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 映画「ハイジ」について。(ネタバレ注意)


 

 2006/8/13の恵比寿ガーデンシネマ 午後5時の回に行ってきました。
 楽しく見ることができました。子どもにおすすめできます。
 いろいろ良し悪しはありますが及第点以上です。
 これまでのハイジ実写映画での一番の良作といえるでしょう。

 ハイジとしては40年ぶりの実写映画の一般劇場公開。
 お祭り、お祝いの一つとして見にいきました。パンフレットも二部買ったし!
 でも、アコギなグッズ販売コーナーなどはなく、ちょっとさびしい。



 ちょっと面白い点としては、クリスマスの場面があって、そこに流れる「きよしこの夜」がイギリス映画なのに「ドイツ語」でした。

 それから駅のマイエンフェルトのスペルがちゃんと原作どおりMayenfeldになってて、今の地図上の表記のMaienfeldとちがっています。ここは感心します。

 でもどーしてでしょう。おしえて、おじいさん。


 21世紀の映画らしく、場面の切り替えが早く、あれこれ観客が考える前に別の問題に移っていますのでちょっとした矛盾やいごこちの悪さは致命傷になっていません。

 また原作からの相違点も、監督がそれなりに考えて、より無理のない作品世界にしよう。観客に納得してもらえる映画にしようとする職人技ともいえます。

 しかしながら、新たにつけくわわった「創作部分」で、画期的と呼べる部分はなく、その意味では凡庸な作品といえましょう。

 また、原作者スピリの不自然な設定を、なぜそうなったのかまで掘り下げて、活かしきるという姿勢はありません。アニメのハイジはその点、まことによくがんばりました。

 今回の映画は、実写版ハイジの問題点と原作の問題点の改善の弊害を適正水準でそなえていますので、分析対象として貴重ともいえます。

 それでも、ハイジが売るとチーズがバカ売れなのに、おじいさん一人になってぜんぜん売れなくなるシーンや、セバスチャンが実に魅力的に描かれていたり、ロッテンマイヤーさんが子どもの前で音を立ててスープをのんだりと、ちょっとだらしない正体なのに普段は表面をとりつくろっている理由をおばあさんがズバリ指摘したりと、ちゃんと「なるほど(ニヤリ)」とうなづける心配りがなされています。

 

 残念な点として、これまでのたいていの映画が失敗してきたのと同じで、どうしてもハイジは暗い。

 どうして映画監督は、天真爛漫な子どもをスクリーンに映し出すのを躊躇するのだろう。大人がいじりまわしたら、そりゃ作り笑いしかできない子どもになっちまうけど、こわばった顔の「シャーリーテンプル」なんかみたくない。

 主演の女の子は前作の映画では、人形のように可愛い女の子だったけど、ハイジでは人形のような表情の女の子になって悲しかった。それでもやっぱり子どもの笑顔には癒されます。

 ペーターの演技は、海外のうわさどおり、・・・でした。まあ、高畑ハイジのペーターを実写で描けば、大スター子役になれたのですが・・。

 おじいさんはちょっと気弱な印象が強かった。もっとアクが強いほうが感じがでたのでは?

 それに、ハイジとおじいさんの出会いでは、なんでハイジは山羊のようにとびはねないのだろう。あれでおんじを圧倒しないと、置いてもらえないよ。チケットがないなんて、消極的理由はハイジらしくない。人を食ったところのあるしたたかな幼児という印象がないです。まあ、切符がなくて置き去りならどうにでもして引き取るしかない。

 音楽は、力弱いけどちゃんと映画にとけこんでいるし、音楽のおかげで、感情をコントロールして安心してみていられることを思えば、充分役割を果たしています。

 ログハウスは、映画のセットとはいえ、かなり雑なつくり。内部も広すぎる。冬なのに材木のスキマから光がもれていて、あれだと夏しか暮らせない。いくらなんでも寒いだろうに。なにか詰め物をしてください。ペーターの家もそうでしたよ。

