが目立たないようにあの男がやったのです。わたしにはわかってました。

 それが彼女の人生をおおいつくし、ずっとすべてに耐えてきたのです。

 あの子はどこかに預けたのだろうか?

 そして病人の目は、そんなすべての不幸の中で、とても暖かく親しげな光をたたえていました。

 ですから私は、ついには口にせずにいられません。

「フローニ。いったいあなたの心の内に、こんな病気の中でも幸せなことがあるの?」

 見たことありませんでした。苦しい病のただなかにあって、こんなにも太陽のかがやきでいっぱいのような表情があるとは。

「ええ、あるの」彼女は言った

「そうよ。それは心の中の大切なところにあるの。

 わたしね、あなたにぜひとも話してあげたい、なぜかってことを。

 でも私、かしこくないし、あなたにわかってもらえるかどうか分からない。」

 彼女は私をじっとと見つめた

「ええ、フローニ、私それを聞きたい。あなたがどうして幸せでいられるのか知りたい。」

 彼女にはっきりお願いしました。

 この言葉は彼女を強く動かします。

 彼女の青ざめた顔に赤みがさしました。

 そして私の手を両手でにぎり、震える声で言いました。

「ああ。おまえ(自分)はきっと、呼ばれるために、ここまでひどいめにあったのだと。

 「深い苦しみの中で、私は主なるあなたを呼びもとめる」

 って歌みたいに。」

 (「Aus tiefer Not schrei' ich zu dir」 1523.ルター作詞作曲讃美歌 EKG 195 讃美歌258 BWV38)

「ええ。フローニ」

「それに、あなたはわかるかしら。喜びの中で

 「我に憐れみを与えたまえ。憐れみたまえ。ねうちなきこの身でも」

  (「Mir ist Erbarmung widerfahren 」福音聖歌355番1節 EG 355,1)

 ってはっきり言えるんだと」


「ええ、フローニ、そうよ」

「そして、あなたに心のすべて、奥底から今、いいたいの。

 「地上であなたを愛していなければ天で誰がわたしを助けてくれようか」

 なのでしょうって?」(旧約聖書詩篇73.25(新共同訳))

「私は祈るわ。フローニ。私の心のすべてを言えることができますように。

 私があなたから学ぶことができますように。私は信じる。あなたはそれができたのね」

「ええそう、ええそうなのよ」彼女はあたたかいまなざしをして言いました。

「そうできたの、私。 私、何度もその言葉を心の中で繰り返し言ったわ。

 そうすると喜びの気持ちが美しい泉の水のように、そこからあふれでてきた。

 そうしたらこの世界を疑うなんてことはぜんぜんなくなった。

 私、望みなんか消えていた。

 わたしの小さな住みか(体)がさいなまれて苦しみの数々があるときなんかはね。

 でもね、我が主(神)のふるさとにいくことができるんだ、私の苦しみを取り去ってくれ、とても大きな喜びを与えてくれるんだ。

 そうやって、いつも本当の喜びの声をあげたいと、自分に言い聞かせるの。

 本当にわたし、とても素晴らしいものをもらっている。

 いまも変わらずにすてきなのよ。元みたいな不幸せになんか、けっして戻りはしない。

 だって私はそのうちにどこにでもいくんだもの。神様の手にしっかりとささえられてね。

 でも、私もうここの他どこにもいかない。

 ここで横になってるのが終わりで、あとは天にむかって昇っていくの。いまの喜びの中から、別の喜びへと。」

「フローニ。いま、満ち足りた気持ちがあなたの心の中にもたらされた。

 それは、前にあなたが強く願っていたもので、もう決して消え去ることがない。あなたはいまもそう思っている?」

「ああ、そうね。でもそれとは違うみたい。べつの感じがするの。もっと、たとえようも大きく、輝いているって感じなの!」

 この日から、私は面会時間が許す限り、フローニに付き添うようになりました。

 いつも楽しいひとときをすごしましたが、彼女は日増しに弱っていくようでした。

 担当している看護婦が私に言うには、このような患者はこれまでいなかったそうである。お医者さんが説明してくれたのですが、彼女は激しい痛みを我慢しているんです。
 彼女にできることは、つかのまのやすらぎしかありません。

 それなのに彼女は嘆き訴えることはまったくありません。そして、声をかけられたすべてに、いちいち感謝の言葉を返すんですよ。
 ですから、みんなが、優しく心をこめてお世話をするようになり、だれもが彼女のところにいこうとします。

