「ハイジという物語」のサイトをオープンする前も、してからも、多くの方からいろいろ励ましや、情報提供のご協力をいただいて、大変ありがたいです。 謎の館? 投稿者:itonoz 投稿日:2003/03/02(Sun) 21:59 No.71
私がハイジの中で不思議に思う事の一つに、原作にあったかどうかは知りませんが、ハイジの冬の家のことです。 すっかりあばら屋化しているところばかり目がいきますが、デルフリ村の他の家よりかなり規模が大きく見えるのは私一人でしょうか?何よりリンゴ園があるくらい広い庭。他の家が割に狭苦しく隣接しているのに、あの塀と門構えはかなり異質にみえます。屋根こそ落ちてますが、作り自体は重厚で(屋根だけ落ちるだけで済んだとも見えます)もとの部屋数も多いようですし、調度品も元はかなり質が良かったように思えます。床のタイルとか特にあの陶磁器製の暖炉は凄く立派な感じで、かなりのお金持ちが住んでいたんじゃないかと思うんですが・・・ いずれにしても謎の多い館だと思います。 そういえば最終話あたりでハイジ達がリンゴ狩りしてましたが、良いのかな?お医者様は後に住むらしいですが、買い取ったのでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- Re: 謎の館? tshp - 2003/03/02(Sun) 22:44 No.72
そうなんですよ。いい問題提起をされました。 原作の冬の家・スピリの取材したモデル・アニメの冬の家・そしてアニメで取材したモデル・・と4つのパターンが考えられるわけで、そのうち現地を取材できたら確かめてみたいポイントと考えていました。 -------------------------------------------------------------------------------- 謎の館の謎 ねこばすちゃン - 2003/03/03(Mon) 02:44
No.73
私もあまり詳しくはないのですが、現地ロケの際、崩れかかった家の取材は実際に行なったようですね。例の別冊宝島本のインタビュー中で高畑氏もそう仰っています。ということは、アニメのモデルは存在する(した?)ということになります。それが果してスピリがモデルにした家なのかどうかは分かりませんが、原作の記述を読む限り、結構似通っているような気がします。 さて、現在「ハイジ博物館」となっているハイジの冬の家の方ですが、これについは少し情報があります。ご存知のように、博物館となったのは結構最近のことで、それまでは実際に村の人が住んでいました。それをハイジ財団(でしたっけ?)が買い取って、現在のような博物館にしたんですよね。(すぐ横に土産物店まで作ったらしい。) では、どうしてこの家を選んだのか。何年も前からこの家が「冬の家」として旅のガイドブックにも紹介されていたわけですが、どうしてこの家なのか? 実は、1920 年にスイスで発行された『ハイジ』の本の挿し絵にこの家が出てくるんです。おじいさんとハイジが冬の間暮らした家として絵になっているんです。挿し絵の写真を見ましたが、全くそのままです。 この 1920 年版の挿し絵には、他にもオーバー・ロッフェル村(デルフリ村のモデル)のあちこちの情景が描かれていて、現在もそのままの風景が見られるそうですね。 と、ここまで書いて、tshp さんの「海外書籍」のページを見たら、出ていましたね。上から
7 番目の本の元になっている本です。挿し絵はルドルフ・ミュンガー氏なんですね。これは入手しないといけません。是非、冬の家の挿し絵を確認してみてください。 この辺りの事情については、下の本に載っていました。 『スイス・アルプスの旅』
さすがに皆さんの知識は半端じゃないなぁ〜勉強になります。 私はどうしても、資料検証よりじぶんの想像にまかせる癖がありまして・・・ でも、めげずにお題を掘り起こして行きたいと思います。 -------------------------------------------------------------------------------- Re: 謎の館? tshp - 2003/03/04(Tue) 06:52 No.75
