第11回 

『キャベツくん』 長 新太/作、(文研出版)
     

 
絵本といったら、長新太さんをあげないわけにはいかないでしょう。この人の作品は、ピカソと同じくらい一般 の人には理解しがたい。絵は「オレだって描けそうじゃないか」って思わせるし、話の内容がまたよくわかりません。絵のデッサン力だの、話のテーマだの、絵本の教育性だのにとらわれてしまうと、何だこれ、と言ってほんの一瞥を与えるだけで、放っておくに違いありません。それくらい大人の「常識」が揺さぶられる絵本です。
 ところが、この人の本を子供に読んで聞かせると、反応が全然違うのですよ。今回取り上げる『キャベツくん』がいい例です。 僕は自分の子供でそのことを体験し、驚いてしまいました。それはもう理屈抜きで楽しいらしくて、子供はすごくよく笑うのです。

 どこか広い野原のようなところを歩いているキャベツくん(頭がキャベツになっていて、つなぎを着ている)が、豚のブタヤマさんと会います。ブタヤマさんはおなかがすいているので、キャベツくんを食べると言います。キャベツくんが「ぼくを食べるとキャベツになるよ」と応えると、空にキャベツになったブタヤマさんが浮かんでいるのです。そこからあとは、「へびが君を食べたら?」「タヌキが食べたら?」 という質問をブタヤマさんがするたびに、空に次々とキャベツになった動物達が浮かんでくるのです。単にそれが繰り返されるだけでなく、ちょっとした変化も付けます。「ノミがきみを食べたら?」……ページをめくっても見えない。ノミだから見えない、というのです。そしてクライマックスには、キャベツになった大きなクジラがどーんと出てくる。2見開きも浮かび続ける迫力。この見事な展開。最後に、キャベツくんが「むこうにおいしいレストランがあるから、なにかごちそうしてあげるよ」と誘ってあげるところで、お話は終わります。
 同じ事の反復は、幼児向け絵本の基本です。これが子どもたちにはこの上なく面 白い。「かえるさんがきみをたべたらどうなる?」などというブタヤマさんの質問と一緒に、子どもたちも「さあ、どうなるんだろう」と期待します。そしてページをめくったときの驚き。僕たちはブタヤマさんと一緒に「ブキャ!」と驚いて、笑うのです。大人がまじめくさって一人で読んでいても、ちっとも面 白くありません。子供と一緒に声に出して読むと、言葉も絵も、命を持って現れてくるのです。
 作者によれば、空に浮かぶ雲がいろんな形に見える、そういう楽しみを絵本にしたのだそうです。そういえば、ここに出てくる風景はどこまでも広がる地平線。お話は、ブタヤマさんの空腹がモチーフになっているし、風が「フー」と吹く様子とか、草の匂い、キャベツの匂いといった、のどかで感覚的な表現が随所に出てきます。五感を使って、ゆったりと想像の世界で遊ぶ本なのです。
 
 それにしても長新太さんの絵は、僕にとっては謎です。青と黄緑と黄色を基調とした色使いは、一歩間違えば病的なものになってしまいます。筆遣いも、技巧を凝らしたところはどこにもない(と思わせるところが実はプロなのでしょう)。
僕のような凡人は勇気もセンスもないから、こんなふうに大胆には描けないのです。一見幼児が描いたような線と色を保ち続けるのは、こせこせした「上達」を拒否し続ける、天才的な技なのだと思うのです。だいたいキャベツくんなんて、ちょっと考えられないくらいユニークなキャラクターです。なぜキャベツくんなのか? いくら考えてもよくわからない。五味太郎さんがある本の中で言ってますが、長新太さんの場合は、何も理由がなくても読者が納得してしまうような迫力があります。そして、今流行のいわゆるキャラクターとはかけ離れた造形。どこまでも孤高。
 先月(2月)行われた松居直さんの講演で、こんなエピソードが披露されました。月刊『こどものとも』で長新太さんの絵本がデビューたとき、児童文学者の瀬田貞二さんは「これで日本にも国際的なイラストレーターが現れたね」と言ったのだそうです。
   


                                      3/29/2001 

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