豊穣のメコン・デルタへ


 晩飯を食べたあと、宿に戻ったら、前の路地で彼女が妹やおばあちゃんと一緒に涼んでいた。
彼女の名前はTien(ティエン)。
 私は彼女や妹にアイスクリームを買い、ボクはビールを飲みながら路上で涼みながら話をした。
それが良かったみたいである。

翌日、チェック・アウトしたとき、家族そろって見送ってくれた、それにTienは「いつ戻ってくる、部屋あけておくから」
このシーズンなら私を待たなくてもいくらでも部屋がうまるのに。
カレンダーにチェックを入れている、そんな彼女の心遣いが嬉しかった。
「12日か13日ぐらいに戻ってくるよ」と彼女と約束した。
サイゴンに戻ったら、またこの宿へ来ようと思った。ここの家族はTienを初めとして信用できる人達である。


朝の出勤風景を見ながらSINH CAFEへ。
噂どおりのバイクラッシュ。


そしてメコン・デルタへ。
8:00。ツアーバスは20人あまり客を乗せて南へ向かった。
郊外にでると、椰子の木、はるか彼方までの田圃、水牛がのんびりと戯れ、アヒルが養殖されるという、この国独特の風景が広がっていた。

また、田圃では稲刈りをしている隣の田圃は田植えをしているという風景。
私はバスの窓から飽きることなくこの風景を眺めていた。

10:30頃、ガイドから「この村で船に乗り換えて、メコン川のクルーズをします。その後南ベトナム解放戦線の基地を見学、その後植物園(?)を見学してカントーに向かいます。途中のジャングルには、お腹を減らした蚊がたくさんいますので虫よけ対策を忘れないように・・・」というアナウンスがあり、乗客を笑わした。

船に乗り換えてメコン川支流を下っていった。
川は交通量が多く、川沿いの家々には必ず桟橋があり、洗濯する人、身体を洗う子供など川が生活の場となっている。
子供達は船に向かって手を振ってくる。

バナナ、マンゴ、椰子、ランプータンなどが川沿いにはえていて実を実らせている。
先ほどの田圃、そしてこれらの果物、おそらく魚も・・・まさに「豊穣のメコン」である。

1時間ほどのクルーズの後、ツアー一行は昼食を取り、そして南ベトナム開放戦線の基地へと向かった。
最初、ガイドのアナウンスをちゃんと聞いていなかったので、ジャングルに入って行くとき、ここが植物園だと信じ切っていた。
しかし、説明を聞いているうちにここが南ベトナム解放戦線の司令部の一つであることがわかった。
なんとも情けない話である。
えんえんと小道を歩き、開けた空間に出た。草原が広がっていて、見張台があった。

私もその見張台に登ってみた。
「ロバート・キャパはこのような草原での作戦に従軍して地雷を踏んで亡くなったんだよな・・・・」と思いつつ草原を見ていると、彼方から南ベトナム政府軍やアメリカ軍が現れそうだった。

空想をめぐらしていると、「早く替わってくれ」と声が飛んできた。
もうしばらく見ていたかったが、ツアーとあらばしかたあるまい。

しかし、ツアーにのらなければ、この地に来ることができなかったのだが・・・・
再び船に乗り、いよいよメコン本流(前江)へ。
「でかい・・・これがメコンか・・・」
中国雲南省を起点としてラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと流れ、南シナ海にそそぐ大河である。
これを見たくて、これを見るために、この国へ来たのだ。
蒼く高い空と岸辺の濃い緑と泥の大河。強い日ざしが、鮮やかなコントラストを映している。

メコンの渡河も終わり、植物の苗を育てている村を通り抜けた。
ここも子供が多い。

そして5時間前に降りたバスが、この村まで回送されていて。ツアー一行は再びバスに乗り込んだ。

18:00再び夕暮れのメコン(後江)を今度はフェリーで渡りカントーに到着。
ここでツアーと別れ、一人になった。
きしむベットに横になると、電気も消さずに寝てしまった。

カントーの市場にて に進む

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