僧院の片隅で


昼近くなってきたので日差しも強くなり、かなりへばってきたので、ホテルに一旦戻ろうとタビィニュ寺院を出て、自転車を停めている場所に戻った。


その時、視界の片隅に一瞬、日本語が見えた。
「何・・・?」
塀の向こうに「旧日本・・・・」という碑文が。
入り口にまわると、中は僧院のようである。
誰もいない。


私は日本語の見えたあたりに行った。
そこには見えた背の高い塔のほかに大理石でできた慰霊碑があった。
何を意味するかすぐにわかった。
5月のマラッカでの事件のこともあり、この手の話にはちょっとナーバスになっている。

第二次大戦でビルマ戦線に従軍して亡くなった兵士の慰霊碑である。

ビルマ戦線・・・この地での戦闘も悲惨だったが、もっとも悲惨な戦いが「インパール作戦」。
これは国境を越えたインドのインパールを攻略すれば、英国に支配されているインド人民が決起して日本軍と一緒になって英国軍と戦い勝利することができると前提という信じられないほど馬鹿げた作戦であった。


この地に来ると、この気候この地形ではどれだけ難しいことがすぐわかる。
それを短期間で戦闘し攻略するなんて不可能である。
結果として「インパール作戦」は第二次大戦でも悲惨な戦闘の一つとして歴史にとどめることになった。
何万という日本兵がこの地で亡くなった、併せてビルマの人たちも。

私は手を合わせた。
風ひとつ無く、日差しが強く降り注いでいた。

今日8月6日は、60年前広島に原爆が落とされた日である。

 

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