第1回
『木のうた』イエラ・マリ作 ほるぷ出版
10年以上前になると思いますが、ソニーのすてきなテレビコマーシャルがありました。イエラ・マリというイタリアのグラフィック・アーティストが作った絵本『木のうた』を用いたものです。最後にIt's
a Sony. というおなじみの文句で終わります。
この絵本はすでに持っていたのですが、その使われ方がすばらしく、ああ、こんな見せ方があるのだと思いました。ぼくには忘れられないCMです。絵本にかぎらず、文学であれ映画であれ、ある作品が別
のメディアに移されるとき、オリジナルの良さが保たれることはまれで、むしろ損なわれてしまうことの方が多いようですが、このCMは、数少ない成功例の一つといえるかもしれません。
原題はただの「木」。画面の中央やや右寄りに一本の大きな木があり、その木を中心とした四季の移り変わりが、同じアングルから描かれます。1匹のリスと鳥の家族が登場し、これらの生き物もまた自然の摂理に従って生きている様子が描かれます。言葉はいっさいありません。でも一つ一つの絵
が多くを語っている。読者は16の画面の中に自然の営み・時の流れをゆったりと味わい、見終わるとまた最初のページに戻りたくなるはずです。絵は、リアリズムではなく、線も色もヴィジュアル的に洗練された描き方になっています。
CMは、この優れた絵本の良さを十分に引き出すように、特別
な加工は施さず、見開きの画面を一つずつ見せていくだけなのですが、まるで上質なアニメーションを見るような印象を与えます。バックにサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」
が流れ、これがまた画面の雰囲気と見事に調和していました。僕がS&Gのファンであることも、このCMへの愛着の一因になっているのかもしれません。この本を読む時は、ぜひこの曲を聴きながらお読みください。
イエラ・マリさんのもう一つの作品『あかいふうせん』(ほるぷ出版)もまた見事なグラフィック作品で、その造形的連想には目を見張らせるものがあります。赤のベタと黒の線だけを使って、子供の噛んでいた赤いガムが、ページをめくるごとに、風船、リンゴ、チョウチョ、花、傘、と形を変えていくのです。ぼくはこういう「イメージの連想」という発想が大好きです。
今でこそ、様々なグラフィック的試みの絵本がたくさん出ていますが、グラフィックデザイナー的発想と手法の絵本は70年代ではまだ珍しかったはずです。この人の絵本が今でも古びた感じを少しも与えないのは、物事の本質をとらえているからでしょう。
あっと驚かせるのだけれど、奇をてらってはいない。しかも大胆で鮮やかな色使い・洗練された造形には、デザイン王国イタリアの伝統が息づいているのを感じることができます。また、著者紹介には「芸術的に高い水準を保ちながら、科学性をも失わない知識絵本」と書かれていて、それは、いずれ取り上げたいのですが、ブルーノ・ムナーリという同じくイタリアの造形家と共通
する点でもあります。さすがレオナルド・ダ・ヴィンチの国です。
この人は寡作家のようで、他に日本で出ているのはぼくの知るところ『にわとりとたまご』『りんごとちょう』『まあるいまあるい』の3冊です(いずれもほるぷ出版)。
今の時代はテレビやコンピュータゲームの影響でしょうか、どういうことでも、とにかく表面 上やたら元気であることばかりが求められています。子どもたちも刺激ばかりを求める。一方ではその反動で、癒し系という言葉でくくられる、底の浅い精神性がもてはやされたりする。そういう趨勢の中で、このような静かで地味な作品はあまり一般
受けはしないかもしれません。でも、絵本という手段だからこそ、この種の深い静けさを養うことが可能なのであり、そこに絵本の重要な役割があると思います。こういう本を読むには、私たちもまたそれなりの心の準備をして、じっくりと対話をしなければいけないのです。それによって私たちの精神も感性も鍛えられます。
12/12/2000
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