 高畑ハイジの山小屋のように、厚さ50センチ以上の白土壁で生活空間をギッチリ防備してやっと厳しい山で暮らせるのだと思いますので、この点は残念。

 それからクリスマスの場面は、二次制作ハイジにはつきものといっていいのですが、スピリ作品にはクリスマスの影は非常に薄いのです。これはこの宗教的モチーフを多用する作家の特異な点の一つなのだとあらためて感じました。

 

 今回は、字幕版で見たのですが、思ったよりはるかに良い作品でした。

 やはり自分の目で見るまで判断してはいけませんね。

 字幕版のデキが悪かったら、日本語吹き替えでどれだけ挽回できるかがポイントでしたが、字幕版で充分楽しめたので、吹き替え版の方が心配になってきました。


 さて、明日は映画ハイジ、吹き替え版の第二ラウンドにいってきます!

2006/8/14


 8/15 池袋シネ・リーブルでみてまいりました。日本語吹き替え版のほうです。
 よかったです。余計な心配でした。

 声優の女の子のプロフィールを見ると、本当の8歳の女の子です。

 「大丈夫かな?」と思ったら実にうまい。
 字幕の訳と吹き替えの訳と少し違うようですが、吹き替えの方が理解しやすい(当然か)ようで、こちらの方をもっとおすすめしておきます。

 改めてみると、画面が全体に暗いのは人種の違いによる目の感受性のせいかもしれないと思えました。

 欧米の映画が画面が暗めなのは明るい光に弱いかもしれません。

 向こうの映画になれてしまうと、東洋の映画が明るすぎてなんだかリアルに見えなくなってしまうのかも?

 アニメ・高畑ハイジになれてしまうと、映画のアルムのどちらかといえば寒々とした景色は不満ですが、現代の徹底的に手の入ったアルムの山を見ると、本当に19世紀もこうだったのか?といつも疑問に思ってましたので、悪くないかもしれません。

 それでも圧倒的自然に癒されるという気分ではないですね。とにもかくにも女の子のぎこちない可愛さに救われる映画です。

 前の回に書き忘れてましたが、口のまわりにミルクが残るのはにっこりします。子どもだけに許される瞬間です。
 ネコをアルプスにつれていくのも、また前段階としてハイジに人形がいるのも、悪くないです。
 監督はよるべなきハイジの心細さをなんとかしてあげたいのでしょう。
 ネコもフランクフルトへ置き去りではすこし心配ですが、一匹でもハイジといつまでも一緒にいられるのなら、ファンとしてうれしいではありませんか。

 切符の件はネガティブに書きましたが、ハイジがデーテおばさんに連れていかれる場面で「おじいさんが監獄にいれられてもいいの」と脅す場面と同様で、嫌がるハイジの反対をふりきって、手っ取り早く運命を決めてしまうには効果的です。映画は時間がないのですから(^ ^;)

 クララがびっくりして立ってしまうのは、明らかに高畑ハイジの影響でしょう。
 ハイジの服装も影響をうけていると思います。下着姿にならなかったのは、昨今のなげかわしい風潮を考えると正解でしょう。
 ハイジをより子どもらしく、幼く見せるために、意図的に横幅をひろくする服装にしていたと思いますが、それが体を大きく見せてしまったのは監督も悩んだでしょう。


 私の尊敬している人の奥様からですが、

「先週思いがけず 池袋の(中略)プラザの最上階が映画館になっていて、なんと、あのなつかしいアルプスの娘ハイジの映画をしておりましたので、夢と、明るさと、不運にまけない、美しい心をもちつづけた あこがれのハイヂ、を見てきました。とてもよかったです。」

 と毛筆のお手紙をわざわざいただきました。


 東京生れで、池上の自宅で空襲にあって必死になって父と共に自分の手で落ちてきた焼夷弾に土をかぶせて消火し、戦後は進駐軍の通訳をされていた方から、このように思われるハイジ。

 世代をつなぐ貴重な作品だと、つくづく感じました。


2006/8/19