第14回
『みどりの船』 クエンティン・ブレイク/作、千葉茂樹/訳(あかね書房)
http://www.akaneshobo.co.jp/find/tosyo/fnihontosekai.html
クェンティン・ブレイクはつい最近、僕の好きな絵本作家ベスト3の一人に加わりました(他の2人は、すでにこのコーナーで紹介済みのフェリクス・ホフマンとエリック・カールです)。特にここ1年ほど、この人の作品をあれこれ見るたびに、そのすばらしさに圧倒されています。この人の作品からもまた「こんなふうに描けてしまうのか」という驚きを感じます。その線と色の性格を言葉で表せば、自由・ユーモア・洗練となるでしょう。同じような傾向の作家にはジェームズ・スティーブンスンやフランスのサンペなど何人かいます。サンペについてはまた別
の機会に。あ、ウィリアム・スタイグもいいな。
これらの作家の共通性は、cartoon文化の軽みを持っていることです。軽みの文化はなかなか認知されない、と昔からよく言われています。どうしても重厚長大なものの方が優れていると思ってしまう。軽みを本当に理解するには、鑑賞する側にそれ相当のセンスが必要になるのです。この即興の色や線がそう簡単に描けるものでないことは、実際に描いてみるとよくわかります。洗練されたシンプリシティー。
ブレイクさんはロアルド・ダールの挿し絵で特に有名ですが、それもまた別
の機会に。ここではお話も絵も自分で作った絵本を紹介します。
主人公は兄弟らしき少年と少女。二人は夏休みを田舎のおばさんの家で過ごすのですが、ある日もぐり込んだ隣のお屋敷の庭で、大きな船をかたどった植え込みを見つけました。煙突もマストもあります。操舵室のような小屋もあります。そこで遊んでいると、「船長」のトリディーガさんという女性(お屋敷の主人)と、「水夫長」の庭師に出会います。少年と少女はそれから毎日ここにやってきて、トリディーガさんたちと一緒に船で「航海」するのです。イタリアの遺跡、エジプト、北極、赤道……。最後の日は嵐でした。トリディーガさんは舵を握り、嵐の中を進みます。2見開きにわたって描かれる嵐の描写
のすばらしさ。二人はいつの間にか眠り、目が覚めるとさわやかな日の光が差し込んでいました。船長はツタのいかりを降ろして、航海は終わります。
それから毎年、少年と少女はここにやって来るのですが、トリディーガさんたちは次第に年老いていき、船の木も伸び放題になって、いつしかそれが船であったことが誰にもわからなくなってしまうほどに変わり果てます。でもこの少年と少女の記憶にはすてきな冒険として、船の思い出がいつまでも残るのです。
森の向こうにある異次元の世界。子供のころ誰もが遊んでいた空想の世界が、ペンと水彩
で生き生きと表現されています。何気ない曲線で表された木々の葉っぱ。決して一様ではない森の緑。これはきっとWinsor & Newtonの水彩絵の具で描いているんだろうな、とぼくは一つ一つの色を確かめながら見てしまいます。空にピンクや黄色、紫を配する大胆な色使い。余白もまた夏の明るさや暑さを表しています。
ぼくはこれを読んで、「となりのトトロ」を思い浮かべてしまいました。風土も文化もまるで違うし、話そのものも全然違うのに。その一番の理由は、夏の夕暮れのけだるさが見事に表されていることです。でも他にも多くの共通
点があります。内容的には、読者の郷愁を誘う、かけがえのない子供時代の夏を切り取ってみせていること。そして、森という舞台。トトロも森の中で展開するお話です。森は人を日常から引き離す力があります。この絵本には、トトロのような異次元の生き物は出てきませんが、その分、子供の想像力という一点に物語のリアリティーがかかっています。そして、忘れてならないのは、そこに子供の想像を助ける形で大人が存在しているということ。そういう世界を持たなくなった大人なんてやっぱりつまらないし、子供の想像の世界にこうした大人がいてくれるのは、大切なことなのです。五月とメイのお父さんみたいに。
本書と同じくあかね書房から出ている同じ作者の「ピエロくん」という、絵だけで展開する絵本もすてきな作品です。これもぜひ図書館でごらんになってください。
5/14/2001
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