人種と戦争


夕方マラッカに戻り、夕陽を撮る場所を探してウロウロしていると、前方から見慣れた車が走ってきた・・・そうTonyさんのVOLVOである。

















「ogawaさん、バトゥ・パハッからいつ戻ってきたんですか?」











「つい先ほどなんです。Tonyさんはどちらへ」











「仕事で使う夕方の雑踏風景を撮りに・・・この後ご予定は?」

「夕焼けの撮れる場所を探しているんです。」

「それなら乗りませんか案内しますよ・・・その後特別な村に行きますのでよろしければお付き合いしてくれませんか」

ということで近辺でTonyさんの仕事用の撮影をして、海沿いのサンセット・ポイントに向かったが、残念ながら雲に隠れてしまった。

結局マラッカの夕陽を見ることができたのは初日の夕方だけだった。

さて取材目的の村だが、ヒンドゥー教の印僑男性とマレー人女性が結婚した末裔(チェティ)の住む村だという。

1950年頃に制定されたマレーシアの法律では「マレー人と結婚するためには「イスラム教」に改宗しなければならない。」と定めてある。
つまり、宗教を変えることは文化も変えなければならないことになり、現在ではありえない結婚である。

日もとっぷり落ちた後、その村へ向かった。











ある家では不思議な造形の「神」を見せてもらった。

今まで見たヒンドゥーの神とは違うようだ・・・次の祭礼に使うとのこと。

10軒ほどの家があり道路の突き当りにはヒンドゥー寺院があった。
そこで、長老と話をしていると次の祭礼に身に来ると良いなどと言ってくれた。
Tonyさんは長老と取材の約束をしてその村を離れた。

「ogawaさん、お付き合いいただいてありがとうございました。」
「いえいえ、あとマラッカにはポルトガル人の混血もありましたよね」
「それではポルトガル村に行きましょう」
「いや、いいですよ・・・無理に見たいというわけではありませんので」
「ポルトガル村はシーフードレストランなんです。そこで晩ゴハン食べましょう。」
車を15分ほど走らせると、広いフードコートに到着

「ここには10軒の店があり、全てポルトガル人とマレー人の末裔でユーラシアンと呼ばれています。」
10軒のうちには観光客相手に吹っかける店もあるとのこと。そのため10軒の店は仲が悪いそうである。
私たちが行ったのは、Tonyさんが普段から付き合いのある店番号1の店であった。
ウェイトレスなどを見ると顔立ちが明らかに違っている。


海峡をわたってきた潮風に吹かれながらゴハンを食べていると、年配の華人が背後から私の肩を指で押し、Tonyさんにも同様のことをして。「Japan」「Japan」と言って「おまえら日本人は戦争でどんなことをしたかわかっているか。F○▲k!」の意味の言葉をはいて駐車場に向かっていった。
Tonyさんが「ちょっと文句言いにいきましょうか?」と言ったが、
「やめておきましょう。私は旅行者ですのでトラブルを起こしても明日にはいなくなります。でもTonyさんは、こちらの店との関係もあるのでトラブルを起こすと今後の仕事に影響するとマズイですよ。」と意外に冷静に答えた。
「80年代に韓国や中国、香港を旅行しているときに何度か言われたことがありましたが、この10数年言われたことがなかったのでビックリしました。」と、私。
「私も叔父さんが日本の兵隊に殺されたなどの話を聞かされたことはありますが、面と向かって罵声をあびせられたのは初めてです」と、Tonyさん。

二人とも妙に黙ってしまい。話すと戦争のことになってしまう。
偶然だがTonyさんと私は同い年である。
「ogawaさん・・・太平洋戦争のことどれだけ知ってます?」
「親が昭和一桁で戦争経験しているのと、学校でも戦争経験者の先生がいましたので一通りの歴史と知識は持っています。」
「私も親が昭和一桁なのでそのあたりは知っています。でも、それは親からの個人的な伝承ですよね。おそらく、私達より下の世代は親も戦争未経験であるのと、歴史の授業ってだいたい明治時代後半ぐらいで1年間終わってしまい、昭和は『自分で読んでおきなさい』で終わりじゃないですか(^^;;」
「そうそう(^^;;、そのため受験の年表上の1941年12月8日開戦、1945年8月15日終戦という記号でしか知らないじゃないですか。」

「中国の反日デモ、韓国の竹島問題や靖国神社問題でも元を正せば日本が戦争問題や責任をその場しのぎの対応で先延ばしにしてきたことに原因があるんじゃないですか。」
「政府とかではなく、あの時代を日本人として認識していく必要じゃないかな。」
と・・・初日「ブルドッグ・カフェ」で日本軍の自転車や軍票などを見たが・・・よもやこういう経験するとは。

ちょっと凹んだ2人は、市内に戻り知人の店に押しかけて深夜まで飲んだ。

お気楽な旅人が「戦争」を考えさせられたマラッカ最後の夜だった。



シンガポール・エクスプレス

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