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「ハイジを読む会」第1回 5月27日(日)午後3〜5時

会場 日本キリスト合同教会江戸川台教会 1階

使用テキスト:上田真而子訳「ハイジ」(岩波少年文庫)。

 会の進め方:毎回1章ずつ読んできて、感想を話し合う。
 第1回は第1章「アルムじいさんのところへ」

 第一回「ハイジを読む会」が開催されました。
 とはいいましても総勢11人の小さな会でしたが、道路に面して全面ガラス張りの明るく開放的な部屋で、楽しいひと時がもてました。
(レースのカーテンがありましたので、落ち着ける部屋でもありました)

 前日に同じ場所で上演された「ハイジの語り芝居」の出演者もおられます。
 お茶とヤギのミルクでつくったロールケーキをいただきました。
 
 戦前からのファンも含め、全体に年齢は高めで、男性は4人と少数派。
 ハイジ第一章「アルムじいさんのところへ」を解説した後、アニメを数分見て、原作とアニメの違いとその意味など、多くの意見が出ました。
 
 人生経験豊富な方々なので、ハイジの性格ずけ、これまでの生活など、多くのすばらしい読みときがなされました。
 
 当時の貧しい子ども達やそうなる背景の病気の多さなど、原作やアニメも、それらが一見見えなくされても、ちゃんと現実にあった背景をふまえて作られていることがわかってきました。
 
 これで全作を通してみると、意義あるハイジの作品論になると思われる質の高い時間でした。参加の皆様に感謝です。

ハイジを読む会(1) レジュメ 2007年5月27日

1 ごあいさつ(以下3〜4たかはしたけお)

 この会は「ハイジ」の原作を毎月1章ずつ読む(全23回)。
 あくまで自由参加、出入り自由。
 原作を読むだけでなく、アニメ「ハイジ」などの映像作品などもその一部を見て、原作理解の幅を広げる。慣れてきたら、当番を決めて2名くらいずつ読書感想を話してもらう。


2 参加者の自己紹介

 出席者がそれぞれごく短く自己紹介されました。

3 原作より第1章「アルムじいさんのところへ」アルムおんじは悪い人?

 原作の始まりは、ハイジよりむしろアルムおんじに重点がある。アルプスの大自然が描かれる一方、一人の人間の暗い過去が語られる。

 長く故郷を離れていて、帰ってきてからも山の上の小屋に一人住むアルムおんじのことを本当に知る人はいない。
 デーテの話すアルムおんじの物語も、そのほとんどが人から聞いたうわさ話しである。

 しかし読者は(デルフリの村人と同様に)物語の初めにアルムおんじについてその悪いうわさのほうを信じてしまう。
 これは原作者の巧みな演出である。
 シュピリは、アルムおんじをこのような姿で登場させることで、人間の中にある暗闇を提示し、その暗闇を背景とし光り輝くハイジを描き出している。

4 アニメ「アルプスの少女ハイジ」第1話より:ハイジってどんな女の子?

 原作第1章ではアルムおんじを中心に物語の背景が語られるので、まだハイジがどんな女の子かということは明確には語られていない。
 原作はハイジがどんな子どもなのかということを急がずに、じっくり語ろうとする。
 一方、アニメ「アルプスの少女ハイジ」(1974年TV放映された世界名作劇場の第1作、全52話)では、その初回からハイジがどういう女の子であるかが明確に示される。
 それが映像作品の特徴であり強みである。

 アニメ「ハイジ」第1話の中でハイジがどんな女の子なのかをよく示しているシーンを見てみよう(DVD「アルプスの少女ハイジ」第1話から、ハイジがペーターやヤギたちと初めてアルムの山を登るシーンを見る)。ほぼ原作に忠実に製作されているが、一箇所原作とは異なる興味深い演出がなされている。それを見つけてみよう。

