PYMS HOTELとSOHO


  Lisbon空港の国際線ターミナル入り口が人が集まってると思ったら、警官がパスポートチェックをしていた。次にBAカウンターでのチェックインは「この荷物は誰が詰めた」「他人からの預かりモノはないか」「誰が空港まで運んできた」など質問ぜめであった。
そして出国審査、最後ボーディングでのパスポート照合・・・これが世界の空港で行われていると思うとクラクラしてきた。一つのテロがこれだけ世界を恐怖に陥れている。

BA501便は定刻通り無事にLondon Heathrow空港に向けて離陸した。
機内食のナイフ・フォークはすべてプラスティックになっていた。
15:00定刻通り到着。いつもより厳しい入国審査を切り抜けて入国。
空港から「Satoshi's Eye」のWEBマスター「Satoshiさん」に連絡を取った、勤めてらっしゃる会社に電話かけたら「モシモシ、○○会社でございます。」といきなり日本語で出てきたので、英語で出てくるもだと思っていた私は一瞬言葉に詰まってしまった・・・(^^;;
次に出た言葉は・・・「・・・あ、どうもogawaともうします。はじめまして・・・」
Satoshiさんと今晩の待ち合わせ場所を決める時に
S「それでは仕事が終わるの19:00でどうですか」
O「私は何時でもかまいません。待ち合わせ場所はどうします」
S「それじゃピカデリー・サーカスでいかがですか」
O「エロスの像の前あたりにしましょうか」
S「私はどうもモニュメントとかわかりませんので"Lily White"というスポーツショップの前でいかがですか、サーカスに面していますのですぐわかります」
0「わかりました。それでは19:00にピカデリー・サーカスで。お会いできることを楽しみにしています」

まぁ大阪・梅田の「BIG MAN 前」での待ち合わせのようなものである。
さて空港を出て、地下鉄を乗り継ぎヴィクトリア駅に到着。その裏にあるEbury StreetにあるPYMS HOTELに向った。

PYMS HOTEL・・・Ebury Streetに多くあるB&B(Bed & Breakfast)の一軒である。特別変わったHOTELではないが私にとっては特別である。

オーナーは日本人の郁子ママは、もうかなりのご高齢である。80年代始めの頃、40歳代後半でアルジェリア人のオーナーからこのホテルを買い取り、それこそ「女手ひとつ」でこのホテルを切り盛りしてこられた。
初期の頃は「客」集めのために郁子ママがヴィクトリア駅で日本人の旅行者に声をかけて歩いたこともあるという。
私も最初に泊まったのは1985年であった。いまから思えばIkukoママがPYMS HOTELを軌道に乗せようとしていた時期でもある。
当時、「Victoria駅の裏にB&Bが集まった通りある」という情報だけで宿を捜していて何軒目あたって入った宿がPYMS HOTELであった。いきなり日本語で話しかけられてビックリしたのと、他のB&Bより安かったので決めたことを覚えている。当時1£=360円であった。この時は1週間滞在した。次に行ったのは3年後の新婚旅行、10年あいて1998年、そして今回。

実は2001年3月、郁子ママの姪御さんからメールをいただいた。
「郁子さんは今日本に来ていて、ogawaさんと連絡をとりたがっている。東京の○○ホテルに滞在中なので電話してあげてほしい。」という内容であった。
私はすぐに郁子ママに電話した。
「今、日本に帰ってきていてPYMS HOTELの泊まった人たちがいろいろと面倒をみてくれてありがたい。ogawaさんのホームページを見て来てくれた人も何人もいる、ぜひogawaさんに連絡とりたかった。」
すごく嬉しかった。10分ぐらい話した後に

「私は今年で○○歳になります。もうホテルを売りたいと考えているけど、ogawaさんなどの長年のお客さんのためにもう少し頑張る」
そのとき郁子さんの年齢を初めて知った。それは私の母親と同じ歳である。
もっと若いと思っていたが、まさか自分の母親と同じ歳とは。
ほんとに「ママ」である。電話を切ったあと、しばらく呆然としていた。
「今年、英国に行く時間をつくらなきゃ」

今回は事前に連絡しようとしたが、ロンドンの市外局番が変わっていたのを知らずかけていたが、British Telecomの案内は「ロンドンの市外局番は変更になり・・・・」というアナウンスは流れるのだが、何番になったと言うとき・・・・切れてしまう。役立たず(^^;;
結局今回も予約なしの飛び込みとなってしまった。