 あの人は、非常にひどい痛みの中にあって、静かに両手を組み合わせて横になっていた。

 やがて痛みがやわらぐその時まで・・、

 そして、彼女はそのままに、すぐにふたたびなぐさめと喜びとにつつまれたる。そんな患者でした。

 よく彼女の中から自然とわきでる雰囲気があった。

 それは痛々しい面持ちのすべての人たちに、ずっと忘れていたほがらかな気持ちをそそぎかけたのです。

 私たちは、それまでにいくども素晴らしいひとときを共にわかちあえたのです。

 でも、私はまだ知らなかったのです。どうやって彼女の心の中にとぎれることなく生き生きとした豊かさがもたらされたのか。

 多くのとき、彼女はとても静かにしていました。私が彼女のベッドのそばに座っていることだけを、願うのでした。

 そんなとき、時々彼女は気分よさそうに言います。

「私ね、いま苦しいからいっぱい話せないけど・・・、それでも心の中では歌えるのよ。

 「私はあなたからはなれません。

  苦しみの中での私の救い主よ、"

  くびきが重ね置かれても、私は希望を持っています、

  あなたが私を死なせたもう時も

  あなたの思うように、行ってください、

  私はあなたから離れません。

  どうかみまもりたまえ。

  苦しみの中での我が救い主

  私はあなたからはなれません。御心のままにしたがいます。

  私はあなたを拒みません。」

 (「 われ汝を離さず、汝はいつまでもわがイエスたるべし 」バッハBWV 467「Ich lass dich nicht」(意訳))

 この病者に、私はその長い歌の続きを最後まで歌ってあげ、別の歌もいくつも聞かせてあげて、満ち足りた時間をすごせました。

 あるとき、私はオレンジをフローニにむいてあげたことがありました。

「ああ、それ」彼女は、私がまだ部屋に入りきらないうちにオレンジを見て声を上げました。

 「どんなに行きたかったことでしょう。   

  昔、どこか遠いところへ。

  そんな金色のりんご(オレンジ)が木に実り、

  太陽が燃えるように咲く花々に光を輝かせ、

  暗いほど青い空がかなたにひろがっているようなところへ・・」

 と南の暖かい国へのあこがれの詩を口にしたのです。」
 (原詩不明 ゲーテのミニヨン1の1連に通じる表現があります)

「フローニ」私はいいました。

「お願いだからおしえて。あなたは夫といっしょに遠くのところにいっていたんじゃないの?

どうだったの?」

「ちがうわ」悲しげに言います。

「ぜんぜんよ。なにがあったかですって。かなしいことよ。あなた私からそんなこと本当に話してほしいの?」

 彼女から今聞いたこと、それは私がとても知りたかったことでした。

 夫との結婚のあとすぐに、彼女はさびしい山村につれていかれたのですが、そこは私たちの故郷からたいして離れていなかったからです。

 夫は、当分そこでくらすのだと、フローニにそれとなくわからせたのです。

 彼女は疑問でした。どうしてすぐに遠い土地にむけて旅立たないのかと。彼女が言うそのことについて大工は言いました。

「それには十分な仕事を見つけてからだ。これからの生活は本当に楽しくて、すばらしくなるぞ。」と夫は妻に答え、「まずは持っているお金をだしてくれなくては。」と言ったのです。

