第34回
『ねがいは「普通」』 佐藤忠良・安野光雅/著 文化出版局、2002、\1500+税
ブックオフで見つけた、数少ない掘り出し物の一冊。ぼくが尊敬する芸術家二人の対談なら、面白くないわけがない。これを読んで過ごす時間は、長田弘さんの著作を読むのと同じくらい至福の時と言っていい。彫刻、絵画、芸術をめぐる肩肘の張らない対談。しかしどこを切っても、創造への確かな目や姿勢が読む者に伝わる。豊かで、時に厳しい対談だ。
タイトルの由来になっていると推測される安野先生の言葉がある。「このごろの絵や彫刻やすべて、いわば表現と呼ばれているもの全部がそうなんだけれど、私はね、普通にやればいいのになあといつも思っているんです。表現する以上、誰よりも目立つことをしなきゃいけないと考えがちなんだろうなあ。」ここで言われている「普通」は、感覚や技術の相当に高いレベルで獲得している「普通」なのだと思う。本物だからこそ、奇をてらう必要がないのだ。
こういう言葉のひとつひとつにぼくは深くうなずき、同時に自分の現実を見て、そのへだたりにため息が出てしまう。でも、そのことは気にしないでおこう。距離を縮めるほどの才能はないけれど、少なくとも正しい方向だけは与えられているのだから、安心していい。
別の箇所には佐藤先生のこんな言葉。「気品のないもの、隣人へのいたわりのないものから本物の芸術は生まれてこない。芸術だけではないのですが。」芸術に対する考え方は人さまざまかも知れないけれど、最近めったに聞かれなくなったこういう言葉は、ほんとにうれしい。
芸術に関する話はいつも生き方の話になる。
7/19/2003
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