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よみがえる森 5/23
気が重くなるニュースや話題ばかりが、毎日わたしたちのまわりにあふれています。それに対抗するために必要なことは、日常生活の中で小さな喜びを努めて見つけ出し、それを積み重ねていく作業かもしれないとぼくは思っています。
でもある時、思いがけず、希望を与えてくれる明るい話題が向こうからやってきたりすると、心に日溜まりが生まれたような気持ちになります。
今日、たまたま夜9時からNHKスペシャル『足尾銅山─よみがえる森』を見ました。タイトルも何も知らずに見始めて、最初は、また環境破壊のドキュメンタリーかな、と暗い気持ちになりました。ところがしばらく見ていたら、それは栃木県足尾山の荒廃した自然が回復するレポートだったのです。
足尾銅山と言えば、みなさん社会科で学んだ覚えのある有名な場所ですね。日本最初の公害発生地であると、番組は伝えていました。銅の精錬工場が排出する煙のために広い範囲の山林が破壊されて、何も育たない岩山になってしまいました。しかし1957年、その地域を再生するために、緑化プロジェクトが多くの人たちの手によって始められ、予想を上回るペースで自然が回復しつつある、という報告でした。
人間は近代、特に20世紀以降すさまじい勢いで環境破壊をやっているけれども、破壊の原因である知能をいい方向に生かすなら、こんなふうに自然がよみがえらせることもできるということを証明してもらったような、嬉しくなる番組でした。映像も美しかった。
嵩高紙(かさだかし) 5/20
夕べのNHKニュース10で、本に使われる紙の話題が取り上げられました。最近のベストセラーでは「かさ高紙」と言われる、普通よりも厚めで軽い紙が使われているのだそうです。文芸本の新記録を達成した(270万部)『世界の中心で愛を叫ぶ』や『蹴りたい背中』など。
広島の製紙会社で最近開発された紙で、これを使うと、ページ数が少なくても本の厚みを出せます。本を読まなくなった若い人でも、読了したという達成感を味わえるのが売れる要因の一つになっているのだそうです。
読書に関する忍耐力・持久力を持たない人向けのいわば「底上げ本」用紙ということですね。ベストセラーは、もともと内容が薄いものが多い。ほとんど考えなくてもいいような文章を、ほぼ1文ごとに行替えする。さらに紙を厚くして束(つか=本の厚さのこと)を出す。本格的ビールの代わりに発泡酒が売れるのに例えちゃまずいかな。出版社にしてみれば、それで売り上げが伸びるのなら大いに利用するでしょう。厳しい経営状況にある昨今の出版業界では、やむを得ないことです。
それは認めながらも、でもどこか引っかかってしまうんですね、ぼくは。読書の達成感はそんな手段で得られるものではない。そんなところでごまかしていても、本当の読書の面白さにつながるとは思えない。従って、本当の読者の開拓にはならないのではないか、と。本の内容と装幀の関係は、もっと奥深いものだと思うのですよ。
お客様か? 5/17
先週の土曜日は、朝からとてもあわただしい一日でした。午後に息子と御茶ノ水まででかけたのですが、帰りに大江戸線新宿駅で乗り換えをして電車待ちをしていたところ、なかなか来ない。遅すぎるなと思っていたら、アナウンスが入りました。
「先ほど、六本木と麻布十番の間で、線路上にお客様が立ち入ったという連絡があり、ただいま全線停止しております。警察と駅で捜索中です。ご迷惑をおかけいたしますが、もうしばらくお待ちください。」
そして待たされること40分。ぼくはあのあと打ち合わせの予定もあったので、非常に困りました。2、3分おきにアナウンスが入りましたが、文章は2種類で内容は同じでした。気になったのは、そのうちの一つが、線路上に紛れ込んだ人のことを「お客様」と呼んでいたこと。なんか間違ってない?
こういう行為をする人のことを「お客様」と呼んでいいんだろうか? ふつうこれは間違った行為でしょう。その人が線路に入らざるをを得ない事情があるのなら、それを説明してほしいけれど、それはいっさいなく、電車が動き始めたあとも社内アナウンスで、同じ文句を繰り返していました。
もちろん「こいつ」とか「あのバカ」という感情的な表現はダメだけれど、事実が分かるまではニュートラルな表現にすべきなのでは、と思いました。待たされた利用客たちのことも考えてよ(怒)。
切れ味も味のうち 5/13
主夫として、晩御飯づくりを週の半分はやっていますが、調理をしていて気がつくのは、包丁の刃が意外に短期間でナマクラになってしまうこと。タマネギやトマトを切るとよくわかります。切ったはずのものがつながっていたりするとイライラが募る。だから包丁研ぎはけっこう頻繁にやります。今日も研ぎました。
もう20年以上も前に、包丁の雑誌広告に「切れ味も味のうち」というキャッチコピーがあったのを覚えています。一見地味な広告だったけど、ちょっと粋な言葉だったので、記憶に残っていました。
自分で調理をやるようになって、この言葉が真理だということがよーくわかりましたね。切れ味鋭い包丁を使うと、調理が楽しい。キャベツの千切りだの、ピーマンのみじん切りだの、何でも切りたくなってくるのです。それに、味も確実に良くなる。魚をおろすのにモタモタしてたら鮮度ガタ落ちですからね。
包丁研ぎはめんどうなものですが、研いだあとの切れ味を体験すると、労苦が報われたようで、爽快です。
地味な包丁研ぎを楽しくする方法。山姥になったつもりで「ヒッヒッヒ」と不気味な笑い声をたてながらじっくりやりましょう。ただし、これは自分だけの密かな楽しみにしておくこと。決して家族の前ではやらないでください。
いや、一人でやっているほうがもっとアブナイか……。
信じる
5/10
イライジャ・ウッドの似顔絵を描くために『ロード・オブ・ザ・リング』のプログラムを見ていたら、アーティストの村上隆という人の談話が出ていました(この方、ご存じでしょうか?アニメキャラのようなかわいい絵柄でポップなアートを制作している人です)。
その中で村上さんは、このとてつもない物語を映画化したピーター・ジャクソン監督の力について、こんなことを言っています。長くなりますが、印象に残る言葉なので、以下に引用したいと思います。
そのベースは、「信じる」と言うこと。日本では隣人の力や友情というのを信じられないけれど、日本を離れた瞬間に、それを信じないと何もできない、という当たり前のことに気がつく。(中略)日本では若い人が信じることに臆病になりすぎている。日本の教育の問題なんだろうけれど、裏切られた経験があるわけでもないのに、それを予感して、びくびくしている。ぼくも若い人に自分を、他人を信じていいんだ、ということを伝えていきたいと思っているけれど、ピーター・ジャクソンはまさにそれを実行した。
ほんとうにそのとおりです。若い人だけじゃない。中年も年老いた人も、信じることができなくなって、それが現実だとあきらめてしまっているような空気が、今ぼくたちのまわりに蔓延しています。そんなよどんだ空気を吹き払ってくれる言葉でした。
男の子、女の子
5/6
郷ひろみの歌ではありません。……なんて言っても、これが郷ひろみのデビュー曲名だと知っている人は |