 これをフローニを本気にしませんでしたが、したがうしかありませんでした。

 彼女は働くことには慣れてました。

 またもや彼女は朝から晩までの時間をはた織機のまえで過ごしたのでした。

 でも、人里はなれたそんな場所では、夫には働き口はありませんでした。

 以前から大変な遊び人でしたが、まもなく昼夜となく遊びまわり、酒を飲みだしました。

 それから数年来、フローニはそんな目にあいました。お金をためたり、旅行にいったりなどといった話のとおりにはできません。

 やがて男の子がひとりさずかり、その子の為に、せめてなんとかしてやりたいと思いました。

 夫が戻ってきたところで、これまでのこと・・、早く仕事を見つけることと、ふるさとでなければ暮らすのはいやだということを、言って責め立てたのです。

 彼らは故郷へ帰ってきました。でも大工は仕事をさがそうとしなかったのです。

 いつもお金を無駄に使い、粗野なふるまいをするようになりました。

 どんどんでたらめになり、妻に暴力をふるいました。

 酔っているときは、手がつけられないほど荒れ狂うのです。

 フローニは、孤独で世の中に身を落ち着ける場所もなく、ひめていた才能は嘆く声の中に消えていったのです。

 まったく、彼女は絶望的状況の中にありました。すべてのおわりの寸前だったのです。

 あるとき、私たちが前に一緒に行ったことのある山の湖のほとりに立ち、すべてをお終いにしょうと思いつめました。

 でも、子供のことが脳裏をかすめて、ひきかえしたのです。

・・それから、彼女はふたたび、暗い日々をおくりました。

 そしてついに、もう耐えられなくなって、逃げ出しました。

 でも、いったいどこへいったらいいのでしょう。

 途方にくれてしまいました。

 二日二晩、あてどなくさまよって、どうしたらいいか、どこにいったらいいのかわからず、ただもがくように一人で苦しい現実の中にありました。

 もうたくさんでした。彼女はすべての不幸を終わらせてしまいたかった。

 すると、やはり子供のことがまぶたにうかぶのです。

 三日目の夜に、死にそうなほどに疲れきって、石の上に座りこみました。

 もう、生きようとも死のうとも、そう思うだけの強い心もなくし、

 人目を気にする力もなくして大地にくずれおちるようです。

 そう。彼女は生きる力を失って、糸がきれたように石の上に座り込んでいたのです。

 そこに、私たちの村の教会の夕べの鐘が、彼女にむかって鳴り響いたのです。

 それは幼いころから耳にここちよくなじんでいた音色でした。

 古い思い出が彼女の心にうかびあがります。

 はじかれたように石から立ち上がり、白い教会に向かって足をゆるめずに駆けていきました。

 古い牧師館の玄関の中に入り、牧師に会えました。

 穏やかな人で、フローニを子供のころ教えていた先生でした。"

 彼は彼女をやさしく迎え入れ、彼女はすべてのことをうちあけたのでした。

 最初にどうやってだまされたか。それからどんなにひどいめにあうようになったか、どうしてもう我慢できなくなったか。

 そしてお願いしました。自分の夫からどうにかして守ってくれないかと。

 牧師は、落ち着きはらって、最後まで彼女のいうことに耳を傾けました。

 聞き終わって言います。あなたはけっして見捨てられませんよ。と、こんなふうに言いました。

 「フローニさん。あなたの夫は、あなたを大変不幸にした。

  そんな目で神様はあの人を見なすことでしょう。いまは、彼はあなたを求めています。

  そしてあなたはあなた自身を見つけるのです。

  あなたは彼にとってかけがいのない存在になっているのです。見るのです。フローニさん。

  あなたの夫ではありませんよ。

  あなた自身から、あなたは解きはなたれなければならないのです。

  そうしなければ、あなたに平安がやってくることはありません。」

「そんなこと、今の私にはわかりません」フローニは物語りつづけました。

「わたしは牧師様を目をみはって見つめました。

 「また教会に来てください」

 そして私に問いかけました。

 「あなたは、ときどき聖書を読んでいましたか?」

 私には、どちらも、ずっと遠ざかっていたことです。私は以前のように、村の人たちと一緒に教会に行けるというのでしょうか?。いったいどうやって!

 聖書にはすべての良いことが書いてあります。よく知っていたのに、すっかり忘れていたのです。

 私は、牧師にそのことを正直に話しました。

 彼は暖かいまなざしで私をみつめ、やがて言いました。

 「夫のいる我が家に帰るのです。

 そして夫が怒ってわめきはじめるときに、このようにあなたの腕を合わせなさい。

 そして心の中で、祈りつづけなさい。私たちに誘惑に導かないでください。

 あなたのお言葉を、絶えることなくおあたえください。

 そして日曜日に教会に行かせたまえ。あなたは知らないのです。

 あなたがそのときなにを成しとげられるかを」

 それから、こうもいいました。

 「つらいときがあったなら、わたしが彼に会いに行こう。彼にとっても私にとっても良いことだ。」

 そうして、牧師は私を送り出しました。心がゆれてなにがなんだかわかりませんでした。

 牧師は思いやりをこめて話してくれましたのです。私のことで心を痛めたのです。

 それなのに、こんなふうに説得して私を夫のところに戻したのです。

 特別なすべきことが、ふたつ私に与えられたのです。

 私はどうすればいいかわからずにもがき苦しみました。私の本当の気持ちは、逃げ出したかったのです。でも夫は許すわけがありません。

 それは、きっと神様の私への、おぼしめしだったのでしょう。

 それが、ちっぽけな人間がこの世にあってかすかにうかがい知ることのできるすべてでしょう。

 なんということですか! 天のお方は私をどうするおつもりなのでしょう!

 これが私への逃れられぬ定めでした。

 最初のときからあった涙の長い時間が、ふたたびやってくることでした。

 私は家に帰るまでの道のあいだずっと泣き続けていました。」

 ここで、フローニは話を中断してしまわねばなりませんでした。疲れ果ててしまったのです。

 これらの回想は、彼女にとって大きな負担だったのです。

 それから二日後、私はふたたび足をはこび、続きの出来事を話してもらえるだろうか、問いかけます。

 彼女はうれしそうにまちかまえていて、すぐに話し出しました。

 フローニは牧師の言葉に、心から従おうとしました。

 でも、それは容易なことではなかったのです。

 彼女が帰ったとき、すでに日がくれていました。

 夫は、すぐさまののしりはじめました。

 怒りは言葉と暴力で彼女にたたきつけられます。

 それは彼女への重い試練で、祈ってのりこえるには力弱いのです。

われらを試みにあわせないでください! (どうか神様)(主の祈りの一文)

 でも彼女はなしとげ、静けさのうちにありました。

「そうなの。ひどい嘆きと苦しみでいっぱいの日々がずっと続いた」

 とんでもないことになりました。

「そして私はわかり始めたのです。どこに逃れるところがあるでしょう。

 ほんとうに、いったいどこに!

