シンガポール・エクスプレス


最終章ですが・・・前日でポジフィルムもNATURAのフィルムも使い切ってしまい、一本ネガカラーフィルムを買いました(^^;;
このページはそのフィルムで撮った写真です。

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マラッカ・セントラル・バスターミナル朝9時。

シンガポール行きエクスプレス・バスは定刻どおり出発。
3連休も終わったので道もがらがら、約4時間でシンガポール着。

荷物を持ったまま地下鉄に乗りラッフルズ・ホテルへ向かった。

シンガポールに来ると必ず行くのがラッフルズ・ホテルの2階にあるLONG BAR。

1915年このホテルで発祥した「シンガポールスリング」を飲むのを私なりのシンガポールへの挨拶としている。

そんなに美味しいカクテル・・・・というわけではないが(^^;; サマセット・モームをに「エキゾチックな東洋の神秘」と言わしめた「シンガポール湾の夕焼け」を表現したカクテルと言われている・・・マニラ湾の夕焼けやマラッカ海峡の夕焼けは有名だけど、シンガポール湾の夕焼けってそんなに綺麗だったっけ・・・印象ないなぁ。

ということは金子光晴がシンガポールに来た時代には存在していたカクテルであるが、おそらく氏の金銭状況を考えると飲んでいないはずである。また、著書の中にもそれらしい記述は見当たらない。

LONG BARで一息ついて、ホテルで電話を借りてK夫妻宅に電話をした。

市内電話ということで気持ちよく電話をかしてくれたラッフルズホテルに感謝。

タクシーでK氏宅に向かった。

荷物を預かっていただき、バスでカトン(加東)地区へ。

この地区はシンガポールでも古いエリアであり、金子光晴もシンガポールではこのエリアに滞在していたようである。

シンガポールは再開発の激しい国なので当時を偲ぶものはほとんど残っていない。

当時はここに港があったが、今は埋め立てられて道路になっている。

他のエリアより高い建物が少ないのが昔のイメージなのか。

スーパーで食材を買出して、約束の時間となったのでK氏宅に戻った。
K氏は急遽仕事が入ったためK夫人とお嬢さんとご子息、それに日通シンガポール支店のKa氏とホーカーズに向かった。
Ka氏はK氏の代理出席・・・とのこと・・・感謝(^^)

食事をしながら・・・
Ka氏「ogawaさん、今度はダッカをほっつき歩いて写真を撮ってきてもらえませんか?」
ogawa「ダッカ・・・・ですか・・・バングラディシュですよね・・・」
Ka氏「そう、あの『地球の歩き方』でもバングラディシュ編は無いです。今日日本に戻る便キャンセルして、今晩発のダッカ行きにチケット変更しましょうか・・・(^^)」
ogawa「ハハハ・・・それは面白いですが、ダッカってイメージがなくて。ガイドブックロンプラ(Lonly Planet)ならあるかな?」
K夫人「日本赤軍のダッカ事件のイメージぐらいかな」
ogawa「そうですよね。観光っていうイメージはないですね。」
Ka氏「ダッカ事件・・・って」
K夫人「私やogawaさんの世代は有名な事件ですよ。日本赤軍がハイジャックをしてダッカに着陸した事件です。Kaさんは一回り世代が下なので知らないかも。」
Ka氏「そんな有名な事件なんですか。」
ogawa「そうですよ。バングラディシュは東パキスタンと呼ばれていた時代もありました。」
Ka氏「ogawaさん、ダッカにも観光地はあります。行かれる時はうちのダッカ支店が万全の体制で手配させていただきます(^^)」
ogawa「おもしろそうですが・・・ちょっと考えさせてください・・・とりあえず今日は日本に帰ります(^^;;」
と、あれだこれだと話をしているうちに空港に向かう時間となった。
最後はKa氏が空港まで送ってくれた・・・最後の最後までほんとに感謝です。

一人旅なのに行く先々で私を待ってくれている人がいて、その気遣いと優しさのおかげで良い旅になりました。
チャンギ空港のラウンジでいつものおまじない。
「そうさ、また来るさ」とつぶやいて出発ゲートに向かった。

2005.4.29〜5.4 


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