5 ディスカッション

 アニメハイジをみて、育ての親を怒鳴って追い払われたあとの、孤独な子どもがあんなに落ち着いているわけがない。泣くのがあたりまえだ。あんな子どもは普通いない。という意見がだされました。
 それに対して、まさにそのとおり。ハイジは大事にされていなかった。いつも置き去りにされて、やっかいもの扱いされるのになれていた。
 しかも、その中で自分の居場所を見つけることのできる、悪くいえば「いい子ぶった、演技をする子」、良く言えば「頭のよく、ポジティブな子」ではないか。と意見がでた。

6 ハイジ研究家による「ハイジ」参考資料の紹介(tshpによる説明)

 この日は、ドイツ語の原著の各版や、主にドイツ語圏でのアニメ・高畑ハイジの各種絵本を持ち込みました。

 資料内容 
・1899年版 ハイジ(挿絵なし)

 その他、
・ミュンガーの挿絵付本(2000復刻)

・パウル・ハイの挿絵付本(1920年代)、それに対応する福音館版日本語訳。

・マルタ・プファネンシュミートの挿絵付本(2001年復刻)と、それに対応する岩波少年文庫版日本語訳。

・ドイツにおけるアニメ・高畑ハイジの絵本、1970年代、80年代、90年代、00年代の各種を持参して、それぞれ手をとって見て頂きました。

 ひととおり、簡単な解説を加えて、そのあとお茶の時間となりました。


7 お茶の時間

 ヤギのミルクを使ったロールケーキ(柏の百貨店地下で購入)と、お茶で楽しい会話がはずみました。

(以上)



「ハイジを読む会」第2回 6月24日(日)午後3〜5時

 第2回「ハイジを読む会」が開催されました。13名出席されました。

 冒頭、「お日様の歌」の日本語版を参加者全員で歌ってみました。
 昨年コンサートで使ったギター伴奏コードで、演奏はたかはしさまご本人。多才ですね。びっくりです。

 それからこれも昨年作った「山小屋模型」をもちこんで、ハイジの山小屋論も紹介しました。
 チョナンさんが旅行したときに「探求」された実測データを元に作った模型です。

 アニメを見てから模型を見ると、好評でした。
 また、たかはしさんやチョナンさんの山小屋の写真をパソコン・画像プロジェクターで投影して、解説しました。


ハイジを読む会(2) レジュメ 2007年6月24日(日)午後3〜5時

日本キリスト合同教会江戸川台教会1階

1 ハイジの讃美歌「お日様の歌」をうたう

2 原作より第2章「おじいさんのところで」:子どもと共に生きる

 物語の初めのおじいさんとハイジの関係は、血のつながった祖父と孫の関係とは思われない。
 特にアルムおんじは、祖父としてハイジを受け入れることを拒否している。

 アルムおんじは、ある時期から世界に対して自分で勝手に線を引いて、その外のことは知ろうともせず、関わることもなく、その線の内側だけで生きようと決めている。
 こういう男性は世の中に多い。
 アルムおんじを理解することは、世の中高年男性の精神構造の約半分を理解することである。

 おんじはこうして、誰にもけっして心を開くまいと決めており、それを押し通す自信もあった。
 しかし、突然ハイジがそこに入り込んできたことによって、その決心は簡単にくつがえされてしまう。
 おんじはしばし戸惑いながらも、自分の孤高の人生観がハイジとの関係によって崩され、変えられていくことを受け入れていく。

 しかし、おんじが心を開いたのは、ハイジが血を分けた孫だったからではない。
 原作者は、おんじとハイジの関係を最初から血縁を超えたみずみずしい人間関係として描いている。
 それがアルプスの大自然の背景とともに、ただのおじいさんと孫のお話しではない、清らかでしかもダイナミックな物語として発展していく。

3 アニメ「アルプスの少女ハイジ」第2話より:おじいさんの小屋の中は?

