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生物の生態

N.J.ベリール著,山本七平訳
生命の科学双書1 1956/03/25 269頁 280円

 訳者「まえがき」より抜粋

 あらゆる生物には二つの「強迫観念」がある、と著者ベリール博士はいう。
 それは「自分を保持しかつ自分の子孫を維持すること」であると。
 そのためあらゆる生物は、生きのびること、生殖を行なうことに、全知全能力を傾けており、それが生活だといっても過言ではない。

 何のために生きるか、何がゆえに子孫を維持しなければならぬか、と問われても、だれも的確な答えはできない。
 それは生物が生まれながらにしてもつ天与の強迫観念である、といいうるだけであろう。
 問題はここにある。
 この二つがやめてもよいものであり、またやめうるものであるならば、そこには悲劇も喜劇も問題も生じようがない。

 (中略)

 あらゆる付着物を除き去って「生命」の根元からこの問題をはっきりと取りあげ、(中略)

 (中略)そのものの本質を知り、その上で社会的・教育的な問題へと進むべきであろう。
 さもなくばいつまでも本質を知らざる空論に終わり、何の結果も生み出しえないであろう。

 訳者が微力をかえり見ず本書を訳し、これを万人にすすめる理由もそこにある。

 1956年3月




 コメント

 「生物の生態」は、山本七平が設立した出版社「山本書店」の初のオリジナル企画であり、本格的創業の始まりとなった本です。

 他の出版社の校正の臨時雇いのかたわら、日本に知られていない海外の名著の翻訳権を安く獲得し、自ら翻訳し、少しずつ職人に活字を組んでもらうという長期計画を実行して、ようやく独自の本を作り出しました。

 これはまったく資本のない状態でも一人で出版社をはじめ、出したい本を出すための方法です。多大の努力と時間を必要とする地道で堅実な作業といえましょう。
 同じような方法はヘブライ語を現代に再生させたベン・イェフダーも行ないました。

 しかしこの本は期待したほど売れず、普通の住宅の四畳半の書斎にすぎない山本書店には、連日のように箱がつぶれるほど強く荒縄でくくられた本が返本されてきたそうです。

 予定では「生命の科学双書」として、科学的人間像を分析するシリーズとなるはずでしたが、2巻以降は出版されませんでした。

 山本七平は、ビジネス関係の評論家・聖書研究家としての印象が強いのですが、最初に指向した分野が、生物学・文化人類学的方面であったのは興味深いです。

 山本書店はその後、聖書学関係の出版社となります。
 しかし「生物の生態」が示すように、当初は聖書と離れた分野の本を出版していました。
 一般読者はどのような本を選ぶであろうかと、考えての選択かもしれません。

 しかしながら、生物学が論理的・物質的に事実を解明しようとする科学の一分野であるのと同じように、「聖書学」も同様の姿勢をとる科学の一分野です。
 「客観的な事実のみ」を探求しようとする姿勢であるのは共通しているので、関係がないとはいえません。

 そして山本書店が軌道に乗るのは「歴史としての聖書」(1958)という、聖書の世界を現代考古学の知識をふまえて解説した本がヒットしてからです。

 本人の予想に反して聖書関係の本が、次のステップに山本七平を進ませました。


tshp 2005/8/30





「生物の生態」帯と奥付より