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 なぜ「ハイジ」なのか?

 

 「ハイジという物語」のサイトを開設いたしました。
 
 まだ、作成途中でいろいろ調査したいですし、書きたい評論もいろいろとあります。これから、少しづつでしょうが充実していきたいと思います。
 
 さて、なぜいまになって、資料を集め、慣れない分野に手を伸ばして、このような試みを始めたのか、少し説明させていただきたいです。

 「ハイジ」という物語が、非常に面白い状況におかれていることに、しばらく前に気がつきました。
 
 いろいろ条件があるのですが、一部を列挙してみます。
 
・極めて有名な物語で、世界のだれもが知っていること。
・19世紀の物語で、すでに完全に評価が固まっていること。
・ハイジは理想的な子供であること。
・ファンタジー的要素がまったくないこと。
・原作ハイジと高畑ハイジという、二つの作品の複合世界になっていること。
・児童を対象として、善良な動機によって作られたこと。
・それが商業主義によって、さまざまな広がりをみせたこと。
・宗教的要素や自然的要素の、現代的・世界的意味でサンプルになること。

 ・・などなど、大げさなとらえ方も含めて、いろいろとありすぎるほどです。

 
 ハイジは、大人の願望に極めて強く適合した理想的な子供の一例でありつづけてきました。
 

 こんな子供が好きだ、子供にこうなってほしい、こうなってもらえるにはどうしたらいいだろう。
 自分が子供のときこうしたかったし、自分の子供自身をこうしたい。と思える対象なのです。
 

 子供の頃、ハイジを読んだり見たりして、「ああいうふうになりたい」と思って大人になり、自分の人生を自然や動物とかかわる方向に選んだという人は意外に多いような気がします。
 不思議の国のアリスを読んで、「アリスのようになりたい」と思う人はいないでしょうが、ハイジの場合はたくさんいるのです。

 現実の人生を変えてしまうとは、考えてみれば、それぞれの人々にとんでもない影響を与えた物語です。

 そしてずいぶんと結果は違ってしまいましたが、もしかしたら小学生のときハイジをみていて、中学校以降、動物好きになっていった私自身もその一人ではなかったか?という気もしないではありません。
 

「孤児で不便な僻地ぐらし」というハイジの境遇の設定は悲惨なものなのですが、その生活が理想として大人にも子供にもしめされることは注目すべきです。
 

 そしてスイスの児童文学の特徴でもあるそうですが、「不思議の国のアリス」のようなファンタジー的要素は皆無です。
 そのため、かえって人間の精神活動の「現実的」問題点が明らかになりやすいはずです。ハイジは本当に理想の子供なのでしょうか?
 

 ハイジはノンフィクションではなく、また完全なフィクションでもないと思えます。
 今日では軽視されやすいようですが、「ハイジ」はスイスと言う国の、文化・風土を土台として、かなり当時の現実に忠実に、ありうる物語として作られています。
 この点、ハイジをただただ「天使のような子供」ととらえる、従来の多くの印象や批評は、問題があると思っています。
 そんなに単純ではないことを、スピリの生涯やほとんど忘れ去られている他の作品などからも探っていきたいです。
 
 スピリはゲーテに傾倒し、その夫はシラーを愛読しました。ニーチェと同時代人であり、スイスに亡命していたワーグナーとも親交がありました。
 つまりドイツ思想の影響を強くうけた、優れた作家の一人です。
 しかもそのわずか数十年後にドイツ思想はナチスの登場により壊滅的状況におちいってしまいました。
 この問題はあまりにも大きすぎる問題ですが、もし言及できるならハイジの歴史的背景のひとつとして、調べてみます。
 

 そして、ハイジという物語は、高畑ハイジというテレビの傑作アニメによって、20世紀後半に再生して、現在も世界各国で強力な影響力を再行使することになりました。
 
 ドイツやイタリアは、ハイジのもともとの「ホームグラウント」です。
 スイスという、自国とほぼ同じ文化を持った国の作品を東洋製のアニメにされてしまったというのは、かなり抵抗があると思っていました。
 でも面白いことに、この両国での高畑ハイジの受け入れ方の熱心さは日本人があっけにとられるほどです。
 この両国は「敗戦国」でもありますので、「文化再建」の意味合いもひょっとしたらあるのではないか?と、何か感じるのはいきすぎでしょうか?
 
 いったいなぜ高畑ハイジはヨーロッパで成功したのか、是非とも知りたいものです。


 もちろん高畑ハイジは日本人が作ったものです。ハイジは日本人の物語にもなったわけです。
 自然と人間の関係をかんがえることも当然出来ます。
 キリスト教文化と、高畑ハイジにみられる日本での変形によって文化の受容のサンプルにもなるでしょう。

 宗教的要素を省き、重要なエピソードを削って、日本人が考えて「これでいいだろう」と付け加えたエピソード・・
 山の生活の描写、クララのおばあさんの性格付け、クララの結婚ごっこなど・・(まだまだたくさんありますが)
 これらは、どのように受けいれられ、あるいは、高畑ハイジから「さらに」短縮版や絵本などが各国で作られて、再度変形されていったのか。
 
 もちろんこれらの点が海外のキリスト教圏で、日本と同じようにうけとられたのかも注目です。
 

 また、原作ハイジ・高畑ハイジともに、「子供のために」という善意を情熱にして、作られています。
 子供たちに愛情と保護と希望を与えるために、何をどうやって表現したのか。

 これは商業主義とは対立する考えでもあるのですが、ハイジの成功により、膨大なマーケットが生まれて、さまざまな商品が誕生して、それがハイジのもともとの創作理念にかなっているのか? という問題も興味深いです。
(商業主義の単純批判をするつもりはありませんが、擁護もしません)
 

 そして、子供のためのお話ですから、日本人になじみの薄い外国語の資料でも内容はさほど難しくはありません。比較的容易に、根本的な作者や編集者の主張や意図が読み取ることができます。

 
 そして最後に、これらの分析の結果を、「子供に親しまれている物語」の周辺でおきている事なので、子供たちや、かつて子供でハイジが好きだった大人たちにも関心をもってもらえ、説明しやすいのではないか? と、思えることです。

 どうでしょう。いろいろ考えていくと、「ハイジという物語」は、稀有の題材ではないでしょうか?
 

 もちろん個人的に、この作品世界は心地よいものであり、平和で良識ある世界であることも大きな動機となりました

 

 このサイトの着想を思いついたとき、私のハイジについての知識や資料は乏しいものでした。
 しかし、数年かけて、少しずつ資料を集めることで、現在の形になりました。
 もちろん個人の活動ですから限界はありますが、日本におけるハイジとスピリの他の研究者とも連携して、資料や成果をいたずらに死蔵することなく、多くの人々に活用していただける体制を整備したいと希望しています。
 まだまだ、たくさん確認したい資料があります。どうかご協力いただければありがたいです。
 

 このサイトが、子供たちと子供を好きな大人たちが、ハイジという素晴らしい物語を楽しみ、その背景にも興味をもっていただける一助になれば嬉しいです。

 それでは19世紀に生まれた、
 世界でもっとも有名な女の子といっしょに、
 時間と空間を旅してみませんか?

2003/02/15

一部変更2015/11/30