 優れた児童文学の特徴の一つは、人間の心の問題をやさしく解き明かしつつ、それとともに、ある時代のある地域の特定の生活スタイルを克明に描き出していることである。
 読者はそこにも釘付けになる。

 大人向けの優れた文学の特徴は、人間の心の問題を深く追求することにある。
 確かに精神性は深いが、最終的には暗く物悲しい全体像となることが多い。
 しかし児童文学は、人間の問題を心と生活の両面からバランスよく語ろうとする。
 大人の見方からすると、精神性において食い足りないと思われるかもしれないが、しかしこの類まれな心と生活をバランスよく語る手法で、健全でしっかり地に足のついた人間の生き方を提示することができるのである。

 このような意味において、「ハイジ」は児童文学としてきわめて成功した作品の一つである。
 19世紀スイス・アルプスで暮らす老人と女の子、二人の山小屋での興味深い生活をのぞいてみよう。(以下DVDアニメ「アルプスの少女ハイジ」第2話より)

(2〜3高橋竹夫)

4 ts氏による「ハイジ」参考資料の紹介


 「山小屋の実際」という小文を配布いたしました。
 上記のように模型と、プロジェクターで説明し、さらに「実物に近い現物」として、先日個人的に訪れた山梨の「ハイジ村」の紹介をいたしました。
 余計にもらってきた、ハイジ村のチラシと、そこで購入した「ハイジ村チョコクランチ」と「スイス国旗のキャンディー」をおみやげとして持参しました。


5 お茶の時間(ディスカッション)

 江戸川台教会員であるプロのパン職人さんが作られた「白パン」と、チーズ(こちらはスーパーのもの)、それから「ハイジ村」のチョコとキャンディーなどで、お茶をいただきました。

(以上)


山小屋の実際

 私はスイスに行ったことがありませんので、もちろん実際の当時のスイスの山の中の家がどうだったか、わかりません。

 古い本の挿絵や、絵本などを見て、また現地を旅行された高橋牧師や多くのファンのみなさんからの情報でおそらくこうではなかったかと思えることを少し話したいと思います。

 

 アニメのハイジの山小屋は魅力的です。

 明るく、清潔で、おじいさんが、きちんとしたことが好きなきれいずきというのがわかります。

 実際の山小屋は、どうやら牧童の避難小屋として作られていたようです。

 アニメのデザインは、実際の山小屋と、マルタ版の挿絵、そしてカリジェの絵本を参考に宮崎駿さんが設定したもので、実際に模型にしてみるといろいろと矛盾がでてきました。
 研究書でもわかりません。

 現物を正確に描かれた古い本の挿絵をみると、ハイジの寝る屋根裏は、完全な二階ではなく、ロフトというべき乾草保管スペースです。

 すぐよこにはおじいさんのベッドがあります。
 もしねぼけてころがったら、おじいさんの上に落っこちてしまいますね。

 おじいさんのベッドがあって、はしごがあって、とびらがあります。

 このむこうはなんなのでしょう? 
 どうやらヤギたちがいるようです。
 昨年公開のハイジの実写映画ではそうなっています。
 ヤギも高い山の上で、冬の寒さをのりきるとしたら、これは合理的かもしれません。

 小屋の向って左の小屋は道具小屋とされてますが、これは当時ありませんでした。

 原作のさしかけ小屋、母屋からはりだした道具小屋という表現は、するとアニメの右側のヤギ小屋の可能性が高いのではないでしょうか。これは古い挿絵にも出ています。

 

 ハイジは、原作もアニメも魅力あふれる作品で、特にアニメの美しい描写は、一目でハイジの住むところへのあこがれをかきたてます。

 それで、もう充分に素晴らしいことだと私は思います。
 これは、ヨーロッパの人たちにとっても同じように感じており、ドイツやスイスで放映されている日本アニメハイジの主題歌を紹介しておきます。

 もともとの日本の歌とは曲も詩もまったく別のものにさしかえられています。
 それは下記のこんなような歌詞になっていて、これが最大公約数的ハイジという物語の現代ヨーロッパでのとらえ方の代表と見ていいでしょう。

tshp

Heidi, Heidi, deine Welt sind die Berge!