「こんにちはogawaです。ご無沙汰しています3年ぶりです。」
「ogawaさん・・・春の電話以来ですね。ビックリしました」
「ハイ、お元気そうで何よりです。電話をかけようとしたのですがロンドンの市街局番が変更になっているのを知らなくて・・・今回は2泊でお願いします。」
今、ツインの部屋しか空いていないけど、一人だし○○£でいいわよ」
「もう少しまけてください・・・(^^;;」
ということで交渉成立・・・でも私は何ポンドであってもかまわなかった、ここしか泊まるつもりはなかったのだから。

郁子ママは泊める客の基準ははっきりしている、泊めるのは日本人と××系と・・・△△系の人種は泊めない。これを人種差別というのは簡単だが、いままで逃げたとか窃盗にあった経験から決めたことなので、私がどうのこうの言うことではない。

また私にみたいに15年、10年と間を空けても郁子ママを慕って泊まりに来る客が多いのも特徴である。
泊まり客で朝食で私ぐらいの年齢の人と話すと、「実は私が最初に此処に泊まったのは13年前で・・・」「私は10年前」という客が多い。

このホテルでの私の楽しみは、深夜キッチンでママが入れてくれた紅茶を飲みながら、ママと話をすることである。
今回もいろいろと話をしながらロンドンの夜を楽しんでいた。
確かに日本人が圧倒的に多い宿であるが、アジア各国にある「日本人溜まり場ホテル」という雰囲気でもない。みんなママを慕って泊まりに来る。
ママも「アメリカのケンタッキーに住んでいるアメリカ人が10年ぶりに来ると連絡してきた。今回のテロでこれるかな」と心配していた。
2日めの深夜、紅茶を飲みながらママがマスコミに出た話などをしながら、「そういえば玄関には"NO VACANCY"と出ていたけど満室なの? それにしては静かだね」
「この2週間ほど、ほとんど寝ていなくて今日は客を泊めないことにしたの。ogawaさんともう一人の2組だけよ。」
「それで静かなんだ」
「スコーン食べる?」
「いただきます。ところでママこの先はどうするの」
「ホテル売りたいんだけどね、なかなか値段が折り合わなくて」
金額を聞いたら私でも買える値段であった。一瞬、ここのオーナーも良いかと思ったが、日本に住んで遠隔コントロールでは採算あわないことに気がついた・・・

 帰国してから、いつもようにママに手紙を書いた、数日後、ママから葉書が戻ってきてこう記してあった。
「ogawaさん、久しぶりにお会いできて楽しかった。もう少し頑張って続けるが、もし連絡つかなければこちらの電話してください」と別の住所と電話番号が記してあった。
Ebury Street118にあるこのホテルに何年泊まれるのだろう・・・次回もできるだけ早く英国にいかなければ・・・ママに会うために。

 19:00前、雨模様のピカデリーサーカス。
私は、約束どおり「Lily White」のショーウィンドの前に立ってSatoshiさんを待っている。その前に「エロスの像」がある。
つまり電話でお互い目印は違えど同じ場所を言っていたのである・・・(^^)

歩いている人を見ると東洋人がすごく多い、ポルトガルと対照的である。

19:00すぎ、Satoshiさんと無事落ち合うことができた。
「初めましてogawaです。いつもお世話になっています」という、よくあるWebオーナーのちぐはぐな挨拶をかわして、SOHOに向かった。

  一軒の中華料理店に入った、私には、どの店が美味しいのかはずれなのかわからない。神戸の中華街ならわかるがロンドンではお手上げである。
ここではロンドンの原住民のSatoshiさんにお任せである。
一軒の店で、美味しいの北京ダックなどを食べつつ、初対面にもかかわらずお互い趣味や好みはわかっている・・・これまたWebオーナー独特の会話を楽しみつつ、食事を終えた。
「それではogawaさん次に行きましょう。」
Satoshiさんも私も大のスコッチのシングルモルトのファンである。

 そのシングルモルトを含めてスコッチのみを飲ませてくれる店が、SOHO界隈にあるという、その店の名は「Milroys」。
Satoshiさんの後ろをついていくと、公園の近くにある店に入った。そこにはずらりとスコッチのボトルが並び販売している、そして階段を降りていくとBARになっている。

