第3回 

『うたがみえるきこえるよ』エリック・カール作 偕成社

 前回のフェリクス・ホフマンとは全く対照的な、そしてホフマンと並んでぼくの大好きな絵本作家のエリック・カール。理屈抜きに惹かれてしまう絵本作家として、僕の中ではこの二人が双璧をなしています。
 この人の作品はあまりにも多くて、しかもどれもポピュラーで、その中から1冊を選ぶというのは至難の業です。『はらぺこあおむし』のことも書きたいけど、いろんな所で十分に言い尽くされているに違いない。子供も大人もとっくに知ってるものを、何で今さら。
で、迷いに迷ってとりあげるのが、『うたがみえるきこえるよ』です。これまた説明するのも気が引けるくらいよく知られた作品ですが……。色の魔術師としてのカールさんの真骨頂という気がします。
 第1回目で取り上げた『木のうた』と同じく、これも言葉が全くない絵本です。厳密に言うと、始めにほんの少しだけ出てきますが、これはなくてもいいような気がする。黒1色の幕(のようなページ)から黒1色のバイオリニストが舞台に登場。演奏が始まると、弓先から少しずつシャボン玉 のように、音色(文字通り、それは音です)が現れてきます。やがて様々な色と形に変化していきます。バイオリンの音がほんとうに聞こえてきそうです。これは喜びかな、これは悲しみかな、と想像しながらページをめくります。あるところでは空を駆けるように、またあるところでは深い海の底を潜るように色が踊ります。この演奏はソロなんだろうか。もしかすると、オーケストラがバックにいるのかもしれない、なんて思ったりもする。そしてクライマックスでは画面 いっぱいに色の花が爆発、躍動。やがて演奏が終わって舞台から降りる時には、バイオリニストも幕(のようなページ)もすっかり虹色に染まっているのです。

 今年の4月初め、川崎までわが家の二人の子ども達と一緒に、エリック・カール展を見に行きました。会場には、カール絵本の源泉とも言えるパターン紙と、カールさんの製作手法を解説したパネルが展示されていました。カール・マジックの種明かしというところです。壁にいくつも並ぶパターン紙は、それだけでテキスタイルやインテリアに使えそうな美しい色と模様ばかりで、いつまでも見飽きることがありませんでした。この色のコンビネーションは色彩 感覚がよほど豊かでないと作り出すことはできません。40×50cm あるいはその倍の大きさの薄い紙(英語でTissue paper と言ってますが、いわゆるティッシュペーパーとは別物)に様々な手法で色のパターンを描き、それを切り貼りして絵を作り上げていきます。最後に色鉛筆や絵の具でもう一度仕上げの線を描き加えます。
 できあがった原画と印刷された本を見比べると、やはりここでもプロセスインクの限界が見えてきます。原画の色のすばらしさは他にたとえようもありません。
 こんな風に絵本の作り方を紹介しているのですが、面白いのは、どんなに種明かしをしても、カールさんのオリジナリティーが盗まれることは絶対にない、ということです。それは結局、あの絵本のいちばん中心にある色合いや形は、カールさんの手からしか生まれないからです。会場には動物のスケッチも展示されていましたが、それを見ると、確かなデッサン力が彼の作品の質を支えていることがわかります。日本人の作家でもパターン紙の切り貼りという手法を使って絵本を作っている人がいますが、それを見た人はまず一瞬、エリック・カールかな、と思うに違いありません。でも、どこか違う。彼を超えることはできません。それくらいこの表現手段は彼独自のものになっています。
 一方、美術教育の観点から言うと、子どもたちにこの手法を教えることの意義ははかりしれないでしょう。子どもたちはこのやり方で、ほんとうに楽しく絵を作ることが経験できます。美術活動の楽しさを体全体で味わえる。今年来日したカールさんに会えなかったのが残念ですが、いかにも子ども好きというすてきな顔と生命力あふれた作品を見ると、この人から美術の楽しさを教わって自分も絵本を作ろうと志す子どもたちがこれからもどんどん出てくるのだろうな、と思い、ぼくもうれしくなります。
 こういう、鮮やかで伸びやかで、生き生きとした絵を見ると、ぼくはいったい何に縛られているんだろうって思ってしまいます。まだまだ自由じゃない。もっと自由にならなきゃ。色も線も言葉も。

12/14/2000

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