第39回
『日本一の昆虫屋』
志賀卯助/著 文春文庫PLUS、2004、\590+税
青山通りにある志賀昆虫普及社はぼくたち家族もときどき利用しています。捕虫網、展翅板、三角ケース、などなど、昆虫に関する道具は何でもそろっています。このお店の創業者、志賀卯助(うすけ)さんは現在何と101歳で健在とのこと。この本は93歳の時に出した自伝の文庫版。巻頭に美しい蝶の写真が載っています。
志賀さんは大正時代に17歳で昆虫標本店に奉公に入って以来、昆虫一筋の道を歩んできました。しかしその歩みは、今の私たちにはとても想像できないような苦難の連続でした。昆虫採集は当時、富裕な華族の趣味でしかなく、社会的にはほとんど認知されていませんでした。一般には文字どおり「虫けらの商売」と軽蔑されていたのです。そんな状況でもあきらめることなく昆虫について勉強し、あちこち採集に行き、普及のために身を捧げることができたのは、ひたすら虫が好きだったからというのですが、その打ち込み方は尋常ではありません。今のような道具も図鑑も整っていなくて、勉強に専念する機会を十分に与えられない中、困難にめげることなく探求し続ける姿勢は、読んでいてただただ感嘆・感動するばかりです。よくここまでできたものだと思います。
逆境が志賀さんを鍛えてきたと言えるかも知れませんが、人間、単に逆境にあればたくましくなるわけではないでしょう。志賀さんは「奉公がつらくて嫌になることがあっても、くたびれて早く寝たいと思っていても、昆虫を前にすると、不思議と私は元気が出てきたのです。」と言っていますが、そういう喜びと希望が常に日々の生活の中にあったから、ここまで来られたのだと思います。もちろん、人並みはずれたねばり強さや探求心といった希有な素質も大きな要因ですが。こういう人を見ると、人の育つ「いい環境」とは何を指すのか、そう単純に定義できるものではないことがわかります。
それにしても、この本は改めて昆虫の楽しさを教えてくれます。ぼくはとてもマニアとは呼べないずぶの素人ですが、読んでいて「いやー、やっぱり昆虫は面白いですね!」と言いたくなる。気持ちが沈んでいるときに昆虫が喜びを与えてくれるのは、ぼく自身いつも経験していることです。考えてみればぼくたちは志賀さんの財産によって、昆虫の楽しみを豊かに享受できているのです。
11/24/2004
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