『母の友』記事のこと(1)
11/18/01
福音館書店の『母の友』11月号にぼくの記事が掲載されました。それに関連したお話を、これからしばらくしたいと思います。
『母の友』をお読みになっている方はご存じだと思いますが、あの雑誌には自社広告以外の広告がありません。ということは、スポンサーの意向を気にすることなく企画編集ができるということです。このあたりは『暮らしの手帖』と同じです。決してメジャーな雑誌ではありませんが、さすがに福音館ならではの質の高さをもっています。
その質の高さは、実際に編集者と話をしていて実感しました。8月初め、記事を掲載するという電話を最初に受けたとき、担当の編集者がぼくの原稿について細かくコメントしてくださったのですが、その意見は、実に深くていねいに原稿を読んでくださっていることを感じさせるものでした。
『母の友』記事のこと(2)
11/20
ぼくは文章を書くときは「論理」を大切にします。物事をどう見るかという論理です。ぼくは決して難解な論理を操る人間ではありませんし、自分が理解できなかったり共感できない表現は使わないように努めていますが、それでも基本姿勢として、事実の向こうにある論理の方を見ようとするために、具体性をすっ飛ばしてしまう傾向があるようです。
最初に編集者から指摘されたのがこのことでした。『母の友』の場合はもう少し具体性がほしい、というのです。実際にどういうことをやって、どう感じるか、その事実を述べることで、ぼくの訴えたいことが読者の「腑に落ちる」というのです。なるほど。
応募段階での文字数は、四百字詰めに換算して15枚ほどでしたが、編集者からの指摘に従って書き直したら、20枚近くに膨れ上がってしまいました。
『母の友』記事のこと(3)
11/23
膨れ上がったぼくの原稿を、編集の石田さんが大幅にカットして送り返してくださいました。ぼくの趣旨を生かしつつ『母の友』の編集方針に沿う性格のものにする。両方のバランスを保つことががいかに難しいかは、どの分野であれ仕事をされている方なら、推測できると思います。ふつうは力関係で決まってくることが多いのです。
それをうまく実現するためには、誠実な編集作業が要求されるわけです。当たり前に聞こえることを当たり前のようにこなすのは、本当の意味でのプロでなければできません。今回の仕事を通
じて、福音館書店の質をかいま見たような気がしました。
別に福音館にヨイショしているつもりはありませんが、がっかりするような仕事の進め方をする企業や人たちを多く見ると、こういうことに改めて尊敬の念を抱くものです。
『母の友』記事のこと(4)
11/25
大幅にカットされた本文の一部は、写真のキャプションになりました。Newsletterの体裁や、ペットの写
真についている説明です。そうすることで原稿を無駄にすることなく、全体が立体的になります。また、家族一人一人の記事を掲載するというアイデアが出されたので、バックナンバーから面
白そうなものを引っぱり出してきました。
さらに石田さんは「峯田さんはイラストレーターだということですので、本文のイラストも描いていただくといいかと思うのですが……」とおっしゃいました。これは願ってもないことでした。制作しているところがいいだろうと言う提案で、コンピュータを囲む家族4人を描きました。でもその時は、あの絵がどんな風にレイアウトされるか予想がつかなかったので、後日記事を見たときに、タイトル部分に大きく出ていたのでびっくりしてしまいました。
『母の友』記事のこと(5)失業者
11/29
ぼくが自分でカットした部分もあります。ほんとうは残したかったけど、文章が膨らむばかりなので、割愛せざるを得ませんでした。それらをちょっとお話ししたいと思います。
その一つが、中高年の失業問題です。ここ数年中高年の自殺者が増えているというニュースは、とても他人事とは思えません。ぼく自身はリストラで退職したわけではありませんが、現在経済的に厳しい状況にあることは事実です。自殺する人たちは、それぞれに深刻な事情を抱えているのかもしれませんが、しかし少しでも希望を持ってやっていくことはできないのだろうか、と思います。
失業者の苦痛は、決して経済的なものだけではありません。その中には、ものの見方一つで克服できる精神的なものもあるのではないか、とぼくは思います。
『母の友』記事のこと(6)失業者
12/1
中高年の失業者の中には、企業(組織)に属さないでいるというだけで、社会的に認められていない、という自己喪失感を抱いている人が多いのではないでしょうか。経済的困難に加えて、いわゆる世間の狭い価値観(たとえ実際に人から言われなくても、自分の意識の奥深く入り込んでいるものです)が自分を苦しめ、そのことで、今自分が手にしている良いものまでも見失ってしまう危険性が、失業者にはあると思います。
英語で"Count your blessings.(恵みを数えなさい)" という表現があります。自分の不幸や不運を嘆く人への慰めと励ましの言葉です。いろいろなことが不調なときには、物事のマイナス面
ばかりに目がいってしまいがちです。でも、その時、今与えられている恵み――たとえば家族や友人、ものを見たり聞いたり考えたりする時間――を数え、積極的に評価したい。
……こんなことを、記事の中で書きたかったのです。
『母の友』記事のこと(7)12/4
ユーモアと希望
ユーモアについては記事にも掲載されていますが、ぼくは、ユーモアを「希望」とセットでとらえています。
ぼくがおととしNewsletter(家族新聞)を作り始めて数カ月たったころ、テレビであるドキュメンタリーが放映されました。末期ガンの患者の奥さんが、闘病生活を手作りの通
信に記録して公開していたのです。
大きな苦しみや悲しみを乗り越える手段として、自分たちの日々を、ユーモアを交えながら通
信に記録していました。ぼくはその姿に共感し、感動しました。ぼくが作っているNewsletter(家族新聞)はこの人たちの通
信のようにせっぱ詰まったものではありませんが、自分たちへの励ましである点では同じだと思いました。
現実の困難(自分自身とどうつきあうかも含めて)――これを越えていくための原動力はユーモアと希望だと、このごろとみに感じています。
『母の友』記事のこと(8)12/9
変わったこと、変わらないこと
投稿したのは1年前。掲載するという連絡をもらったのが8月初め。掲載誌が発行されたのが10月。速いものです。記事を書いた頃から、ほんの少しだけ状況が変わりました。子どもたちの学年が一つずつ進級したことと、妻の職場が変わったことです。それに伴って家事の分担も少々変わりました。
でも変わらないのは、家族新聞『みねださんちのNewsletter』を発行し続けていることです。それほど多くの人が『母の友』の記事を読んだわけではないでしょうが、あんなふうに公表すると、気持ちの上ではそうたやすくやめられなくなりました。というより、いい励みになって、続けていこうという意欲がわいてきています。
一つはっきりしたことは、友達が感想として言ってくれたことですが、「生活を足場にした表現者」であり続けようという姿勢です。それが一番ぼくらしいような気がします。
この話題はひとまずこれでおしまい。
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