Hotel Majesticにて


Hotel Majestic
創業75周年 ラッフルズ(シンガポール)、オリエンタル(バンコク)、E&O(ペナン)、ペニンシュラ(香港)などと並んで植民地時代のホテルの老舗である。
それとともにベトナム戦争時代のジャーナリスト関係者はこのホテルをベースにしていたか、またはここの最上階のレストランは一度は利用していると言われるぐらい歴史を持っているホテルである。

それは数々の記録からも伺い知ることができる。

〜マジェスティック・ホテル103号室のベッドに寝ころんで英字紙の「サイゴン・ポスト」を読んでいると、思わずうなり声がでた、ヤング少佐なら、「シーッ!」と舌打ちして床へたたきつけるところだ。〜「ベトナム戦記」(開高 健・朝日文庫)

〜1965年2月1日、サイゴン時間の夜7時タンソンニュット空港へ着いた沢田(教一)は、その晩マジェスティック・ホテルに泊まった。〜「ライカでグッドバイ」(青木 富貴子・文芸春秋)

〜ジャングルの戦闘に参加し、雨に濡れて、すっかり役に立たなくなったカメラを修理に、サイゴンに帰ってくると、一通の電報が待ちかまえていた。「ライフガ、アナタノシャシン、9ペイジニツカイ、トクシュウクンダ、オメデトウ」。私はその電報を持って、マジェスティック・ホテルにいる「読売新聞」のH君の部屋に飛び込んでいった。〜「南ヴェトナム戦争従軍記」(岡村 昭彦・ちくま文庫)

〜レストランを物色しながら、ツゾー通りをサイゴン川の方へ歩き、思いついて、川岸に面したマジェスティック・ホテルに入った。造りは古いが、町でいちばん格式の高いホテルである。五階のレストランに上がり、まっすぐ窓際の席に行って腰を降ろす。奥のテーブルには新米の新聞記者らしい連中が2.3組いるだけで、広い食堂はガランと静かだった。〜「サイゴンのいちばん長い日」(近藤 紘一・文春文庫)

〜1985年の元旦をホー・チ・ミン市のクーロン(九龍)・ホテルで迎えた。サイゴンのマジェステック・ホテルと言った方が、ベトナム戦争を取材していた人々には親しみが感じられると思う。当時、日本からも大勢のジャーナリストがサイゴンに集まっていた。その誰もが、一度ならずこのホテルの五階のレストランで、眼下のサイゴン川を見ながら食事をしたことがあると思う。〜「戦場カメラマン」(石川 文洋・朝日文庫)
(現在、再びマジェスティック・ホテルの名称に戻っている)

私はマジェスティック・ホテル(Hotel Majestic)に泊まることにこだわった。
あの時代の匂いが残っていないかどうかを自分で体験したかった。

一番簡単なのは日本から予約をいることだが、出発前の慌ただしさで予約することを忘れていた。
ラックレートで一番安い部屋で130US$。別に払えない金額ではないが、それより私の風体のほうが問題であった。
コットンパンツにTシャツにベストにサンダル、それにバックパックとカメラバック。
由緒あるホテルとしてはできれば泊まってほしくない風体である。
飛び込みでいったら断わられる確率が高い。それと、高級ホテルに泊まるときは、「極端な話、そのホテルの中にある旅行代理店でも良いから、代理店を通したほうが料金が安くなり、確実に部屋が押さえられる。」という原則がある。
そこでカントーから戻ってきたときに考えた。
ガイドブックを調べて大手でホテル予約ができる旅行代理店を探した。
サイゴンツーリスト。ここだ。
私はサイゴンツーリストに行き、マジェスティック・ホテルの予約を頼んだ。
返事はOK。1泊58US$。日本から予約するよりも安くできた。ラックレートの半額以下。
私の判断は正解だった。(^^)
2泊分の料金を払い、バウチャーをもらった。
14日夕方。
なんのトラブルもなくチェック・イン。
天井が高くテラスにもでられクラシックホテルの貫禄充分である。
ホテルの5階でオープン・エア・バーで夕暮れのサイゴン川を見ながらビールを飲んでいた。

たまたま、その屋上のレストランで結婚式をしていた。

花嫁、花婿はウェディングにタキシード。友人達はスーツにドレス。
年配者や親戚はアオザイと参列者の服装パターンが日本と似ている。

今日もサッカーの国際試合がある。ベトナムの相手はタイ。強敵である。
すでに19:00頃からテレビ観戦で人々が興奮しはじめていた。

仕事仲間と待ち合わせて晩飯を食べているときはレストランの従業員も僕らはそっちのけでサッカーに熱中していた。しかし試合に負けてしまった。
22:00ごろホテルに戻ると、たしかに1昨日のようにバイクが走っているのだが、やはり負けたせいかどうも意気があがらない。

あのテンションはどこへいったの・・・という感じである。
夜中には、みんな家に帰ったようである。一昨日は明け方まで騒いでいたのに・・・

朝から、最大のチャイナタウン,
チョロン地区に行った。

ビンタイ市場。

天后廟。

どろぼう市場、と騒音と喧噪のなか歩き回っていた。

たしかに漢字表記も多く、パワフルなサイゴンの中でもさらにパワフルなエリアである。

ひとしきり歩いて歩いて、昼、ホテルに戻った。
そしてホテルのプールに行った。

プールはホテルの吹き抜けの1階にあり、それほど大きいものではない。それに吹き抜けのためプール太陽の日が差すのが11:00〜14:00ぐらいまでと限られた時間だけである。
たまたま、私は日がさしている時間に行った。
ボク以外は赤ちゃんづれの白人夫婦が一組だけであった。
チェアで寝そべってウツラウツラしていた。
やはり疲れが溜まってきたみたいである。

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