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アルツハイマーと創作活動
11/25
おととい日テレで「記憶のチカラ」という番組をやっていました。脳には以前から興味があるものだからちょっと期待して見たのですが、2年ほど前に古舘さんと養老さんがやっていた番組の二番煎じのような(ぐっと薄めた)内容で、がっかりしました。
一番腹が立ったのは、頻繁にCMを挟んでいたこと。4分本編、2分CMという感じでした。内容が乏しいからCMばっかり流していたのでしょう。イライラしてきます。こんなのを見ていたら、それこそまともな思考力のない脳ができあがりそう。
その中で、個人的な理由からひとつだけ印象に残ったエピソードがありました。80歳を過ぎてから絵を描き始めた日本人女性の話でした。現在88歳。老人性アルツハイマーが発症してから、絵を描くようになったらしいのですが、作品がどれもすばらしいのです。
番組では、脳はある部分が衰えると別の部分がそれを補うようになると解説していましたが、それまで絵筆をとったことのない人があんなにすばらしい絵を描けるのが、信じられませんでした。そして、絵を描いているときの顔がとても穏やかなのにも心を動かされました。
ぼくの母親が79歳で、やはりアルツハイマーの初期段階にいるのです。人生への恨みばかりがたまっているような今の生活を見ていて、ぼくは正直希望を失っていたのですが、もしかすると絵を描くなどの創作行為に、新しい光が見出せるかも知れないと、ふと思いました。
カネで買えないものはあるだろ
11/21
朝日新聞の20日付 be on Saturday で、話題の人、ライブドアのホリエモンが出ていました。顔のどアップ写真と「カネで買えないものなどあるわけない」の見出しが目を引きます。インタビュー内容も十分に挑発的。
今年のプロ野球界は混沌の中にありますが、楽天の社長といいこの人といい、新規参入を名乗り出た二人とも似たもの同士で、この程度の人たちが日本の話題を作っているのかと思うと、正直寒々しくなってきます。
堀江さんは一見古い体質に抗しているようですが、新しいのはIT技術だけ。と言っちゃおしまいかも知れませんが、「世の中すべてカネ」というコンセプトはまさに戦後の自民党政治の体質そのものじゃありませんか。32歳のこの人は大衆消費社会の中で育った、まさに時代の申し子と言うべき人物です。自分の言ってることさえ世渡りのための道具でしかないと割り切っているフシが感じられます。でもこんなふうにぬけぬけと言われると、そうなんだよなあって思う人が結構多いんじゃないか。
そうなんだよなあって思ってしまう人たちが、こんな人にうまく利用されて「負け組」にさせられちゃうのでしょう。もしそうだとすると、それこそ日本の文化が衰退していることの証明なのだと、ぼくは思いますね。こんな薄っぺらで小賢しい考え方が通用してしまう世の中。
でもこの人の出現は、カネで買えないものがほんとにあるのかどうかをもう一度問い直す、いい機会なのだと思います。心を鍛えて賢くなって、「カネで買えないものはやっぱりあるよ」って言えるようになりましょうよ。
新潟の言葉
11/17
前回に続いて新潟のこと。ニュースで被災地の人たちのインタビューがよく出ますが、聞いていて驚くのは、みなさんほとんど標準語のアクセントで話していること。何で?
中年やお年寄りの中で、発音がちょっとなまっている人はいるけれど、アクセントは東京型ですよね。もともとあまり方言がなかったということなのか、教育の結果なのか?
新潟の人たちの話し方を聞いていると、東京出身の役者が新潟でロケーション撮影をやっているような、不思議な感覚にちょっととらわれてしまいます。
そう言えば10年ほど前に仕事で秋田県に行ったとき、子どもたちが比較的標準語っぽくしゃべっていたのを思い出します。その時はなんだかちょっと寂しい気がしました。
ぼくの郷里の福井は、今でも根強くなまりが残っていますよ。30年前とは多少変わったけど、基本的には同じ。きっといつまでもこんな感じだろうと思います。でもぼくはそこが好きです。土地の言葉が残っている方が、古里らしいじゃありませんか。
福井人同士で標準語をしゃべることへの抵抗感は、たとえて言えば、日本人同士で英語会話をするときの照れくささ、抵抗感と同じです。東京という「外国」に来ればネイティヴもいるから話さざるを得ない状況に追い込まれる。だから話す、という感じですね。
そうすると、新潟の人たちは、みなさんバイリンガルってこと?
