サイゴンのざわめき


朝、7:00 カントー・バスターミナルに立っていた。
サイゴンまで21,000VND(=1.5US$)。

200kmを180円である。
安いことは安い。
しかし、やたら高い座席(足が床につかない)。
90cmあまりのシートに3人掛け、背もたれは「木」で垂直。
リクライニングはない。
窓ガラスはない。
勿論ノン・エアコン。

超満員。
ついでに鶏君も小豚君も乗っている。
身動きもままならない。
サイゴンまでの所用時間は2回のメコンの渡河を含めて6時間。
先日のツアーバスが懐かしかった・・・・
でも、停まるごとに乗り込んでくる、様々な物売り。

なんか、勝手がわからくてオタオタしている私に親切にしてくれた若い車掌や運転手や乗客たち。フェリーの順番待ちをしていたとき、運転手が煙草をくれた。
いつもなら「ノン・スモーカー」と言って断るのだが、1本もらい火つけた。
湿った空気のなか、2年ぶりの煙草は美味しかった。

13:30 サイゴン ミエンタイ・バスターミナルに到着。
背中が痛い。身体中が汗と埃だらけ。
何年ぶりかのこのようなバス旅。さすがにきつかった。
乗り合いタクシーでファングーラオ・ストリートへ、Huongに行くとTienがいた。

「ハロー、Tien」
「部屋は空けてあるわよ。」と笑いながらまた6階7号室のキーをくれた。
彼女は約束を守ってくれた。
戻る日も曖昧にしていたのに・・・・。
彼女も私に「約束を守ってくれてありがとう」と言った。
出かける時も、カメラバッグが開いていたりすると、閉めないとスリに狙われるといつも気を使ってくれた。
おそらく、他の客に対してもそうなのだろうけど、そのような心遣いは嬉しいものである。
シャワーを浴びて、備え付けのタライを使って洗濯をすましてサイゴンの街に出た。

まず、旅目的の「その3」に関することの手続き。思惑通りの結論がでて満足であった。
その後、旧大統領府に向かった。
日頃、遺跡・史跡のたぐいはあまり関心を持たないのだが、ここだけは別である。

1975年4月30日 北ベトナム正規軍がこの大統領府を占拠して、降伏調印が行われ、ベトナム戦争は終結した。

〜いかつい鉄の正門から構内に一歩、足を踏み入れた私は一瞬、棒立ちとなった。すぐ目の前に一つの政権の崩壊をまるで絵巻物のように凝結した光景があったからだ。宮廷正面の大階段の前にまず北ベトナム軍の巨大な戦車が二台、傲然と官邸の建物をにらみつけるように停まっている。〜「ベトナム報道1300日」(古森 義久・講談社文庫)

官邸にはいると、右手には、最初に官邸に突入した戦車が保存されている。
大階段をあがり玄関ホールに行くと、受付の人も含めてインドネシア対ベトナム戦のサッカーの試合に夢中になっていた。
「オイオイ、みなさんお仕事は・・・それどころじゃないよな・・・」

韓国人観光客の一団以外はだれもいない、静かなものである。
ボクは階段をあがり、最上階に出た。
そして、ヘリポートを見下ろした。

〜一週間余り前の四月八日、たぶん一生忘れられない光景を見た。(中略)官邸の森に続けざまに、太ったサカナの形をした二個の黒い物体を落とした。木立ちの中から巨大な茶色い煙が立ち上がり、三秒ほどして鈍い爆発音が伝わってきた。町中がけたたましい対空砲火音に包まれていたが、一発も機を捉えた様子はない。地上30メートルほどの高度で爆弾を投下したF4機は、そのままカギの手に急上昇し、一目散に北の空に飛び去っていった〜「サイゴンのいちばん長い日」(近藤 紘一・文春文庫)
ヘリポートにはヒューイコブラが1台保存してあり、その手前に赤で円が書いてある。その中には以下のように書いてあった。「1975年4月8日8:30 F5E戦闘機のパイロットは、この位置を目標として初めて大統領官邸を爆撃した。」
(おそらく近藤氏はF4とF5を見間違えたと思われる)

このファースト・アタックをしたF5E戦闘機も保存してある。
戦争末期、グェン・バン・チュー大統領を初め、このヘリポートから脱出していったのだ。
そして、反対側に行きレズアン通りを見下ろした。
当時のままの通りを見ていると、身体の中からこみあげるものがあり涙が出て止まらなくなってしまった。
しばらく涙がでるままにしていた。

いままでいろんなベトナム戦争に関する本を読み、そして、この場所がまぎれもなく終結の場所であり、多くのジャーナリストがここでベトナム戦争を看取ったという思いからである。
気分が落ち着いたところで、今度は地下に降りた。

そこは作戦司令本部など、南ベトナム軍の中枢となっていたエリアである。一階以上の部屋とは匂いが違っていた。それは24年たった今でも禍々しい匂いを発していた。
結局大統領府には1時間以上いた。
もう夕方でもあり、一旦宿に戻ろうと歩き始めた。
そのころから街全体が熱くなってきていた。

サッカーの試合が終了し、なんとベトナムがインドネシアに勝ったのである。
道ばたには国旗や鉢巻きを売る露店が出現し、HONDAに乗った若者が次々買っていく。
そして夜。

ファングーラオ通りとグエンタイホック通り交差する角でオープンエアの店でビアホイ片手に晩飯を食べていた。
そこは、もう喧噪の最中であった。
サッカーの勝利熱はいよいよヒートアップして、バイク、車、シクロから走っていくヤツまで、老いも若いも、男も女も、みんな旗を持って、クラクションを鳴らして信号無視して交差点に飛び込んでいく、交通は完全に麻痺している。
もうこれは「族」だよ、ハハハ・・・・

このショーは結局、明け方まで続いていた。
新聞によると、この乱痴気騒動で、サイゴン市内だけでも10人の死者が出たそうである。
当然、けが人はさらに多かったとのこと・・・合掌。


ふたたび郊外へ

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