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神々の山へ初詣<ポカラ編>
翌日、早起きして専用バンで、ポカラへ。
それでも200kも距離を走るのに数時間かかる。
でも途中の休憩も楽しいものである。
チャイを飲み、ダル・バーツを食べる。
そしてオレンジを数個。
境界の検問をぬけてやっとポカラに到着。
ポカラ・・・ネパール第2の都市である。都市というよりは村という表現の方が正しい。
ペワ湖を抱えまことにのんびりした村である。
大晦日、ヒマラヤを望むサランコットの丘に登った。
朝5時にスタート。漆黒の闇の中懐中電灯を頼りに登り始めた。
そして陽が登った。
ポカラの街が見渡せる。
朝日で赤く輝くマチャプチャレ、マナスル峰を見ながらトレッキングは続く。
途中休み休みで登っていくと、地元の人はスタスタと私たちを追い抜いていく。
日頃の運動不足を実感しながら、ヒマラヤを見ながら登っていく。
そして丘の頂上に着いた時、私とamanoは予定の行動に移った。
2人で手分けして持ってきたモノをセットしはじめた。ボクはガソリンストーブ(PEAK1・コンロ)、コッフェルの薬缶、ドリッパー。Aは水筒に詰めたヒマラヤ山系の水、フィルター、挽いたコーヒー豆。そうヒマラヤを見ながらコーヒーを飲もうという魂胆である。
ツアーでなければ、絶対に持っていかない荷物ばかりである。結果は大変美味しかった(^^)
コーヒーの味というより、まわりの環境が素晴らしかったせいであると思う。
同行のメンバーにも振る舞った。まぁ、感心されるやら呆れられるやら・・・
丘を降りた後、しばらくamanoと一緒に町中を歩いた。
少女達が絨毯を織っている。器用な手つきでリズミカルな手順である。
しばらく、その手つきに見入っていた。
amanoともすぐ別れた・・・・あいかわらず勝手な2人である。
君が西行きゃ、私は東というぐあいである。
だから他のツアーメンバーから「あなた達喧嘩したの?」と聞かれる具合である・・・(^^;;
小さな町をうろついていた。
メインストリートといってもほんの数百メートル。
ここに村の生活に必要なすべてのモノがある。
夕方、一人で道ばたにへたりこんで山々を眺めていた。
1987年元旦。
ヒマラヤに手を合わせて新年のお祈り。でも、ポカラの村は何ら変わりがなく、普段の生活と変わりないように見えた。
カトマンズに戻り、バンコクへ戻る日になった。ネパールにいる間、お世話になったガイドのダルマ氏とチャン(自家製の濁酒)を飲み交わし別れを惜しんだ。
*1990年の「花と緑の博覧会」でダルマ氏と再会する事になる。彼は花博のネパール館に仕事で来ていて、テレビのニュース彼がでインタビューを受けるシーンを見て、すぐネパール館に電話して感激の再会となった。
バンコクで東京へ戻るメンバーは予定通りの飛行機で戻ったが、大阪へ戻る私だけオーバーブッキングで1人バンコクに置いてかれた。なんで、パックツアーでオーバーブッキングになるんだ・・・といいつつ宿代とか代理店持ちなのでラッキーと思いつつ、バンコク滞在を楽しんだ。
1986.12.27〜1987.1.4
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