第40回
『「書く」ということ』
石川九楊/著 文春新書、2002、\660+税
グラフィックデザインと書は深い関係がありますから、ぼくは書について勉強したいと思っているし、五十の手習いもやってみたいと本気で思っています。石川九楊氏が書家であることは知っていたけれど、ぼくは作品を見たことも著作を読んだこともありませんでした。先日たまたま図書館でこの人の『書字ノススメ』(1995、新潮社)という本を見つけ、そのラディカルな内容に驚嘆して、二冊目を読んでみることにしました。
どちらの本も書道の案内書ではなく、「文字を書く」という行為を通して見る文明評論です。文化人類学的見地から現代文明を徹底的に批判的していて、ワープロやインターネットなども一刀両断。ぼく自身、絵にしても文字にしても手書きの大切さを痛感し、また実践していきたいと日頃から考えているので、その主張にはうなずけるところが多い。しかし正直なところ、ここまで過激にはなれません。今ぼくがキーボードのタイピングでこの原稿を書き、インターネット上で本書を紹介をしている行為は、著者にしてみれば、論旨に賛同していないと言うことになるでしょう。確かに現代の社会構造にもさまざまな歪みはあるるし、精神活動がITシステムにやすやすと組み込まれてしまうのは愚かです。その点ではぼくは著者と同意見なのですが、しかし現実にはこれを全く拒否することも不可能ではないでしょうか。批判精神を持ちつつ、どこかで妥協点を見出してやっていくというのが、わたしたちの日常生活だと思うのです。そのポイントが人によって異なるわけですね。
話し言葉を中心とする西洋文化に対し、書き言葉を基盤に発達してきた東アジア文化の価値を、著者は力強く訴えます。「書」という視点から、一般の人たちが気づかない、あるいはつい見過ごしている文化の本質を浮き彫りにします。ただ、論拠の示し方や論の進め方に恣意や強引さが感じられる箇所も少なからず(たとえば、北朝鮮がマルクス主義を成功させている国だなんて、いったいどういう意味なんだろう?)。
全面的に賛成はしないが、おおいに刺激的な内容。この本で「書く」行為の積極的意義を再認識することができました。書についての著作としては『一日一書』シリーズ(二玄社)が面白そう。
12/3/2004
「言葉ですよ」のトップへもどる |