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決定力不足の日本代表 3/30
サッカーW杯アジア最終予選バーレーン戦が間もなく始まります。イラン戦ではイライラさせられたので、もう見ないぞと思っていたのですが、やっぱり見ることになりそう。
サッカー通のような顔をして偉そうなことを言うのはやめます。とにかくがんばれ! ほんとに「負けられない試合」なんだから。
いったんこれでやめておきます。あとは試合が終わってから。←午後6時40分に書いた
さて、午後11時
で、結果は何とも情けない勝ち方でした。試合前に上に書いた題――決定力不足が、そのまま今日の試合の内容を予言していました。再三のチャンスを生かせない試合運びはいつもと変わらず。ぼくは途中でばかばかしくなって風呂に入ることにしました。で、出てきたら1点リードしていましたが、喜びが湧いてこない。さらにそれが相手のオウンゴールと聞いた時には、笑っちゃいました。
どうして毎度毎度、こんなふうにヒヤヒヤの勝ち方しかできないのか。これじゃあドイツ行きはとても現実味を帯びないし、仮に行けたとしてもどこにも勝てないのでは? なんだかフランス大会を思い出してしまいました。あの時知り合いの人が、日本チームの試合を見ていると、永遠に点数が入る気がしない、と言っていました。まさに今の彼らはそんな感じ。
日中描いていた絵は失敗するし、夜にはサッカーがこんな有様だからぼくのストレスはたまる一方。モヤモヤの気分のまま今日一日が終わるのでした。
人がいない、文化がない 3/25
ライブドア対フジテレビの戦いが次々と新たな展開を見せています。株のしくみについていろんな勉強ができたという意味で、まあ面白いと言えば面白いけど、正直なところ、うんざりする部分もあります。
ニッポン放送の亀渕昭信社長は、ぼくにとって懐かしい人です。60年代末、中学生の頃オールナイトニッポンをよく聴いていました。この人の乗りのいい番組進行はとてもよかった。深夜放送が悪ふざけのおしゃべりに支配される前の素敵な時代でした。今こんな争いで板挟みになっているのがちょっと気の毒。
新旧の世代闘争としてこの問題を見ている人たちも多いようです。その一面は確かにあるとしても、ぼくの印象としては、単にホリエモンの年齢が若いと言うだけのことで、その考え方に清新さは感じられません。金や権力を持つ者が勝ちというサバイバルゲームは、古代から人類が繰り返してきたことじゃありませんか。ホリエモンの若さが感じられるとしたら、バカ正直なところでしょうか。
彼の言動を見ていて思うのは、つくづくこの人の人生には「人」や「文化」がないのだな、ということです。いろいろ理屈を言ってるけれど、結局すべてはマネーゲームでしかなく、人生やビジネスから生身の人間がすっぽりと抜け落ちている。この人の「体質」なのでしょう。
前にも言ったけど、世の中には別の価値があるのだということを示したいものです。そのために必要なのは、フツーの人が派手な報道に流されずに地道な営みを続ける、ということでしょう。
バード・ウォッチング 3/21
土曜日と今日、息子と一緒に光が丘公園のバード・サンクチュアリーへ行きました。ここの開放は休日。ボランティアの人たちが訪問者の質問に答えたり、アドバイスをしてくれます。子どもたちにも配慮した親切な対応です。
ちょっと肌寒かった土曜日と違って、今日は鳥たちも春の陽気に誘われたのでしょうか、たくさん飛び回っていました。我が家の近くでもたくさんの野鳥を見かけますが、望遠鏡で姿を大きくとらえると細かな模様や色あるいは動きがわかり、楽しいものです。今日の収穫は、モズ、アオサギ、ハクセキレイ、オナガ、ヒヨドリをじっくり観察できたこと。
今見た鳥は何の種類か? 鳥が飛び去るまでのわずかな間、形や模様や色を頭にたたき込んで、あとで図鑑で調べます。しかしこれがなかなか難しい。日本野鳥の会が発行している野鳥図鑑があるのですが、絵と実物ではやはりかなりの違いがあるのです。これかな、これかなと迷っているうちに、記憶が薄れてきて、そのうち図鑑の絵の方が刷り込まれてきます。たぶんこれだったんだろう、なんて決めつけたりしちゃうのです。
その点、今日の鳥たちは比較的長い間ひと所に止まっていてくれたので、優等生モデルでした。特に、モズの実物を見たのは初めてだったから、長い時間眺めることができて、いい一日を過ごした気分。ボランティアのお姉さんが、あのモズはしっぽの動きに特徴があるのでメスですね、と教えてくれました。
親子でまた一つ賢くなりました。
卒業式の感動 3/18
暖かい春の陽射しの中、今日、娘の中学校で卒業式が行われました。今どの地方でも学校は荒れていますが、不思議なことにこの中学校は平穏で、とんでもない事件や事故が起きたことはありません。
