ベトナムへ


  眼下にメコンのうねりを見ながら、シンガポール航空174便はタンソンニュット空港への着陸態勢にはいった。
多くのヘリコプターの防空壕を右手に見て、エアバスは所定の位置で停まった。

  タラップを降りて照り返しの滑走路に立った時、「やっと来れた!!」と思わず声が出てしまった。
何度もチケットの手配をしたが、VISAが間に合わない、休暇が変更になったなどの理由で、この国への入国はかなわなかった。
99年の夏、やっとこの地に降り立つことができた。
 入国審査をすませ、むらがるタクシーの客引き、わけのわからん物売り、寄ってくる乞食、ひさびさにアジアの熱気を感じつつ、タクシーの交渉がまとまり、とりあえずファングーラオ通りに向かった。
SINH CAFEの前でおろしてもらうと、つぎはホテルの客引きに取り囲まれた、その中で一番小さな子供(おそらく7.8歳ぐらい)の宿へ行くことにした。

 選択の根拠はなし、ただその子供が一番小さいという理由だけだった。
部屋を見て、気に入らなければ次へ行けばすむことである。まだ陽は高い。
その子が案内してくれたのはHuongという宿だった。

出てきたのは高校生の女の子だった。
部屋に案内してもらうと6階まであがり屋上に作った部屋に案内された、まさに「屋上、屋を重ねる」の言葉通りの部屋である。
となりの家の中までみえるよ・・・(^^;;

 中は広くエアコン、扇風機、ホットシャワー、おまけにタライ付で1泊8US$。
忘れ物をすると階段を上がるのが、困りそうだが、このホテルの家族見てると、「あっ、いいな。信用できそうだ」という気分になり、即OKをだした。(後日、この勘は証明された)
宿が決まると、通りに出て、ビールとホビロン(孵化前のアヒルの卵を茹でたモノ)を食べつつ、行動予定を考えた。

今回の旅の目的は、3つ。
1つはメコン・デルタで夕陽を見ること。
2つ目はベトナム戦争関係の場所に行くこと。
3つ目は・・・・それは1と2の目的がかなってから・・・・
ビールを飲んで一息ついたら、気分に余裕ができた。

「まずはメコン・デルタへ行こう」
そのままSINH CAFEに行き、カントーへ行くツアーを予約した、ただし、ボクはONE WAYだけで1日だけで現地(カントー)でツアーから離れるということで半額の10US$で契約成立。
路線バスもあることは知っていたが、状況がわからないので帰りに使うことにして、往路は軟弱にもツアーに相乗りということした。
このやり方は私の性にあっていて正解だったみたいである。
ルートを知るのと、自由に動けることが両立できたからである。

さてまずどこへ行こう。
とりあえず市場かな。
一番ちかいタイビン市場にいってみた。

夕方だったけど市場の持つ活気が気持ちよかった。

子供達が多い、市場が保育園になっている。


市場の周辺も出店がいっぱい。
どこからか市場になっているかわからない。
鶏の売り方もライブだ・・・・(^^;;

市場の中では、一歩歩くことに声がかかる。
ごめんね買わないんだけど。


おばちゃんは肉をダイナミックに切っている。

さかなは、そろそろ売り切れかな。

おばちゃん寝ていたら商売ならないでしょ。




夕陽がみんなを照らし出す。

シクロの親父も暇そうだ。
久しぶりにアジアの市場を歩くとホッとする。

晩飯を食べながら、本を読んでいた。
今回、持ってきた本は3冊。そのうちの1冊だった。
全部、10年以上前に買った文庫本ばかりである。どれも久しぶりの再読になる。
そのうちの一冊「サイゴンのいちばん長い日」(近藤 紘一・文春文庫)
それを読み始めたら、いきなり以下のフレーズがあった。

〜 ファングーラオ通りにある妻の実家は、隣家と壁に仕切られたいわゆる長屋造りである。ベトナムの町家は、だいたいこの形式で・・・ 〜
おもわず、私は顔をあげて周りを見回した。
「ここの、どこ?」
この地区は、バンコクのカオサン、カルカッタのサダルと並んでバックパッカーには有名なエリアの一つであるが、このような形ででてきて、うろたえてしまった。
晩飯を食べている間も、乞食、宝くじ売り、ジュース売り、ピーナッツ売り、果物の売り、卵売りと際限なくやってくる。
「へへへ、アジアだ・・・」と妙に嬉しくなってくる
ベトナム初日の夜はふけていった・・・・


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