第22回
『キツネ』 マーガレット・ワイルド/文、ロン・ブルックス/絵、
BL出版、2001、\1600+税
原書は2000年に発行されています。これをたとえば20年前の絵本と比べると、絵本の世界はここまで進化したのか、と思ってしまいます。技術面ではなく内容が。こんなに重層的な作品はもはや単純な子どものための本とは呼べないような気がします。でもぼくは率直に、こういう進化はむしろ望ましいこととして歓迎するのです。
進化、と今言いましたが、お話そのものは寓話形式なので、その点では絵本の王道を行っていると言っていいでしょう。登場するのは犬とカササギとキツネ。
火事に見舞われた森から、カササギをくわえた犬が走ってきます。カササギは羽を痛めて飛べなくなっています。犬の方は片目が見えません。彼らはお互いの羽となり目となって支え合って暮らします。平和に過ごす彼らの所に、ある冬の終わりの日、キツネがやってきます。カササギは直感でキツネから不気味なものを感じ取り、不安と警戒心を抱きます。でも楽天的な犬は何の疑いもなくキツネを歓迎します。
ある日、キツネはカササギにこう言います。「おれの方が犬より速く走れるぜ」カササギは犬との信頼を大切にして、始めはその誘いを断っていたのですが、巧妙な働きかけを何度か受けるうちに、かつて飛べた日を夢見て、キツネの背に乗って出かけることにしたのです。何も知らず眠っている犬を置き去りにして。
しかし、カササギを乗せて走りに走ったキツネは、たどり着いた焼けつくような砂漠で、カササギをふりおろしました。「これでおまえもあの犬も、ひとりぼっちがどんなものかを味わうことになるだろうさ」こう言い残して、キツネは立ち去ってしまいました。ひとりぼっちになってしまったカササギは死の予感の中で、置いてきた犬のことを思い出しました。そうして気を奮い起こして、ピョンピョンとはねながら、犬の待つところへと旅立つのです。
カバーの袖にこんなコメントがかかれています。「友情と信頼、ささやかな冒険欲と心変わり――これは、ほんらい人間のもつ性(さが)の原型がからみあう物語です。」
登場する動物は、一見典型的な寓話的性格を帯びています。楽天的な犬、浮気なカササギ、ずるいキツネ。その意味ではいかにも古典的と言えるのですが、ではこの物語のどこが「進化した絵本」なのでしょうか?それは人間の本質を単純化していないところ。さらに、負の部分を見せながらも、否定していないところだと思います。教訓話にしていません。読者に人間の本質をそのまま示し、決して善悪二元論で判断してはいないのです。ラストシーンなども読者によって解釈が違ってくるでしょう。ぼくは希望を読みとりたいけれど、必ずしもそればかりではないような気がします。
したがって若い人たちは、この本を読んだあともすっきりせず、心の中にモヤモヤが残るかもしれません。子どもにこういうものが必要か、という議論もあるでしょう。でもぼくはこのごろ強く思うようになりました。このような形で人間の本質を伝える絵本は、最近の子どもを取り巻く状況にあってこそむしろ必要なのではないかと。現実はそれくらい厳しくなってきているし、絵本文化はそれくらい成熟してきているはずです。
無責任なやり方で人間の欲望や裏切りといった殺伐とした世界、あるいは胡散臭い愛や友情の世界を見せているエンタテインメントが多い中、このようなアプローチは深く人間を知る力を養う上で、大切だと思うのです。
絵のことにも触れなければいけません。この本はお話と絵が高い緊張感を保ちつつ調和している作品なのです。画家は、油絵の具、アクリル、水彩などさまざまな材料と、スクラッチ、手書きの文字、コラージュなどさまざまな手法で、写実を超えた、人の内面の世界を描き出しています。風景さえも内面の表出として描かれます。
画面の作り方のおもしろさは、ぜひ実物で味わってください。斬新ですが、奇をてらったものではありません。横や縦に並べられた手書きの文字は、読者に「見ること」の再考を迫っているようにも感じられます。細部に行き渡った手作りのタッチは、物語全体に流れる生命力、不安感、おそれ、をみごとに視覚化しています。鑑賞して安らぎを得る性格のものではありませんが、つい眺めてしまう魅力を持っています。
ぼくが一番好きなのは、物語の中ほどにあるキツネの目のアップ。映画的な効果を出していて、とても印象的です。
11/25/2003
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