itonozさんへ -------------------------------------------------------------------------------- Re: ねこばすちゃン - 2003/03/05(Wed) 01:20 No.77
上で、スピリが廃虚をモデルにした、というような書き方をしてしまいましたが、これは全くの想像です。根拠はありません。でも、原作を読んでみると、何らかのモデルがあったような感じは確かに受けますよね。 これも想像ですが、恐らくアニメの冬の家は、ロケハンが取材した廃虚と、原作での冬の家の描写の両方をベースにしているのでしょう。で、もしこのアニメでのモデルが、実は原作のモデルにもなっていたのだとしたら、これはますます興味津々たるものがあります。アルム小屋の例もあるので、同一の可能性は高そうですね。いつか現地を訪れた時に、この辺りを確かめてみたいものだと思っております。 上で紹介しました本は、本と言うより旅行ガイドという類のもので、私も店頭で偶々見つけて買ったものです。マイエンフェルトとラガーツの温泉については 6 ページに渡って紹介されています。(と言っても、ほどんど写真ですが。) 1920 年版『ハイジ』は当時結構部数が出たようですね。冬の家の挿絵の写真と、同じアングルで撮った現在のハイジ博物館(になる前の家)の写真とが並んで掲載されているのですが、正に瓜二つです。もう一つ、水飲み場の挿絵と原物の写真も、後ろに描かれている家屋に至るまでそっくりです。 これも想像ですが、恐らくミュンガー氏はスピリが実際にモデルにした家などを取材したのではなく、むしろ、絵描きとして、絵になりそうな風景を探してそれを挿絵にしたのではないかという気がします。彼が「冬の家」に選んだ農家が、図らずしも現在のハイジ観光の拠点となっているのも、考えてみれば不思議な巡り合わせです。 でも、アニメや原作そのものとは関係なさそうですね。(いや、分からんぞ〜。意外なところで重要な意味があったりするかも…。) 挿絵(のアップ)のアップ、楽しみにしております。 さて、上記のように、ルドルフ・ミュンガーの挿絵を軽く確認するだけで、お話は一段落するはずでした。ところがところが・・・です。
ねこばすちゃン様にご紹介された本『スイス・アルプスの旅』を見てみると、確かに現在の冬の家(ハイジ博物館)と、1920年発行のルドルフ・ミュンガーの挿絵の家はまったく同じに見えます。 しかし、この挿絵は本の冒頭、最初の頁。デーテ叔母さんがモコモコのハイジを連れてこれからおじいさんに押しつけようとしている場面です。 背後の家はそれこそ単なる「背景」であって冬の家とは関係ないのです。 デルフリ(オーバーロッフェル)のこの三叉路はアルムの山に登るときに必ず通る場所で人家の途切れる最後の地点になりますので、デーテがここで呼びとめられて、立ち話するのは不自然ではありません。 最初の頁に出ている家だから印象深くて、あとから「冬の家」だということにした可能性が高くなってきました。 ではミュンガーの描いた冬の家はどうだったかというと、こちらです。 左が、ハイジがはじめて冬の家に引越ししたページにあったものです。 これでアニメ高畑ハイジが、現在の冬の家を参考にしていない理由が、明らかになりました。まったく根拠がないからです。 ミュンガーが現地を訪れて写生したか、写真などを忠実に参考にした可能性も高くなりました。 ミュンガーの冬の家とアニメの冬の家は違いますので、スピリ・高畑ハイジ・ミュンガーのそれぞれの冬の家モデルは違う可能性があります。これは、まだ謎として残しましょう。 さて、1920年版の本の挿絵が事実に忠実に描かれている可能性が高いとなると、いろいろ面白くなってきます。 ![]() 左はミュンガーのアルムの山小屋内部とハイジの寝室です。 高畑ハイジでは、一階と二階は完全に分かれる構造になっていますが、あれでは一階で火をくべてもハイジは寒いのでは? また、乾草をあの狭い入り口から積み上げるのは難しいのでは?と思っていました。この挿絵なら、どちらも問題は解決です。 そして興味深いのが右です。 これは現在もオクセンベルグにあるハイジの山小屋と同じ形をしています。しかし標高1111メートルの山小屋まで登ったハイジファンががっかりするように三本のモミの木はありません。 