Heidi, Heidi, denn hier oben bist du zu Haus'.

Dunkle Tannen, gr?ne Wiesen im Sonnenschein,

Heidi, Heidi, brauchst du zum Gl?cklichsein.

ハイディ、ハイディ、君のすべては山にあるんだよ!

ハイディ、ハイディ、だっておうちがこの上にあるんだもの。

うっそうとしたモミの木に、お日様かがやく緑のまきば

ハイディ、ハイディ、君は幸せでなくっちゃいけない!

Heidi, Heidi,

komm nach Haus', find dein Gl?ck,

komm doch wieder zur?ck!

ハイディ、ハイディ、

おうちへおかえり、君は幸せになるんだよ。

また戻っておいで!

Dort in den hohen Bergen

lebt eine kleine Maid,

gut Freund mit allen Tieren,

ist gl?cklich alle Zeit,

山の高いところに住んでいて、

どうぶつたちは、みんなすてきなともだちの、

ひとりの小さな女の子は、

いつだって幸せなんだ。

im Winter wie im Sommer auch,

wenn all die Herden zieh'n,

am Morgen und im Abendschein,

wenn rot die Alpen bl?hn.

冬だって夏だって

朝にはみんなが目をさまし、

夕がたにはアルプスがまっ赤になるよ。

Heidi, Heidi, deine Welt sind die Berge!

Heidi, Heidi, denn hier oben bist du zu Haus'.

Dunkle Tannen, gr?ne Wiesen im Sonnenschein,

Heidi, Heidi, brauchst du zum Gl?cklichsein.

(繰り返し)

Heidi, Heidi,

komm doch Heim, find dein Gl?ck,

komm doch wieder zur?ck!

ハイディ、ハイディ、

おうちへおかえり、君は幸せになるんだよ。

また戻っておいで!


「ハイジを読む会」第3回 7月22日(日)午後3〜5時

 参加者は10人ですが、かえって活発な意見の交換がおこなわれました。

 皆さん慣れてきて、手持ちの絵本を持ち込んだり、スイスの資料を持参してくださったりと、ますます楽しいひと時となりました。

ハイジを読む会(3) レジュメ 

1 ハイジの讃美歌「お日様の歌」をうたう

2 原作より第3章「牧場で」:ハイジの生き方、おじいさんの生き方

 ハイジは父の顔も母の顔も知らず、肉親の愛情を知らない。
 そういう意味で深い愛情を注がれて育っていない。
 一見健康そうに見えるが、実はかなり不安定な部分がある。
 でもそれが悪い方向に出ないのは、アルプスの大自然に守られているせいかもしれない。
 そんな環境の中で、ハイジは愛されることによってではなく、自分よりさらに弱い生き物を見つけて、彼らを愛することによって安定を得ようとしているし、それを得ている。
 ハイジはこうして愛されてこなかった自分の欠けを愛することで補っているのである。
 愛する者は必ず愛されるようになるからである。
 ハイジとユキ(岩波少年文庫上田訳p.67)。

 一方、アルムおんじは俗悪な世間を嫌い、一人山小屋に住み、アルムの山のタカのように孤高の生き方を貫こうとしている(同上p.77)。
 おんじはどんな子どもでもかわいく思う愛情深い人間ではない。
 ハイジという類まれな豊かに愛する性質を持った少女によって、おんじは初めて心が開かれたのだった。そしてすぐに、おんじもハイジを愛するようになった。

 ハイジとおんじは生き方が違う。
 でも、だからこそお互いを必要としていたし、愛し合う関係が生まれた。
 年齢を超え、性別を超え、民族を超え、貧富を超え、宗教も思想も超えるのが本当の愛である。

