放浪の詩人を追いかけて


金子光晴・・・放浪の詩人というべきなのか旅人としての偉大な先達なのか、おそらく両方なのであろう。

「マレー蘭印紀行」「西ひがし」「どくろ杯」「ねむれ巴里」(いずれも中公文庫)では70年以上前のアジアからヨーロッパまでの破天荒で終わりの見えない旅を綴っている。

その中の一冊、マレーシア、シンガポール、インドネシアの旅行記「マレー蘭印紀行」は、今読んでも色あせない。

その旅行記の中心のひとつバトゥ・パハッ(Batu Pahat)((金子光晴の標記ではバト・パハ)には一度行って見たいと思っていた。

朝9時セントラル・バス・ターミナル。

ムア経由バトゥ・パハッ行きは満席で定刻に発車。約2時間で到着。

〜バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街すじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊のある家々でつづいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うちまかされることなく森々と繁っている。〜(マレー蘭印紀行・中公文庫)

観光客で溢れているマラッカと比較すると、のんびりした空気が流れている。

まず向かったのは金子光晴が投宿していた旧日本人倶楽部の建物。

〜バトバハは、すでにあけはなれようとしていた。 バトパハ川の碼頭にそう日本人倶楽部の三階に私は、旅装を解いて、すでに二週間近くになる。鎧窓をひらくと、そとは、いちめん朝霧であった。〜(マレー蘭印紀行・中公文庫)

70年前のとおり残っているはずはないが、建物は現存しているとのこと。

バトゥ・パハッ川に向かって行くと、数分で旧日本人倶楽部の建物が見えてきた。

「アジア旅人」の本で見たことのある屋上に鐘楼のようなものがある特徴ある建物である。

「ここか・・・」

ということは向かいの赤い建物は、金子光晴が毎日に通ったという岩泉茶室のあった建物である。

〜その店に坐って私は、毎朝、芭蕉(ビーサン)二本と、ざらめ砂糖と牛酪(バタ)をぬったロッテ(麺麭)一片、珈琲一杯の簡単な朝の食事をとることにきめていた。〜(マレー蘭印紀行・中公文庫)
バナナ2本、甘いパンとコーヒーの朝食と書いてしまえば味もそっけもないが、それを「文学」でくるんでしまうと旅情をかき立てる文となる・・・おみごと。

ともに1920年代の建てられ、戦災にあわず今日まで姿を残している。
暑い空気の中、一瞬だけタイムスリップをした。

どこか川に出ることのできる場所はないかと、道を探しながら歩いていると桟橋が見えてきた。

桟橋の先に行こうとしたら私有地だった。

そこの大将が私に話し掛けてきた。

「何処へ行く?」

「川が見たい。」

「そうか、それならここを通っていいぞ」
と言って案内してくれた。
桟橋の途中が町工場で、先には船着場があり、子供たちが遊んでいたり老人が世間話をしていた。

大将は、ひとりひとりに「日本人だ」とニコニコしながら紹介してくれた。
そして船着場の壁を指差して言った。
「ワールド・クロック!!」

私は吹き出した。
そこには壁時計がたくさんかけてあり、それぞれ都市名の時刻に合わせてある。
言葉どおりワールド・クロック。
なんでこんなものがここに必要なんだ・・・ここが世界を相手にしている町工場・・・とか?
ちゃんとTokyoもあった。

日本のように護岸工事をしている形跡はないので、おそらく70年前の流れのままなのだろう。

桟橋の先端から写真を撮らせてもらい、賑やかに握手してサヨナラ・・・どうもありがとう。

この街は、他に観光名所が無い土地であるので金子光晴が書いていなかったら誰も行かない土地である。

おそらく地元の人も日本人観光客がなぜ来るのか知らないだろう。

それほど特色のないマレーシアの一地方都市である。

街中で女性2人に声をかけられた。

「こんにちは。あなたは昨日Hotel Puriにいたでしょう。」
「そのとおりだけど・・・君達は」
「私たち見学にいったのよ。その時ロビーにいたでしょう。」(Hotel Puriは観光ルートになっている)
「そうなんだPuriに泊まっているよ。」
「わぁ、いいなぁ!! 今日は何をしているの?」
「観光だよ。君たちはこの街に住んでいるの?」
「そうなの、でもこの街何もないわよ。何を観光しているの?」
「(英語で説明するのが面倒なので・・・)日本人には有名な街なんだよ・・・」と言って誤魔化した(^^;;
「写真撮っても良い?」と言って一枚撮らせてもらった。ありがとね。

バスの時間までしばらく時間があるので、茶室で「マレー蘭印紀行」を読んでいた。

金子光晴も、後世、自身の著書をバトゥ・パハッに持ってきて読む日本人がいるなんて想像もしなかったであろう。






金子先生・・・あなたの旅した国はどこも大きく変わっているけど、バトゥ・パハッは70年前と同じ川が流れ同じ建物が残っていますよ。



人種と戦争

表紙へ

海外旅行目次へ