 ここがSatoshiさんのとっておきの場所である。
つまみも何もない、あるのは純粋にスコッチウィスキーのみ。
リストを見た瞬間、クラクラしてしまった。
 そのリストには銘柄、年代、備考、そして1杯の値段が1行に愛想のないワープロ文字で表になってるだけの代物だが、そこには市販されているシングルモルトの全銘柄(100種類以上)、またそれぞれの銘柄の10年モノや15年モノなど種類(蒸留してから樽で熟成させた年限)、そして備考欄にはレアもの、樽からボトル詰めした年(ウィスキーはボトリングした時点で熟成が終わる。ボトリングの年代によっても味が変わると言われている)などの注釈がついている。値段はシングル(45ml)で3£〜10£(540円〜1,800円)ぐらい、これは安い。これだけの情報があれば充分である。

 まず飲んだことのない銘柄にしようと、ああだこうだと迷い「The BALVENIE 15年 SINGLE BARREL 」を選択、Satoshiさんも好みの銘柄を決めてカウンターにいってオーダー。
グラスと引き替えに支払い、つまり「キャッシュ・オン・デリバリー」。

 甘い香りを楽しみ、一口飲むとふくよかな味がひろがった・・・こいつは旨い。
スコッチ大好きなほぼ同世代の中年男2人が、初対面にもかかわらず「スコッチ」の話で盛り上がる・・・その中でSatoshiさんに良い話を聞かせてもらった。

 「以前、部下の英国人女性を連れてここでGlendullan12年の水割りを飲ませてあげたんですよ。」その女性は「こんな美味しい水割りは初めて」と感激していたという、そして何ヶ月後、その女性は結婚が決まり退職することになった。
 その女性が、Satoshiさんに「あの時以降、ウィスキーの水割りは様々な種類を飲んだが、あの時以上の美味しい水割りは飲めなかった。退職前に最後その店につれていってほしい」と言った。
Satoshiさんは紳士のごとくエスコート、そして彼女は同じ水割り飲み干して満足して去っていったとのこと・・・良い話ではないか。

  実は、私も似たような経験をしている、まだ広告代理店に勤めていた頃、部下の女性とクライアントの接待の後、時間も早かったのでBARに連れていった。そこは気軽はショットバーではなくベテランのバーテンダーがいる店である。彼女が飲んだのはマンハッタンというカクテルであった。その店は静かで、声高に話す客もおらず、お酒を楽しむ空間であった。
 2年後、彼女が結婚退職するときに私に言った「私は、男の人がお酒を飲むのはカラオケやホステスのいる店や居酒屋で騒ぎながら飲むものだと思っていました。どちらかと言えば嫌悪感がありました。あの時ogawaさんに連れていってもらったBARで考えがかわりました、純粋にお酒を飲むということが素敵ですね」そういって彼女は退職していった。バブル全盛の頃、彼女のような思いこみも珍しくなかった、そういう中で「酒を飲むことが素敵だ」と言ってくれたのは嬉しかった。

 さて話はMilroysの地下に戻るが、私も2杯目には、そのGlendullan12年を飲んだ、それは淡い色の柔らかな味のシングルモルトであった。

結局お互い3杯ずつ飲んで、店を出た。
Satoshiさんと「次は京都であうか、また英国で会うか」と再会を約束して地下鉄Embankment駅で別れた。

そして翌日、私は一人で再びMIlroysの地下にいた。
(再び行ったことを、帰国前にSatoshiさんに電話で話していたら苦笑しているのがわかった。)
Glenlivetの年代不明の蔵出しやObanの蒸留所ブレンドなど日本では滅多に飲めない銘柄を楽しみ、2本のシングルモルトを買った、1本は飲んで感激した「The BALVENIE 15年 SINGLE BARREL 」(39.95£=7,200円) それと「Strathisla 1960年蒸留、2000年ボトリング」つまり40年もの。特に後者は私が生まれた年に蒸留されたもので、私の生きてきた時間と同じだけ熟成されていたものである。店の主人も「こいつは良いモノだ。」といって笑っていた。こちらは85£(15,300円)自分の生きてきた時間を考えたら安い買い物である。

前日と同じ道を歩いたつもりが地下鉄Leicester Squareに着いてしまったのはご愛敬である。
この2本未だ封をきれず飾ってある・・・いつ飲もうか。


OXFORDという大学街

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