3 白黒映画「ハイディ」(1952年スイス)より:ハイジ初めて山へ

 この映画は西欧人に受け入れられるハイジとするために、原作とはかなりハイジの出で立ちが違う(おさげ髪)。
 また1時間半の中でストーリーを完結させるために、大幅に筋書きを変えている。
 しかしそれはそれとして(映像作品が原作どおりということはあり得ないから)、アニメ「ハイジ」とはまた違った魅力をもっている。白黒映像もまた実にいいものだ。

 その後、付録にある同映画のオーディションで撮影された20名ほどとスイスの子どもたちの写真を見る。
 いかに、原作のイメージの少女がいないかがわかる。
 20世紀に19世紀の山の少女を探してもいないのである。

(2〜3高橋竹夫)

4 ts氏による「ハイジ」参考資料の紹介

 前回に引き続き、プロジェクターにより、写真を紹介しました。

 ハイジの山の景色で、よくスイスの紹介で使われるマッターホルンなどの人をよせつけない荘厳な自然とは違う、人間の生活環境としてのスイスの里山の表情です。

 内容は、前回は山小屋のみでしたが、今回は緑の牧場、ヤギの水のみ場、山の上の湖、そしてまっ赤に染まる山々などを映しました。

 その他として、「アメリカにおけるハイジ」として、各種資料を持ち込み、見てもらいました。

・ 1910年代のボストン版ハイジ、それと同じ装丁の1930年代のトリッテンの続編。

・ 1937年のシャーリー・テンプル主演の映画のビデオ・DVD,当時タイアップして映画の写真を挿絵にしたハイジの英訳本。

・ アメリカでほぼ10年おきに作られてきた歴代のハイジ映画のビデオ数本。

・ 1930年代のジェシー・スミスによる挿絵のハイジ英訳本。

・ 1950年代から現在にいたる、各種アメリカでのハイジの絵本。

 アメリカでのハイジは、シャーリー・テンプルとスミスに大きくイメージを固定化されており、またストーリの変更、キャラクターの通俗化が著しいのが見て取れます。


5 お茶の時間(ディスカッション)

 この日は山形産のヤギのミルクを皆で飲みました。(柏のそごうにて購入。500CCで500円)

 コクがあり、ヤギのくせはなくしてあります。出席者の方々に聞くと、半分以上の方が子どもの頃、ヤギを飼って乳をしぼったり、ヤギのミルクを飲んでいたりしていたそうで、日本とヤギのかかわりあいの意外な深さが実感できました。
 ヤギは、どんな草でも食べ、簡単に飼えるのですが、その裏側は「貧しさの象徴」でもあったのです。
 また、青草をたべさせると、それが反映されて四季折々で、乳の味が変化します。
 乾草なら乾草の、レンゲならレンゲの味とかおりになり、草だけだとさっぱりした味になるそうです。
 おじいさんがおいしいお乳をクララに飲ませるためにいろいろ特別な草を食べさせたのはそのとおりなのでした。

 これは牛でも同じ事で、大手乳業はそれでは困るので年中同じ配合飼料を与えて、品質を「安定」させているのです。

 またヤギは頭がかたいので、おもしろがってよく子どもにつっかかり、つき倒したりします。
 ちょうどテンプルの映画に、それを表現した場面があるので、さっそく鑑賞しました。

 皆さん、楽しそうに見ましたが、この場面は、テンプルの自伝によれば、男の子が金髪のかつらをかぶって代わりにスタントしたそうです。

 それを話すと「大スターのテンプルが押し倒されて、なにかあったら大変だものなあ。」と、感想が聞かれました。

 またスイスに旅行された方が、現地で売られている日本語のアルプスの花の本を持参していて、貸し出ししてくださいました。


次回:9月23日(日)午後3〜5時、原作の第4章「おばあさんのところで」を読んでくる。