第17回

『1000の風、1000のチェロ』 いせ ひでこ/作(偕成社)
 

 
 
画家・童話作家のいせひでこさんは、これまでにいくつもの傑作を生みだし、産経児童出版文化賞美術賞、絵本にっぽん賞、野間児童文芸新人賞など数々の重要な賞を受賞しています。なのにぼくがこの人の存在と名前を知るようになったのは、今回取り上げる絵本を見てからです。相変わらずの勉強不足で、まったく情けない。
 図書館でたまたまこの本を手に取ったのは、ガブリエル・バンサンを思わせる完璧なデッサン力と色彩 をもつ絵に惹かれたから(ぼく好みの絵)。でも、読み始めて、あっという間に話に引き込まれました。1998年に行われた阪神淡路大震災復興支援チャリティー「1000人のチェロ・コンサート」という実際の出来事を題材につくられています。作者自身13歳の時からチェロを弾いているそうですが、実際にやっている人でなければこんな表現は不可能だろうと思える箇所が、文章にも絵にも、随所に見いだされます。

 主人公の少年が通うチェロ教室に同じような年頃の少女が入ってきます。神戸から引っ越してきた子でした。二人は教室のあと公園で話をしたり、一緒にチェロを演奏したあと、偶然大通 りで大震災復興支援チェロ・コンサートの練習をする人たちに出会い、参加します。練習の帰り、参加者の一人であるおじいさんから大震災の話を聞きます(このページで作者は、瓦礫が広がる被災地の写 真をコラージュ手法で用いており、光景の異質さ・悲惨さを際だたせています)。
 それから少年はコンサートの話をまわりの人たちに伝え、少女やおじいさんたちと一緒に練習を重ねていきます。参加者はどんどん増え、季節は巡り、ついに迎えたコンサートの日。1000人以上の人たちが全国、全世界から集まりました。舞台を埋めた1000のチェロは、様々な音色を響かせ、やがてひとつの心になっていくのを、少年は今はっきりと感じます。

 1995年の阪神淡路大震災、あるいは昨年のニューヨークでの9.11テロ。それらは、ニュースとして聞いた者でさえ言葉を失うほどの惨事でした。まして直接体験した人たちにとってその衝撃は、個人の力ではとても太刀打ちできないほど大きく、深く、重いものであるはずです。立ち直るには、多くの仲間と長い年月が必要でしょう。あれは何だったのか……。その問いに多くの人たちが様々なやり方で向かい合い、今もなお苦闘しています。この絵本は、作者のいせひでこさんが、不条理でしかないあの事件を、自分に関わることとして真摯に受け止め、チェロという楽器を媒介にして乗り越えようとした、心揺さぶる鎮魂歌であると言えます。
 本のタイトル、「千の〜」ではなく「1000の〜」です。一つ一つが数えられているという確かさが感じられます。また「風」という言葉が「チェロ」よりも先にきています。きっとそこに作者は、悲しみの内にある人たちに顔を上げさせ、そこにとどまらず前へと進ませる力の意味を込めたかったのではなかったか、とぼくは想像しています。
 色彩がすばらしい。チェロの音色が聞こえてくるような柔らかさ、無駄のない確かな鉛筆の線に、時に寄り添い、時に離れ、交差し、遊び、踊る色。いい絵はこんなものなんだ。線と色がそれぞれ自立しつつハーモニーを奏でて、一つの絵を構成しているのです。そして、コンサートのシーンにおける演奏者たちの存在感。余白を生かしながら、1000人はいると思わせる映像を描ききってしまう力量 。演奏者たちは画面にいるだけでなく、チェロを弾いているのです。エリック・カールとは違った絵柄で、音楽が聞こえてきます。
 そしてため息。ああ、こんな絵本が作れたらなあ(英語で言うと、I wish I could 〜で、実現不可能な願望を表す)。

 個人的な話ですが、2000年の春、山形市で行われた絵本翻訳コンクールの授賞式に、神戸から若い夫婦が来ていました。大震災のことを尋ねたら、「みんな忘れかけているのに、覚えていてくださり、ありがとうございます」と感謝されました。そんな……。誰も忘れはしませんよ。
 その年の秋に、この絵本は刊行されました。

                                   6/13/2002 

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