「ハイジ」について 原作「ハイジ」は19世紀スイスの女性作家ヨハンナ・シュピリによって執筆されました(原典はドイツ語)。1880年にまず1〜14章が出版されて話題となり、翌年にその続編として現在の15〜23章が出版され、現在は二つを合わせて「ハイジ」として全世界で愛読されています。 「ハイジ」は優れた児童文学であるとともに、著者のキリスト教信仰がけっして押しつけがましくなく、しかも物語のすみずみにまで行き届いたキリスト教文学の傑作でもあります。 特にその初版の最終章として書かれた第14章において、一人山小屋に住み、人を嫌い、神にも背を向けて生きていたハイジのおじいさんが、フランクフルトで文字を読めるようになって帰って来たハイジの読む絵本に記された「放蕩息子のたとえ話し」を聞いて、いままで神と人とを避けて生きてきた自分の人生の愚かさを知って神に立ち返るシーンは、この物語の一つの頂点であり圧巻です。 もう一つ、ぜひ知っていただきたい「ハイジ」があります。1974年日本のテレビ番組として制作放送されたアニメ「アルプスの少女ハイジ」(全52話、一話約25分)です。 演出(監督)は高畑勲氏。高畑氏はこの作品の評価を受けて、この後も児童文学を原作とする「名作アニメ」をシリーズで制作しますが、「ハイジ」はその最初の作品となります。 原作と比較すると、アニメ「アルプスの少女ハイジ」は登場人物の性格付けが一部変更されていたり、キリスト教の背景が後退していたりすることについて、かつては原作ファンの間から批判もありました。 しかし時代を経るに従って良い評価を受けるようになり、現在ではこのアニメ版「ハイジ」が定番の「ハイジ」として、日本だけでなく世界中で受け入れられて現在に至っています。 原作「ハイジ」のあらすじ 19世紀の中頃、5歳のハイジは、スイスアルプスの人里からも離れた山小屋でおじいさんと二人、それに二匹の山羊(ヤギ)といっしょに暮らしています。 おじいさんは人嫌いで誰とも交際せず、初めはハイジを学校にも通わせません。 ハイジは生まれてすぐに父を事故で亡くし、母はそのショックから病気になり、後を追うように亡くなり、ハイジは親の愛情を知らずに育ちました。 ところがハイジが8歳の時に、ある日突然、遠くドイツの街で働いていた伯母が現れ、私欲からおじいさんを脅し、ハイジをだまして連れ去り、ハイジはドイツの大都市フランクフルトの富豪の娘クララの勉強相手、遊び相手として過ごすことになります。 しかし、都会での生活が合わないハイジはしだいに心の病に侵されてしまいます。ようやくそれに気づいた主人が心を痛めて、ハイジをスイスの山に帰すのでした。 ハイジを無二の友として愛していた富豪の娘クララは、幼い時から足が不自由で病気がちでしたが、どうしてもハイジに会いたくなり、翌年の気候のいい夏の間スイスアルプスのハイジの元へやって来ます。ハイジのおじいさんはクララを見て、山の空気と不便な生活の中で、むしろこの娘の病気は治るのではないかと思うようになります。 立つことも歩くこともできないクララでしたが、物語の最後に、彼女の上にひとつの奇跡が起こります。 山羊を飼う生活 スイスはヨーロッパの中でも貧しい国の一つでした。それに加えて三千メートルを超えるアルプスの山々が物流と人々の往来をさまたげていましたが、今は道路が整備され、どこへも簡単に行けるようになりました。 郊外はぶどう畑が広がり、さらにその上は牧場になっていて、牛がのんびりと草を食べています。ただし山羊はどこにも見当たりません。 ハイジとおじいさんの生活を支えた山羊は、当時のスイスの貧しさを象徴した家畜です。人々の収入が増えてくるにつれ、当然ながら乳量の多い、かつおいしい牛乳のとれる牛を飼うようになりました。 原作やアニメの中ではまことにおいしそうに描かれた山羊の乳ですが、かつて実際に飲んだ経験のある方々もおありのことと思いますが、牛の乳と比べるとおいしいものではありません。 ですから現在はマイエンフェルトの周辺では、観光施設のハイジ村以外ではどこにも山羊は飼われていません。 山小屋での生活 ハイジのモデルとなった山小屋は山深い村里からさらに1時間ほども急な斜面を登ったところに、ぽつんと一軒だけあります(著者は2006年に訪問)。たぶん以前は牧場の見張り小屋として建てられていたものであったでしょう。 