今の子どもたちはぼくたちの若い頃より、よく言えばクール、悪く言えば無感覚になっているような気がしていたのですが、かなり多くの卒業生たちが式の最後の方で泣いていました。ああ、こんなに感激できるくらい素晴らしい式で、充実した中学校生活だったのだな、と素直に喜びました。我が子も楽しい思い出をたくさん作れたようで、そういうのって、親はほっとするんですよね。
つい最近、千葉かどこかの公立中学校で、サプライズなんとかと称して、生徒たちには事前に知らせず中島美嘉が卒業式の最後に突然登場して歌を歌ったというニュースがありました。ぼくは、あれれと思いましたよ。この歌手は別に卒業生ではない。教師たちはいったい何を考えていらっしゃるのか。
中島美嘉自身はその場で誠実に卒業生を祝福して歌ったのかもしれませんが、この学校の普段の活動とは全く異質なものを突然放り込んで感激させようという、企画そのものに傲りが感じられます。教師たちがそういうことに鈍感になってはいけないと思うのです。自分たちの足下の、生活に密着した部分で感動を作り出して生徒たちに示してみせる、それが教師の役目なのではないかな。
ぼくは今日、若い人たちがごく当たり前の、手作りの卒業式で感激の涙を流していたことを嬉しく思います。
ゴマダラチョウの幼虫 3/15
Toshi Watches (左下)でゴマダラチョウの幼虫を紹介してあります。冬眠から覚めたので餌を見つけなければならなくなりました。ゴマダラチョウはエノキの葉しか食べません。昨日の夕方、光が丘公園にあるエノキの所まで行きましたが、枝にはまだ小さな芽が並んでいるばかり。じゃあ、枯葉でもいいから持って帰るか、と思って根元をガサゴソ探し始めました。
そしたら何と、同じゴマダラの幼虫が見つかったのです。これは思いがけない収穫。早速枯葉と一緒に持って帰りました。今年はこの蝶2匹の飼育に挑戦です。
妻が先日、海野和男さん編著の『バタフライガーデン入門』(農文協)を図書館で借りてきました。蝶が来るような草花を育てるのです。ベランダでもできるというから、これもちょっとやってみようかな、と思っています。
3月2日付け朝日新聞の科学記事――国際環境NGOコンサベーション・インターナショナルという機関が、世界の「生物多様性ホットスポット」に、日本列島を選んだそうです。固有の生物種が豊かな一方、生態系破壊の危機にあり、地球規模で優先的に保全すべき地域ということだそうです。そんな素晴らしい自然をなくしちゃ、もったいない。
この「もったいない」を世界に広めようとしているノーベル平和賞受賞者、ケニア副環境相のワンガリ・マータイさんは、2月に来日した時、日本の緑の豊かさを見て感動したとか。そんな日本の良さを守る第一歩は、身近な自然に心ときめかすことなんじゃないでしょうか。
ゴッホと日本人 3/11
ゴッホはお好きですか? 去年ぼくは東郷青児美術館へ、ゴッホのひまわりを見に行きました。彼の色彩・激しさははぼくの許容量を超えていて圧倒されるばかりです。
間もなく東京国立近代美術館でゴッホ展が開かれます。それに先立ち、今日、板橋区立文化会館で美術評論家、阿部信雄氏による「ゴッホと日本人」という講演がありました。以前竹久夢二展のチケットをくださったSさんからまたお誘いを受けたので、ありがたく聴きに行ったのですが、大変面白かった。
ゴッホは日本人に人気があって、様々なエピソードが結構有名なのだけど、今日の話でさらに中身が膨らんで理解が深まりました。
ゴッホは色彩を求めてフランスを南下し、アルルにたどり着いたのですが、その光り輝く景色が、ゴッホにとっての日本だったというのは新たな発見でした。わたしたち日本人にしてみれば「えっ?」と驚くようなことです。それはつまり、ゴッホが大好きだった浮世絵を通してイメージした日本だったのだろうということなのです。
実はぼくも20数年前にアルルを訪れたことがあります。春の溢れる光の中で、タンポポの種のような白いものが辺り一面に、フワリフワリと飛んでいたのがとても印象的でした。確かにこの景色は絵に描きたくなるよなあ、と思ったものです。でも、あの風景から日本を連想するなんてことはありませんでした。ゴッホの日本愛は、ある部分美しき誤解だったのかも。
サクラチル 3/9
受験シーズンが終わりに近づきました。近年は受験事情もいろんな点で昔に比べるとだいぶ変わってきました。合格発表もインターネットで知らせる学校が増えているようです。ぼくの娘の高校もそうでしたが、ぼくは受かっても落ちても学校で張り出される掲示板を見た方が絶対にいいと思って、最初からそのつもりでいました。生が一番、ってこと。
今、合否を電報で知らせてもらう人はいるのでしょうか? サクラサク、サクラチルというのは定番の表現ですが、若い人は知っているのかな?
