第18回
『だいちゃんとうみ』 太田大八/さく・え(福音館書店)
太田大八さんと堀内誠一さんの二つの大きな共通 点。それは達者な絵を描くこととと、デザイン感覚があること。二人とも話の内容に合わせて、洋風和風、いろんな画材を用いていろんな絵柄が描けてしまいます。太田さんは絵本作家になる前はグラフィックデザインをやっていたのだそうです。その感覚は今回取り上げる絵本にも生かされています。
ぼくが太田さんの名前と作品を具体的に意識するようになったのは、娘が幼いころ、『ABCどうぶつえん』 という絵本を人からいただいて読んでいたときです。毎晩読みながら、エリック・カールを思わせるカラフルな色を楽しんでいました。
先だって(6月1日)、練馬区立美術館へ「絵本原画の世界展」を見に行き、この作家の原画に接し感動を新たにしました。中でも『だいちゃんとうみ』はいつまでも見ていたくなるようなすばらしい絵です。
この絵本は、太田さんが子供時代に、友達のこうちゃんと長崎の海辺で過ごした夏の一日を描いています。海や川で魚や貝やエビを捕ったり、砂浜で海の幸を料理して飯ごうでご飯を炊いて食事をしたり。日が暮れるまでのゆったりとした時間の中で、作者は自然を体いっぱい味わいます。その一日は、現代の、特に都会に住む子どもたちには経験することのできない贅沢な豊かさです。アウトドアーの体験とは全く異なるものです。ここに描かれているのは、子どもが通りすがりに見た自然ではなく、子どもの生活の中にある自然です。すぐそこにある自然。
一つ一つの画面から、潮のにおい、移り変わる陽光の熱さ・まぶしさ、透き通った水の冷たさ、たんぼ道の草木のにおい、風の涼やかさが伝わってきます。終わりの方、夕暮れにクスノキの上の櫓から海を眺める場面では、一日をいっぱい遊んだ後の心地よいけだるさを、読んでいてぼくも感じました。最後の場面にこんな文章があります。「ゆうぐれの いえのまわりは、いろいろな においがします。かまどの たきぎの におい、とりごやや うしごやの におい」……そう、この本もまた他の多くの優れた絵本と同じく、においを感じさせるのです。
展覧会の会場には、数人の絵本画家のインタビュービデオが放映されていました。太田さんはこの絵本の制作動機について、「ぼくたちの子供時代はこんなによかったんだよ、ということを今の子ども達に知らせてあげたかった」と話していました。それを聞いてぼくはこんなことを考えました。
「あのころはよかった」その言葉がノスタルジーに終わらず、未来に生かすために、ぼくたちは何をしたらいいのだろう? 子どもに自然が必要なことは、ぼくも自分の子ども達を見ていてよくわかります。いや、大人であるぼくも必要としています。大切なはずのものを、人はどうして手放していくのだろう? 多くの絵本には、自然の植物や動物がたくさん出てきます。でもそれが現実とは縁のない、かけ離れた世界、あるいは子供時代だけの、やがては卒業すべき世界として終わってしまうのは残念です。ミヒャエル・エンデは生前、ファンタジーについてこの問いを、真剣に投げかけていました。
『だいちゃんとうみ』のような絵本を見ることは、自然の大切さを考えるための、押しつけがましくないすばらしいやり方なのではないかと、ぼくは思います。その点で、まず大人が読むといいかも知れません。この話と全く同じではなくても、自分の子供時代と重なる部分を見出すはずです。大人が、自然とふれあった自分の子供時代を思い出せば、その価値を再認識して、子どもたちに本物の自然を体験させたくなるのではないでしょうか。
原画展ではメインの絵しか展示されていませんでしたが、絵本にはちょっとしたデザイン処理がしてあります。文章が載っている白地のスペースに、その画面の内容に関わるものが必ず描かれているのです。みそ漬けとたくわんを入れる「てぼ」という入れ物、「みな」という貝、竹でつくった「杉鉄砲」など。それらが図版のような正確さで描かれているので、読者の理解の助けになります。
最後に。この絵本でも、原画の持つ微妙な色合いが、印刷では表現し切れていないことを感じました。もちろん、そのことで作品の価値が減じるものではありませんが。もし絵本原画展がお近くで開かれたら、どんな作品でも結構です、みなさんもぜひ原画をご覧になることをお薦めします。
9/5/2002
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