山羊飼いのペーターは村からここへ登って来て、この山小屋でも二匹の山羊を預かり、いつも二十頭ほどの群れを連れてさらに高い草地へと登って行きます。そこへ行くためにはハイジの山小屋からさらに1時間以上も険しい坂を登らなければなりません。 おじいさんは山小屋で二匹の山羊を飼い、野良仕事のかたわら木工細工をして生計を立てています。ひと月に一度村里に下り、山羊のチーズや木工製品をパンと交換して生活しています。現金収入はほぼゼロです。 風呂はありません。外に泉から引いた水が丸太を割って作った桶にいつでもあるので、夏の間はそこで水浴びをするのが精一杯、冬ともなると囲炉裏(いろり)でお湯を沸かして体を拭くしかありません。 ハイジはいつも同じ服です。下着は何枚かあるようですが。靴は履きません。山靴が一足あるのですが、それは冬しか使いません。岩場のある山の上のまきばに行くときでも裸足です。 食べる物はというと、小麦粉にライ麦を混ぜて焼いた硬いパンと、山羊のチーズと温めたお乳、ときどき保存食の干し肉が出ます。 これが一日三食同じメニュー。基本的に一年中同じです。しかしハイジはツヤツヤの顔をして元気に野山を駆け回っています。おじいさんも年齢よりずっと体力があります。 夜は干し草のベッドで眠ります。ハイジの眠る場所ははしごをかけた二階ですが、これはいわゆるロフトで、本来は冬の間山羊に食べさせる干し草を貯蔵しておく場所でした。 そこにガラスの入っていない吹き抜けの丸窓があります。小鳥が毎朝丸窓にやって来てその声とともに起きる生活は魅力的ですが、ある秋の日の朝ハイジが目を覚ますと、かけ布団の上に真っ白な雪が窓から吹き込んで積っていたことがありました。 ハイジは喜びましたが、おじいさんは慌ててその丸窓を干し草でふさいで冬に備えました。 冬は雪に閉ざされ、天気のよほど良い日でないと村にも下りることができません。あの元気なペーターさえ簡単にハイジに会いに来ることもできません。 そして遅い春が来るまで、たびたびマイナス10度以下に下がる日々を、囲炉裏一つしかない小さな山小屋で過ごすのです。村里の人々でさえ、おんじ(村の人はおじいさんをそう呼ぶ)一人ならともかく、小さな子どもは凍えて死んでしまうに違いないと心配しました。 ところが、春になってハイジが元気に外を飛び回っている様子を知ると、村人は驚きながらそれを話しの種にするのでした(物語の後半では、おんじは冬だけは村に下りて暮らすようになります。たぶんハイジのため、特に学校へ行かせるためだと思います)。 貧しさと豊かさ こうしてハイジはアルプスの貧しい生活の中ではありますが、元気に成長していきます。ところが彼女が8歳になったある日、もともとはハイジがじゃまになって山小屋に住むおじいさんに無理やりハイジを押しつけた経緯のある伯母のデーテが再びやって来ます。 デーテは欲深な女性で、すべてはハイジのためという口実のもと、ハイジをだましてドイツのフランクフルトにある富豪のお屋敷に連れて行き、ハイジの年齢まで偽って、そこに住む足の不自由な少女クララの付き人にさせます。 ハイジは山の貧しい生活から一転、誰もがうらやむような豪邸に住み、召し使いたちに身の回りのことをすべてしてもらう生活になりました。しかしハイジはどうしてもそうした生活になじめませんでした。毎食テーブルに並ぶ豪華な食事もだんだん喉を通らなくなり、しだいに心の病に冒されていきます。 それが夢遊病となってお屋敷に知られるようになり、事の深刻さをさとった主人ゼーゼマンは、ハイジとの別れを悲しむ娘クララをやさしく説得して、ハイジをスイスの山へ戻す決定を下します。 大都会での何不自由のないと思われる生活の中で、ハイジは生きることができませんでした。ところが二日かけて戻ったスイスの山では、ハイジはすぐに適応し健康を取り戻すことができたのでした。 ところが、このハイジに起こったのとほぼ同様のことが、後にフランクフルトの富豪の娘クララにも起こります。 クララは幼い時に母をなくし、また病気がちで歩くことができず、家の中を車椅子で、それも召し使いに押してもらって生活していました。医師の治療も受けているのですが、医者さえ回復の望みがあるとは言えませんでした。ところが、スイスに帰ったハイジに会いたくて、次の年の夏アルプスにやって来たクララは、見る見るうちに健康を回復し、いつしか自分で立って歩けるようになりたいと思うようになります。 