合格不合格を桜が咲くか散るかで表すのは季節感もあってなかなかいいとは思いますが、ある時、またいつもの癖で、どうでもいいことを考えてしまいました。桜が散ると言うことは、その前に咲いていなきゃいけないのだから、論理的には合格してから取り消されるということなのではないか? 最初から不合格であれば、「サクラチル」ではなく、「サクラヒラカズ」とか「ツボミヒラカズ」なんてことになるのではないか。
ほんとばかばかしいことです。そんなこと、誰も考えはしないでしょう。語感や語数の点で「サクラサク」に対応して、一番すっきりしているのはやっぱり「サクラチル」ですものね。それに電報だと語数を短くすることは大事ですからね。
でも、トリビアの泉じゃないけど、こんなどうでもいいことを考えるってのは、面白いものですよ。
まともに歌ってよ 3/7
何のCMだか覚えていませんが(別に知りたくもない)、若い女性が幸せそうな雰囲気の家の中でバッハの有名なメヌエットを鼻歌で歌っているのがあります。そのリズムがおかしいんですよ。本来3拍子の音楽なのに1音符抜けているから、言ってみれば5拍子みたいになっている。
それでいて、バックではまともなメロディーの楽器演奏が流れているのです。いったいどういうわけでしょう。わざとそう歌うようにやっている風にも見えないし。聞いていて気持悪くなるので、すぐにチャンネルを変えます。ピアノを習っている子どもたちはよけい気になるみたいです。
ぼくみたいな素人でも知ってる曲ですよ。あの女優、自分で歌っていておかしいと思わなかったんだろうか? 撮影やら編集の段階でだれも気づかなかったんですかね。
と言うのは、こういうものって、意外に細かいことを指摘する人が(特にスポンサー)いるはずなのになあ、と思うからです。まあ、今の世の中、変なことなんて日常茶飯事だし、自分にとって当たり前のことがどこかでは全然当たり前じゃなかったりするから、CMごときに目くじらを立てるほどでもないか。それでぼくの生活が困るってわけじゃないしね。笑って過ごしましょう。
……なんて、すぐに「ま、いいや」という気分になってしまうのも、年のせいなのかもともとの性格なのか。
和菓子とお茶 3/5
昨日ニュースで、和菓子の消費量が減っているというレポートがありました。最近は料理や芸術などあらゆる分野で日本文化の再評価が高まっているので、和菓子も人気が出ていると思っていたんですけどね。意外でした。だって、行列ができる和菓子屋さんがよく紹介されたりするじゃありませんか。その手の本だって売れてるようだし。
和菓子は甘ったるいというイメージが強いけれど、むしろケーキや菓子パンに比べればあっさりとしているし、カロリーも低いのです。昨今の人工的なスナックの味などに比べれば、よほど上品で美味だとぼくは思いますよ。
レポートでは、劣勢を跳ね返すために考え出されたアイデアとして、ケーキなどの洋菓子と組み合わせた新しい味が紹介されていました。
息子が言いました。「和菓子は日本茶と一緒に食べるからうまいんだよ。」小6とは思えない渋い(まるでオヤジのような)指摘です。何しろ息子は大の日本茶好き。毎晩、家で日本茶を煎れているのですよ。確かに和菓子と日本茶の関係という視点は大切かも知れません。そうなると議論は、食生活全体の問題に発展していきます。
日本茶も見直されていることだし、きっと和菓子もまた盛り返すのではないかと思うのだけど、でもブームになっている日本茶はペットボトルのイメージが強い。和菓子とペットボトルのお茶という組み合わせは?……話が収まりそうにありませんね。やーめた。
男雛女雛の位置 3/3
我が家にも数日前から雛人形が飾ってあります。クリスマスツリーを飾らない年はあっても、雛人形は娘が生まれたときから毎年飾ってますね。
我が家では家が狭いので段々の豪勢なものではなく、男雛女雛だけです。あの男雛女雛の位置、どちらが右でどちらが左でしょう? ぼくは男が左(向かって右)、女が右(向かって左)だと記憶していましたが、確信はありませんでした。先日、図書館に行ったら、大きな雛人形(これも男雛女雛だけ)が飾ってあって、男が右に座ってました。
あれえ、こっちが正しいのかな?……早速調べてみることにしました。図書館にいるのだからすぐにわかるはず。
探してみたら、そのことについて触れている本がありました。こう書いてありました。京都の古典的な飾り方では、雛飾りは陰陽道から来ていて、左(つまり向かって右)が陽、右(向かって左)が陰ということで、男が左に座っていたのだそうです。しかし今ではこれにこだわらなくなったと言うことで、みんなバラバラみたいですね。
数日前、新聞に芥川龍之介の家で飾られていた雛飾りが公開されたという記事が出ていました。その写真では男雛は右(向かって左)にいました。芥川龍之介だったら結構昔なのに、ちょっと意外でした。それとも関東の風習?
桃の節句というのに、今年の春は遅れ気味。早く暖かくなってほしいものです。
2月の「ごあいさつごあいさつ」
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