 牧師は、私へ教会にいくように強く言いました。二度か三度の日曜日、まだ、わたしにはその言葉を守ることができませんでした。

 村の皆さんとの交流が長い間途絶えていたのです。みんながわたしを注目するでしょう。

 わたしはふさわしくないのだと、考えたのです。

 でも四度目の日曜日に、わたしたちの村のなかのわたしたちの牧師、一番に相談すべき人に会いに行きました。

 彼は、よい羊飼いは、迷った羊をさがそうとすると説教しました。

 子羊を群れから見失ったとき、羊飼いはいてもたってもいられなくなりなり、探しだそうとします。

 彼は、自分のまわりに、立派で良いたくさんの羊の群れを持っているけれど、じっとしていられない。そして、ふたたび見つけ出すまで、いなくなった子羊を追いかけるのです。

 その話は、突然に私の魂にさとらせたのです。

 その羊って、私のことよ! とるにたらない迷い子の羊は私です!

 羊飼いは私を探していて、私はそんな立場なんだ!

 ぼうぜんとして、どうやって教会から家に帰ってきたでしょうか。

 それは私の心にわきだした命の源でした。

 大きな流れが私の心のなぐさめとなってあふれでたことでしょう。

 羊飼いが私に耳をすましている。

 私を愛しているから、私がひとりぼっちだと知っているから、彼は私を探している、

 彼は逆らった私を放さない。

 それからというもの、私の内部で、すべてが変わりました。

 目にうつるものはいつもはっきりとあかるく、心の中では歌声が絶えることがありません。

 「私は罪の群れに沈んでいた

  君は来たりて、ときはなちたもう

  あざけりと恥に私は立っていた

  君は来たりて、私を大いなるものとし

  私を高き名誉にのぼらせて、

  豊かな恵みをあたえたもう、

  それは地上の富のように

  使ってつきることはない」 」

 (「Wie soll ich dich empfangen」4連より パウル・ゲルハルト1653)


 フローニは説明し終えて、静かに手を組み合わせました。

 しばらくの間、二人はだまりこくって過ごしたあとで、フローニにきいてみました。

 どこで、そんな美しい歌をおぼえたのかということです。

 教えてくれました。

 あのお説教の後のことです、彼女は自分の聖書を手元におきたいと身の回りをさがしました。すると古い本を一冊、同時に見つけたのです。

 それは彼女が小さな子供のころに、今は亡き母親がもっているのを目にしたことがあったのです。

 そんなものがあるなんて、すっかり忘れてました。

 フローニはさっそく開いてみます。

 古い本からその歌がわきだしたのです。

 彼女は私にこんなふうに言いました。命の泉がこんこんと流れ出したようだと。

 もはや彼女は惨めではありません。どんな不幸な中でも、今からははげましてのりこえることができたのです。

 わたしは、その次にフローニのところに行ったとき、言うべきことがありました。

 何週間か、旅行にでかける。ということです。

 私はいいました。帰ったらすぐに会いにきたいのだと。

「だめ・・ね。そうはならないと思う」ほがらかに彼女は言います。

「私をみればわかるでしょ」

 そうです。彼女は気分よさそうです。だれでも彼女の心からのほがらかさに、病気であることをまったく忘れてしまえます。
 このことは、また、彼女自身の傷ついた体には、ぜひとも必要にだったのでしょう。

「私、願ってる。あなたがここにもどってくるときには、私は天国にいってるでしょうね・・。だけど

そこでね、いつかわたしたち、かならずまたあえるから。それは、とっても楽しいじゃない」

「そうね。フローニ。それではさようなら。またあいましょう」

 三ヵ月後に私が帰ってきたとき、フローニは墓地の丘の芝生の中に眠りについていました。

 すべての悲しみは、彼女から過ぎ去っていたのです。

 ちいさな山村の白い教会では、それ以来、一人の男を日曜日ごとに見かけるようになりました。

 いつも同じ場所に、離れてぽつんと隠れるようにしていました。

 あの乱暴だった大工でした。

 フローニはもう苦しみにあうことはありません。

 でも、その男の人の今の心は、彼女の生涯の成果なのです。


2006/3仮完成  2016/2/7仕上  翻訳