そしてアルプスの大自然の力と、ハイジとおじいさんの助けもあって、大都会の富も当時の最高水準の医療もなし得なかったことが彼女の身に起こります。 これが「ハイジ」の最終章となります。 ハイジの山での生活は誰の目から見ても貧しいものです。反対にクララのお屋敷での生活は誰の目から見てもうらやましい理想的なものです。 しかし人間が本当に必要な現実の幸せからすると、これらの考え方は間違いであることが原作者のやさしい筆で訴えられています。 何が本当の意味で人間を富ませ幸せにするものであるのか、21世紀に生きる私たちはもう一度考えてみなければならないのではないでしょうか。 ペーターのおばあさんを支える詩 ハイジがアルプスで最も愛して大切にしているのは、ペーターの家の盲目のおばあさんでした。 冬以外、ハイジはできるだけペーターの家を訪ねて夕方までおばあさんの話し相手になります。 特にフランクフルトから帰ってからは、ハイジはその家にたった一冊だけある本を開いておばあさんに読んであげるのが日課になりました。 その本というのは「お祈りの本」と呼ばれていますが、讃美歌の歌詞だけを記した讃美歌集だと思われます。 その中からおばあさんの好きな讃美歌をハイジが目の見えないおばあさんに代わって読んであげるのです。 そうすると、暗い表情になりがちなおばあさんの顔がすっかり変わって輝き出すのでした。 ペーターのおばあさんの家もハイジとおんじの山小屋同様、生きていくのが精一杯の貧しいものでした。 それでもハイジがやって来て、話し相手になってくれて、そして自分のために「お祈りの本」から讃美歌を朗読してくれる時、おばあさんはこれまでのすべての労苦や悲しみを忘れることができるのでした。 「ハイジ」には大小合わせて三つの讃美歌が引用されていますが、おばあさんが特に愛し、ハイジも大好きな讃美歌が「お日さまの歌」でした(原作第14章)。 これはドイツ語圏の讃美歌の作者として有名なパウル・ゲルハルト(1666年作詞)によるものです(以下、たかはしたけお訳)。 喜びに満ちる金色の光は、 その輝きに乏しい私たちに よみがえりの光を注ぐ。 私の面(おもて)も、私の体も、いま立ち上がる。 私の眼は、神の造られた世界を見る。 それは神の栄光が果てしないことを教える。 それはまた、神を敬う人が平安のうちに、 このはかない大地から去っていく、 その行く手を教えている。 すべてのものは過ぎ去る。 しかし、神のみ揺るぎなくおられる。 その思いと、その言葉は、 永遠を礎(いしずえ)とする。 神の救いとみ恵みは、正しく誤ることがない。 私たちの心の痛みをいやし、 私たちをこの世においても、 また永遠においても支えたもう。 十字架も苦しみも、もはや終わろうとしている。 わき立つ波は静まり、ざわめく風もなぎとなり、 希望の光は照り輝く。 喜びときよらかな静けさ、 これこそ天の園にあって私が待ち望むもの。 私はそこに思いこがれる。 結び:貧しさとはかなさを超えるもの 19世紀は産業革命の成功を受けて飛躍的に文明が発達した時代です。 しかし医学的にはすべての領域において未発達であり、多くの人々がなお病に苦しみ、また多くの家族がかけがえのない隣人を失っていました。 その意味でハイジは特別なケースではありません。早くに親を亡くした人、早くに愛する子を失った人がほとんどでした。 しかしまた、そのような人々が「ハイジ」の読者になりました(原作者も一人息子と夫を相次いで亡くしています)。人生の苦しみは貧しさだけではありません。 病気は貧しい者にも富んだ者にも等しく臨みました。 19世紀はまだ放射能の危険もなく、地球温暖化の問題もないきよらかな平和な時代だと思うのは誤りです。 「ハイジ」の時代の人々は、人生ははかないものだと気づいていました。 自然の力の前に人間は無力であり、どんな文明科学もそれらを克服などできないことは自明のことでした。 「ハイジ」の著者ヨハンナ・シュピリは貧しさの中で神を見つめる人々、貧しさの中の豊かさを知って生きる人々をアルプスの山里の中に見い出していました。 小さな少女の物語「ハイジ」は、そうした貧しさの中に生きる人々の生活から生まれたものです。 「しかし、貧しい人は地を受け継ぐ。 また、豊かな繁栄をおのれの喜びとする。」詩篇37:11 土浦めぐみ教会(日本同盟キリスト教団)モーセ会会報9月号「9月の読書コーナー」より |