マラッカの熱い夜


ババニョニャとは
簡単にいうと中国人(華僑)の男性とマレー人の女性の間で生まれた子孫であり、その双方の文化を融合して受け継いだ人たちのことである。

ここマラッカではインド人(印僑)男性とマレー人女性の間で生まれた子孫チェッティと呼ばれる人たち、ポルトガル人男性とマレー人の女性の子孫はユーラシアンと呼ばれている。ただし、現在はマレー人との結婚では「イスラム教」に改宗しなければならないので、男性の文化、宗教を捨てなければならないのでババニョニャという双方の文化を引き継いだ人は生まれないこととなる。
ニョニャ料理は、その文化の中で発生した中華料理とマレー料理が融合した料理のことである。
もっと詳しく知りたい方はTonyさんのサイトをご覧ください。

ブルドックカフェという店は、この一帯に影響力を持つ人物がオーナーであり、Tonyさんともジッコンの間柄である。

たまたま隣のテーブルで一族で食事をされていたので、Tonyさんが全員に私を紹介してくれた。

料理の写真を撮りながら飲みながら話していると、もう一人の日本人旅行者がマラッカ入りしているので迎えに行かれた。
店には、旧日本軍がマレー半島侵略時に使われた自転車や軍票などもオブジェとして飾ってある。
太平洋戦争の開戦は「ハワイ真珠湾」が有名だが、実際は時差の関係で真珠湾より数時間前に始まったのは「マレー半島侵攻」であるマレーシアのコタバルに上陸した日本軍は自転車部隊(銀輪部隊)などで南に侵攻した。
やはり日本人としては考えさせるものである。
この戦争に関して、後日また別の経験をすることになる。

マレーシアも30日から2日まで3連休であり、マラッカにも大量の観光客が来ている。桜や紅葉のシーズンに京都に来るようなものである。
Tonyさんによると、今日マラッカ市内のホテルはほぼ満室であり、Hotel Puriが取れたのは大変ラッキーである。もしバスできて遅い時間についてたらホテルの部屋が取れなかったもしれない。
ジョホール・バルからマラッカまでタクシーで200MRは格安である、よくその値段で折り合いがついたな、ということであった。






次に週末に行われている中華街のナイトマーケットに繰り出した。

あちこちから「Tony」と声が飛んでくる・・・ほんと有名人なんだ(^^;;



















































深夜にもなり明日の待ち合わせの時間を約束してホテルへ。

今晩ホテルのベッドで寝ることができるのは「幸運」であることを認識した夜であった。

マラッカ不思議ツアー

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