第21回

『かきねのむこうはアフリカ』 
バルト・ムイヤート/文、アンナ・ヘルグンド/絵、佐伯愛子/訳
 
                            ほるぷ出版
、2001、\1400+税


 
日常生活の中での異文化との出会いについて考えさせてくれるすてきな絵本を。
 話を作った人はベルギーで生まれてオランダで活躍している人、画家はスウェーデン人、発行はスウェーデン。舞台は明記されていませんが、
北欧のとある町なのでしょう。主人公の男の子は、これも明記されていませんが、10歳前後と思われます。
 彼の住む家は日本の建売住宅のような形式になっていて、同じ作りの家が16軒並んでいます。裏庭があって、倉庫があって、さらにその裏に菜園がある。みんな同じような生活をしています。
 
隣に住んでいるのはフランス語を話す人で、デジレーさんという名の奥さんと4人の子どもたちがいます。どうやらアフリカ人のようです。ご主人はほとんど家にいません。見ていると、その家族は他の住人たちとはちょっと違った生活をしていて、雨が降ってもずっと庭で、椅子にすわったまま過ごしていたりしています。
 そのうちデジレーさんは金づちと鉄の棒を持ち出して、倉庫に何かを始めました。数日たって、倉庫はすっかり取り壊されてしまいました。まわりの住人たちは、一家族だけが違うことをしているのを、快く思いません。でもデジレーさんはそんなことお構いなく、次の作業に移ります。今度は土を掘り返し始めました。少年のお母さんは、自分たちの菜園を作るのだろうと言いました。どこからかもってきた袋から土を出してきます。ところが何日かたってできあがったのは、土の家でした。それは、家族の故郷であるカメルーンで造られるのと同じ家なのです。
 新しい土の家ができあがったとき、少年はデジレーさんを訪ねました。お茶を飲みながら、デジレーさんはこう言います。「(土の家に)たまにきて、のんびりしようとおもって。あっちの家(ヨーロッパふうの家)にあきたりとか、国がこいしくなったときとかね。ときどき、自分の国にかえりたくなるのよ」

 短編小説のような味わいの絵本です。
 町の名前も、語り手である少年の名前も紹介されません。隣家のアフリカ人親子が土の家を造るまでの過程が、少年の目を通して淡々と語られます。読者は少年たちといっしょに、カメルーン人一家の生活を観察し、うわさをし、想像し、驚き、対話をします。作者の実体験に基づいているのでしょうか。とってつけたような説明をせず、少年の想像だけで終わらせたり、見たままの描写をしているところにリアリティーがあります。まわりと違うことをする異文化人に対する住民たちのちょっとした反発も描かれていますが、深刻な展開は見せません。語られているのは、あくまでも生活の一コマです。
 
話の中ほどで、少年はお父さんから、隣の家族がカメルーン人であることを教えてもらいます。夕暮れに少年は、目を閉じて自分がカメルーンにいる様子を想像します。ライオンやサルの声。でもそれは誰もが思い浮かべるステレオタイプのアフリカです。他にはどんな音がするんだろう、何が見えるんだろう。少年は思います。「デジレーさんの国のことをぼくはなにも知らなかった」

 絵がすてきです。水彩とパステル(あるいは色鉛筆?)で描かれた素朴な色と線が、淡々としたストーリーと良くマッチしています。ふたつの見返しの絵が内容をさりげなく表していて、読み終わったあと、ああそういう意味なのか、と楽しめます。この画家は自分でもお話を作り、たくさんの本を出して、賞もいくつかもらっています。他の作品をちょっと見てみようと思いました。

 ぼくの息子のクラスにも、お父さんがアフリカ人という友達がいます。ガボンという国の出身で、やはりフランス語を話します。日本語も流暢に話します。何度か話をしたことがありますが、学校の行事には積極的に参加するし、いつも笑顔のすてきなお父さん。日本人と結婚していますし、日本文化にかなり理解を示しているようですが、苦労も多いにちがいありません。奥さん(これまたすてきな方です)からちょっとそんなことを聞いたことがあります。ぼくはこの絵本を読んで、その家族のことをちょっと想像してみました。考えてみたらぼくも、この絵本の少年と同じように、アフリカの国々のことをほとんど知らないのです。
 息子のクラスには他にも、お母さんが中国人という友達もいます。教会にも韓国人や台湾人の家族がいます。身近なところで国際化は進んでいるのです。幸い、息子のクラスでは国や民族に対する差別やいじめがないようなのでうれしく思いますが、受け入れる側は、相手が自分たちと同じように振る舞うことを当然と考えがちなところがあります。でも時に、自分たちとは異なる文化と、実際にそこで生活をしている人たちに想像を広げることは大切なような気がします。そうすることで、共存することがどういうことかを学べ、ぼくたち自身も豊かになれるから。

                                   5/30/2003

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