白日夢のサイゴン


 戦争証跡博物館に向かった、しかしベトナムの博物館はみんな開館時間が早い、朝7:30とか8:00とかばっかりである。
そのかわり、昼2時間ぐらい休憩(シエスタ)で閉めるところが多い。
タマリンドの並木道を歩き、戦争証跡博物館に到着。

戦争証跡博物館も朝7:30開館。
中に入ると、兵器がずらっと並んでいる。

飛行機、戦車などが展示されている。
飛行機を見ていると展示しているのはF5E TigerII戦闘機、A37戦闘攻撃機、A1スカイレーダー攻撃機(レシプロ機)などである。
何か変だ、実際ベトナム戦争でアメリカ軍が主として使っていたのはF4 ファントム戦闘機、F8 クルセイダー戦闘機、F105 サンダーチーフ戦闘爆撃機、F111戦闘攻撃機、B52爆撃機、が主力であったし、また北ベトナム軍はMIG17、MIG19、MIG21が主力戦闘機であった。
そのような機種は一機もなかった。
勝った国の機種、追い出した国の機種が全くなく、南ベトナム政府軍が使用していたであろうという機種ばかりである。
飛行機が好きな私にはちょっと引っかかることだが、まぁ、こだわることでもないし。


石川文洋氏の写真館。数々の記録資料、枯葉剤、そしてハノイ・ヒルトンまでベトナム戦争のすべてがここにある。

多くの人が亡くなり、その後遺症もまだ残っている。
枯葉剤の展示関係関係では奇形児のホルマリン漬けなどもあった。
その横に赤十字の募金箱があった。
とおりすがり旅人はいくばくかの寄付をいれて祈るしかなかった。

ベトナムはベトナム戦争終結後も1978年のカンボジア侵攻、1979年の中越戦争など、近年のカンボジアからのベトナム軍撤収でようやく他国との戦いを終了した。
ボート・ピープルの問題もあった。
それを乗り越えてやっと繁栄を得ようとしている。

そして、レズアン通りをまっすぐ北東に向かって歩いて旧アメリカ大使館の前をとおり、ホーチミン作戦博物館に向かった。

こちらもベトナム戦争の博物館である。

ホーチミン作戦という「南ベトナム解放作戦」の記録である。
館内にはベトナム人の若いカップルと私だけであった。確かに兵器など、作戦内容も戦争証跡博物館と重なっているモノが多くそれほどすごいものがあるわけではないが、ここに一つだけ私がどうしても見たい展示があった。

それは、南ベトナム解放戦線の戦場カメラマン達の記録である。ムービー、スチール写真。
ジャングルの中という悪条件の中、彼らはいかに撮影し記録に残していったという証言であった。
アリフレックス、コニカT3など使い込んだ機材が展示してある。「カメラマンというのは南も北も関係ないなぁ〜、いかに記録を残していくかだもんな・・・」という感想を残して館を出た。

これで「2番目の目的」も完結した。そして、いよいよ残るは「第3の目的」へ。
私が博物館から出たとたん、館は昼休みになった。
太陽は真上。歩いていると、木陰で寝ている人の多いこと。物売りのおばちゃんもシクロのおっさんもみんな寝ている。

ハレーションを起こした正午。
ボクも昼寝をしましょう。
来た方向とは逆に公園を通り、

郵便局で涼み、

人民委員会の建物を見て、

相変わらずの客引きをかわしながら、

宿に戻って水浴びとお昼寝をした。

午後、仕事仲間が仕事をしているニューワールドホテル・サイゴンに行った。
彼女達の仕事を手伝い、夕御飯を一緒に食べようと約束して夕方に一度解散をした。
私はHuongに戻りチェック・アウトをした。
Tienを初め宿の人は親切だし、なんの不満もないので残り2泊をここで過ごしても良かったのだが、Tienとは、また必ず来るよと約束して見送ってもらった。
通りに出てタクシーをとめた。「Hotel Majesticへ」

Hotel Majesticにて へ

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