新潟を知る
11/14
今年の日本は自然災害が多すぎて、マスメディアもカバーしきれないでいるようです。台風23号の災害報道は新潟県中越地震の陰に隠れちゃったけれど、どれもまだまだ終わったわけではありません。メディアはどうしても新しい方に飛びつく傾向があります。
とても皮肉なことなのですが、繰り返し報道されることで、ぼくは新潟中越地方の地理やら産業について学ぶ機会が与えられました。どの地方にも全国に誇れる地場産業はありますが、新潟にもたくさんあるわけで、それを今回図らずも詳しく知ることになったのです。もちろんそれらの産業が大打撃を受けているということは何とも心が痛みます。
ヨネックスはこの地方が発祥地だったのか、と新しい発見をしました。ニシキゴイといえば故田中角栄さんが思い出されます。そうか、これもここが発祥だったんだ。なるほど。魚沼のお米は昔からよく知っていたけれど。
山古志村という名前もぼくは初めて知りました。きっと「山を越した」所の村というのが由来なのでしょう。人々の村への思いが感じられます。しかし住民がそこを立ち退かねばならなくなり、その美しい景観が土砂や水で破壊され、牛がたくさん死んでいる光景は悲惨です。
最近ぼくはほとんどアルコールを飲まなくなりましたが、甚大な被害を受けた酒造会社がまた出荷を始めたというニュースを見て、今度は「久保田」やらほかの新潟産の日本酒を買ってあげようという気になりました。
IQは1Q(いっきゅう)さん
11/8
先週の文化の日に、テレビ朝日で「テスト・ザ・ネイション」というのやってましたね。子どもたちは去年もやったそうで、今年また挑戦ということでビデオに録画しました。翌日ぼくも子どもたちと一緒にやったんですよ。
結果は?
127でしたよ〜ん。会場の東大生平均(120)より良かった。おー、まだまだ衰えてないぞと喜んでいたら、小6の息子は136でした。
ぼくが小学生だった35年以上昔はIQテストを学校でやったのを覚えています。結構楽しかったけど、点数は教えてくれなかったのがつまらなかった。IQ神話全盛期の頃でしたね。
でもIQは脳力の一部しか測れないことはその後の研究で明らかにされてきました。確かにそうです。今回のテストだって、たとえば最初の5問は単なる文字のパズルでしかないように思えて、これを果たして言語力ととらえていいのか疑問でした。
それにIQテストでは時間との勝負がすごく重視されているってのもいかにも現代的な発想で、冷静に見れば偏ってますよね。ま、要するにこれはゲームだと思って楽しめばそれで十分なわけだけど。IQすなわち1Q(一休)さんのとんちって考えればいい。
以前にも話題にしたことがありますけど、10年前に買った "Emotional Intelligence" はとてもいい本でした。『心の知能指数』と訳されて日本でも流行りました。直訳すれば「感情の知性」。殺伐とした現代ではこちらの知性の方がはるかに重要性を増してきています。
田臥と身長
11/4
田臥勇太選手がNBAデビューしましたね。初試合に出場して10分間で7得点。試合をちらっと見ました。ぼくはバスケには詳しくないので専門的なことは全く言えませんが、動きは良かったと思いますよ。いいパスも出してたし、惜しいシュートシーンもいくつかありました。
ベースボールだけでなくいよいよバスケットのトップレベルの舞台でも日本人が登場するようになったのだから、イチローみたいに活躍してほしいものです。
この田臥に関するニュースに必ず出てくるのが身長の話題。173cm。この言葉が一つの記事の中で最低1回は出てきますね。枕詞みたいでなんだかおかしくて。サッカー界では、大久保嘉人も田中達也も168cmですが、それほどのハンディにはならないし、体格をいちいち話題にはされません。あのマラドーナだって、165cmくらいでしょう。バスケットだと体格差はどうしても注目を浴びちゃうのでしょうか。大柄であることが有利とされる世界で小柄な人たちが活躍するのは、同じく小柄なぼくとしてはうれしいし(ちなみにぼくはスケートの清水選手と同じ161cm)、すごい人たちというのはいつでも、ハンディを乗り越えて力を発揮していると言うことですよね。見習いたいもんだ。
アメリカではブッシュが再選するし、日本の野球界では楽天が新規参入に決まるし、正直言ってぼくは暗澹たる気持ちになっているのです。その中で田臥選手のデビューは、ちょっとだけ気分が晴れるニュースでした。
笑って過ごすしかない
11/2
11月です。イラクで人質になっていた香田さんが先日還らぬ人となりました。台風や地震の報道のおかげで、前回の人質事件に比べるとややかすんでいたような印象もありますが、深刻で悲惨な事件には違いありません。何を言っていいのかわからなくなる災害や事件が多すぎますね。こんな時にこそその苦しさを跳ね返す力となるのはユーモアだと思うけれど、テレビのバラエティー番組などは、世界のことをそっちのけで文字どおりバカ騒ぎしているだけだから、よけい腹が立ってきます。
イラクで殺された香田さんの最期を思うと胸がつぶれそうです。はっきり言って、この時期にあんな危険なところへ行ったのは無謀でしかないけれど、現代は「若気の至り」が待ったなしで取り返しのつかない結果を招いてしまうような残酷な時代なのだと思います。やり直しが許されない窮屈な時代。
それに加えてインターネット上を飛び交う心ない誹謗中傷。どうしてみんなそんなに心がすさんでいるんだろう。
香田さんがとらえられてから命を絶たれるまでの数日を想像すると、あまりにも寂しく、恐ろしく、むごい。短い人生をそんなふうに終えるのは悲しすぎます。願わくはその死が、多くの人たちを生かすものとなりますように。
あちこちに悲しみがあふれているけれど、そんな廃墟の中からも笑顔や喜びの芽が生まれて育っていくようにと祈ります。「人生で一番無駄な日は、笑わなかった日だ」(ニコラ・シャムフォール)
10月の「ごあいさつごあいさつ」
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