現地を旅行した方、裏手に切り株などなかったかどうか確認された方はいませんか? JALの今年のカレンダーはハイジ特集で、一月は山小屋を背後から写した写真ですが、草が茂っていてわかりませんでした。真面目なスイス人のことですから切り株はとうの昔に掘り起こしているかもしれませんが・・。 またあの山小屋を高畑ハイジが参考にしたことは見るからに明らかですが、寝室の件でもわかるように、内部構造は大分違うようです。 現実のスイスの山小屋の内部の解説図なんて、どなたかもっていませんか? 他の挿絵でも確認しましたが、ミュンガーの挿絵では高畑ハイジの例の場所に「丸窓」がないのです。(現在の山小屋には四角い窓がついています)
2003/3/8
帽子の件については、わたしは見逃しておりました。なるほどと思いました。 冬の家 ねこばすちゃン - 2003/03/12(Wed) 02:53 No.93 読みましたよ。鳥肌が立ちました。夜中に読み始めたら恐くなってしまったので、朝改めて読みました。推理小説を夜中に読めないたちなもので。しかし、事実は小説より奇なり、とはよく言ったものです。 こんな形にまとめてくださるとは思ってもいなかったので、本当に感謝致します。それから、いろいろ気を使って頂いて恐縮です。 初めからあの家が「冬の家」とは全く関係なかったとは、まさに目から鱗が落ちたような気分でした。 大抵の観光ガイドにはあの家が「冬の家」として紹介されているため、原作やアニメの中の冬の家とは全く趣を異にしているのですが、何らかの理由があってそう位置付けられているのだろうと思っておりました。 そんな時に出会ったのが上述の本です。「これだ!」と思ったのですが、まだまだ奥があったのですね。「冬の家」という名称が盲点でした。 しかし、あの挿絵の中にハイジも描かれていたとは全く気付きませんでした。 冬の家の前で村人が世間話でもしているのだろうくらいに思っていたのですが、なんとデーテとバルベルおばさん(かな?)だったんですね。 この 1920 年版は、いろいろな意味で資料価値が高そうですね。私も入手したいと思っています。www.amazon.de
にありますね。 さて、これであの家が冬の家ではないということがはっきりしたわけですが、では、実際の冬の家のモデルになった廃虚はどこにあるのでしょうね。 住む人のいる家なら 100 年以上経った今でもそのまま残っているのは不思議ではありませんが、崩れ落ちた家屋が長期に渡って保存されるということは、その意図がない限り、ちょっと考えにくいような気がします。そのままの形で残されている可能性は低そうです。 ミュンガー氏が挿絵にしたものも(1910 年代)、偶々見つけた廃屋だったのかも知れないし、ロケハンが取材したものも(1973 年)、また別の廃家だったのかも知れません。これは分かりません。 ただ、一つ非常に興味深い写真を見つけましたので報告させて頂きます。 これは、現地を訪れた人の書かれた紀行文のページなのですが、ページを 4 分の 3 程スクロールしてみてください。「冬の家(ハイジ博物館)」の裏側からのショットと並んで、廃屋の写真が載っています。なんか雰囲気が似ていませんか? こういう廃虚がどこかにあるということは確かなようです。もっとも、あちこちにこんな家があったのでは、余り意味はありませんが。 (田舎の村ということを考えると、人が住まなくなって誰も管理していない家は少なからずありそう。) 最後に、もう一度現在の「冬の家」に話を戻しますが、高畑ハイジはあの家を「冬の家」としてはもちろん参考にしていないのですが、取材はしっかり行なってきているような気がします。というのは、あの家に似た家がアニメに何度か登場するからです。 たとえば、第 44 話「小さな計画」で、ペーターの後を追って山を登って来るロッテンマイヤー女史の背後に一瞬見える家は、どことなく現在の「冬の家」を思わせます。 急な坂道が始まる村の外れに位置するという点でも一致します。もっとも、それだと向きが逆ですが。まあ、村の家屋の描写の参考にした程度なのかもしれません。 アルムの山小屋についても少々書きたいことがあるのですが、長くなってしまうので、別の機会にすることに致します。 いやー、すごいですね。 ねこばすちゃン様、本当にありがとうございます。こちらこそゾクゾクとしました。 (o^_^o) |