眠れる街 明日にはバンコクの戻る予定である。 選択肢は3つ、一つは行きと同じルートで戻る。2つめは飛行機で1時間05分・・・料金110US$、3つめは旅行会社が仕立てるナイトバス、ビエンチャン→バンコク 18時発翌朝6時到着予定・・・料金600B。 飛行機とナイトバスの料金格差は約10倍。 最近の私は軟弱なので迷うこと無く飛行機を選択。 というわけで、もう一日ビエンチャンに滞在することとなった。 狭いこの街である。 地図を見ながら、まだ行っていない場所に行くのと市場と先日時間切れでタートルアンに入れなかったので、やっぱり行っておこうかな、ということにした。 ビエンチャンの郊外まで行こうという気にはならなかった。 たぶん帰国してから「あそこに行っていない、ここにも行っていない。」となるのだけどいつものことである。 朝の通勤・通学を見ていると、人が動いているので活気を感じることができる。 あっちのお寺、こっちのお寺そしてタートルアンにも行った。 午前中、あちこち歩き回って、市場へ。 2階に上がると、そこはすべて「金行」「銀行」であった。 自国通貨が信用されていないので、「金」や「銀」に変えて資産を貯えるのが一般的である。 値段はすべて「グラム単位」なので、装飾品も延べ板も「重さ」が同じであれば、同じ値段ということである。 地元の人たちが多くやり取りしているのを見ると、日常の商取引であることがわかる。 午後、ホテルの近くを歩いていると、ラオス革命博物館があった。大通りでホテルに近いのに全く気がついてなかった。 3000kip払って中に入った。 最初は有史以前から始まって、部屋が進むことに時代が新しくなってくる。 しかし第2次大戦あたりから「風雲急を告げる」という雰囲気で展示物が一挙に生臭くなってくる。 写真、銃器などの展示になり第2次大戦、フランス統治そしてインドシナ紛争と激動の現代史となってくる。 スターリンやホー・チ・ミン、毛沢東の写真はもとより、この時代になると固有名詞や地名がわかるので英語の一行タイトルでも充分理解できる。 そして1975年8月22日以降になると、全人民代表大会や生産優秀な農民とか工場の写真ばかりで権威主義となりつまらなくなる。 最後のほうに来ラオスのVIPの写真があった、その中に小渕元首相も2000年1月13日に来たと写真が飾ってあった。 メコン河のほとりでBeer Laoをラッパ呑みしながら、ボーッとしていた。 他に行きたいところもないし、カメラバックも少々重いし、赤土の舞うゆっくりとした空気の中で過ごす時間は良いものである。 本日のメコンの日の入りは、残念ながら曇っていてかすかに朱くなっただけであった。 ビエンチャンで毎晩行ったオープンバーで、生ビールを飲みながら、ラオスでの最後の晩ゴハンを何にするか考えた。 今回、一人ということもあり、多くの種類の料理を食べていない。写真を撮るにも良いし、観光客向けとはいえ一通り食べることができるのでありがたい。 さて店に行くと、室内はエアコン効き過ぎで寒い。外のテーブルで食べることにした。 ホテルに戻ったのは、10時過ぎであった。
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