年を越す  12/30  
団地のまわりに住みついている4匹の野良猫たちには、大晦日も正月も関係ありません。今日も植え込みの中で、仲良くひなたぼっこをしていました。長田弘さんの詩に「忙中、猫あり」というのがあります。猫たちを見ていると、ほんとうに彼らのまわりだけ、別の時間が流れているようです。
わが家では昨日大掃除を済ませました。でも、特別お正月用の飾り付けをするわけじゃないから、ふだんとあまり変わりません。子どもたちは年賀状づくりに苦労してます。
数日前からぼくはニワトリの絵ばかり描いています。一年早い十二支のモチーフですが、たまたまそうなっただけ。
サルの絵も年賀状のためにいくつか描きましたが、実物のスケッチができませんでした。生き物の絵は本物を見た方が線が格段に良くなります。今度動物園に行って、実物を描いてこようと思っています。でも、写真を見てて思いました。サルはひょうきんでもあるけど、けっこう哲学的な表情を見せていたりするんですね。対話をしてみたい。
みなさま、どうぞ、良いお年を。

サンタが家にやってきた  12/27  
今朝、外を見たらうっすらと雪が積もっていました。これが2日早かったらホワイトクリスマスだったのにね。
不況にもかかわらず、わが家にも一応サンタはやってきました。わが家のルールでは、子どもが中学生になると、プレゼントを持ってくる役目をサンタさんから親が引き継ぎます。したがって、中2の娘には去年からぼくたち親がプレゼントをあげています。弟は今小5なので、来年まではサンタさんがやってきます。子どもたちがなんと言おうと、やってくるのはサンタさんです。
今年のサンタさんはちょっと怠慢で、プレゼントにきれいな包装をせず、そのままボンとイスの上に。天体望遠鏡でした。でも息子はずいぶん気に入ったようで、サンタさんもほっと胸をなでおろしていました。
さて、有名な割にはぼくたちサンタクロースのこと、よく知らないんですよね。そんな人たちに『サンタクロースの謎』(賀来周一著、講談社+∂新書)をお勧めします。ぼくは去年、教会からプレゼントされました。読みやすくて面白い本です。

ボウリング・フォー・コロンバイン  12/22 
先週、近くの図書館で『ボウリング・フォー・コロンバイン』の上映会をやっていたので、見に行きました。以前から、見たかったのです。銃社会アメリカのゆがみを追求した作品。確か、アカデミー賞ドキュメンタリー部門の特別賞を取ってます。いろいろ考えさせられました。
監督マイケル・ムーアの主張は、アメリカの社会全体が不安をあおる構造になっていて、みんなが銃を手放せなくなっている、というものでした。特にマスメディアの責任を訴えていました。
メディアの流す偏ったイメージという点は、日本にも共通すると思いました。ぼくたちもそれによって、無意識のうちに不安をあおられ、不満を増大させているような気がするのです。異常な犯罪事件の増加と無関係ではないでしょう。日本で銃の所持が禁止されているのは幸いです。
『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンが出てきました。全米ライフル協会の会長である彼が、銃について人を失望させるような言動をおこなっていたことを知り、悲しくなりました。
内容は深刻なのに、全体の作りがカラッとしていたのが、まあ、いくらかの救いだと言えるでしょうか。

フセインとらえられる  12/18    
日曜の夜にビッグニュースが報道されました。その後テレビでは、フセインが検査を受けている映像が繰り返し流されています。ヒゲもじゃもじゃで、お口をあーん、というシーンが、それまでのフセインの姿とはあまりにかけ離れているものだから、かなり強烈な印象を与えます
パーティー・ジョークを一つ思いつきました。フセイン拘束に先立って発令されたブッシュ大統領の命令──「奴は口の中に大量破壊兵器を持っているかもしれない。さがせ」
このニュースに対する日本の市民の反応がテレビに出ていましたが、その中に面白いのがありました。街頭でニュースを聞いた若い女性「え、それじゃもう自衛隊は行かなくてもいいんですね」この発言は、一般の人が自衛隊派遣をどうとらえているかを示すいい例でした。小泉さんがどれだけ復興支援と繰り返しても、素朴な感想は、戦争に行くんでしょ、と。
この女性のように考えている人は、意外に多いのではないでしょうか。世界はやっぱりとんでもない方向に進んでいるんでしょうか
もしそうだとしたら、悲しいことです。そうではないと願って、やれることをやっていきたいものです。

レンブラントとゴッホ  12/13/03   
今月、レンブラント展とゴッホ展に行きました。どっちも日本人には大人気のオランダの巨匠。レンブラント関連は毎年どこかが必ず開きます。来年も秋に読売新聞主催で行われる予定です。また行っちゃうんだろうな、ぼくは。
レンブラントの絵については、色使い、筆遣いがすごく好きで、精神的な深みを感じるものが多いのですが、一つだけ、いつ見ても疑問なのは、女性像がどれも老けていて、ブヨブヨしていることです。魅力的な女性を見たことがありません。生涯の愛妻、サスキアをモデルにしたといわれる女性でさえ、みんなおばあさんみたいなのです。女性を表現するのが苦手なところは、ミケランジェロに共通してますね。
ゴッホは昨日、見に行きましたよ。花の絵を中心に展示されていました。『ひまわり』は、鮮やかな黄色やオレンジが画面全体からまぶしく輝いていました。圧倒的な生命力。
でも実を言うと、ぼくはゴッホの絵が苦手なのです。なんだか息苦しくて。こういう人と知り合いだと、おつきあいが大変そう、なんて、余計な心配をしちゃうのです。会場には印象派の他の作家の絵もあって、ぼくはモネの睡蓮やセザンヌ、ピサロ、マチスの絵を見たときに、すーごく、ほっとしたのでした。

11月の「ごあいさつごあいさつ」