イスタンブール通信


  この街に来て4日がたちます。アッカ君という絨毯屋の小僧(?)が毎日、根気よく私につきあってくれて町中を案内してくれます。

 彼は毎日夕方になると自分の店に連れていき「aki!絨毯買わない?」と営業しますが売る相手が悪いのか全く売ることができません。「もうちょっと客を選ばないと・・・」と忠告してやりたくなりますが、彼は毎日、私を見つけると頼みもしないのにガイド役をかってでてくれます。12才の少年ながらなかなかたいしたモノです。

 「シルクロードの要所」「東西の十字路」と言われているだけのことはあり。街並みはヨーロッパですが、人はアジアそのものです。

バザールではスパイスの香りや皮は人に匂いが一体となっています。

妙に落ち着く空間です。

毎日、夕方になるとキレイなママのいる安宿の屋上のテラスで、ピルゼンというなかなか美味しいビールかアラックという水を混ぜると白く濁る蒸留酒を飲みながらボスポラス海峡に沈む夕日を眺めるのが日課となっています。

 ボスポラス海峡。ゼウスが河の神イナコスの娘イオを愛し、ヘラの嫉妬からイオを守るために牝牛に変えたが、ヘラはゼウスの所業を見破り、イオを追い回した。ヘラの執拗な追跡にイオが逃げ込んだのがこのボスポラス海峡だったのです。そのような伝説を持つボスポラス海峡は地中海と黒海を繋ぐ要所です。冷戦の頃はここをソ連の潜水艦が潜行して地中海へ抜けていったと言います。
そのような背景を別にしても、今は気持ちいい風が吹いています。

ガラタ橋。
私が来る一週間前に火災で燃えてしまったそうです。人の話によると、新しいガラタ橋ができて政府が古いガラタ橋を壊したかったのですが、店とかがなかなか転居しなかったために政府が意図的に燃やしたという噂がまことしなやかに流れています。

新ガラタ橋をわたると新市街になります。


ガラタ塔までお菓子をかじりながらゆっくりと歩いていきました。

パン屋の少年は遠くを見つめて店番をしていました。

 アヤ・ソフィア。その昔、もともとキリスト教の教会だったのをイスラム教徒が漆喰で塗り固めてイスラム教の寺院にしてしまいました。後年になり、漆喰がはげイエスのフレスコ画が下から現れました。その絵を見ていると歴史に疎い私でも一種感動するものがあります。 そしてNHKの「シルクロード」のイスタンブール編のナレーションが頭の中によみがえります。

 地下宮殿にいきました。そこにはメドゥーサの首が逆さまにおかれ柱の礎となっています。それは一種の魔除けだったのでしょう。

 

 この街にはあの「ピリ・レイスの地図」があります。今世紀はじめトプカピ宮殿を作り替えら時に発見された地図のことです。ピリ・レイスは16世紀初頭のトルコの提督で彼が残した地図の一部です。その地図は航空機または宇宙船から測量でもしなければ不可能であると言われているぐらい正確に記述された地図です。それも、南極大陸まで正確に描かれているモノです。16世紀初頭に人類が航空機、宇宙船を持っていたとは考えられませんし「謎の地図」ということだけで楽しくなります。

 宿の近くでは毎日同じ時間の同じ場所で少女達に会いました。
いつも何やらたのしそうです。

 ビザンチウム、コンスタンチノープルと名前を変えたこの街から明日アテネに向けて移動します。またアテネから手紙を書きます。

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