第12回
『日本人の発想、日本語の表現』森田良行/著、中公新書、1998、\700+税
副題が『「私」の立場が言葉を決める』となっている。この本から得た新発見は、日本語が話者自身を指す「私」の視点で、まわりの事物や人物をとらえる構造である、ということだ。内なる世界である己と、己の目を通
してとらえられる外なる世界である世の中。従って日本語では「社会」の一員として自分を客観視することができない。そのことが対人意識や世界観にまで影響を及ぼす。例えば、部分から一つ一つ論理を組み立てて全体の体系を創造することが苦手で、あらかじめ結論や結末のわかっている全体像が描かれていないと、話ができないという日本人の弱点。これは、日本語の構造から来ている。著者は決してそれが必ずしも悪いと言っているわけではない。しかし、閉ざされた日本語の世界だけでは、外国人を相手にするときに予想外の苦労を背負うことになるだろう。実際に日本人は、いつも世界で孤立している。
何が一番欠けているか。コミュニケーションの視点だ。主観の言語だから、ほんとうの意味での対話がない。対話による論理の展開がない。日本人が言葉のことを問題にする時は、こと細かな言い回しの正誤ばかりを気にする。その際必ず出てくるのが敬語。しかし敬語に関心を持つことは、対人関係への配慮ではあってもコミュニケーションではない。自分の考えや気持ちを正しく伝えること、相手の考えや気持ちを正しく理解すること、そして、正しく考えること――その観点から日本語を問い直すことが大切なのではないか。そうすることが日本語そのものをも成長させるはずだと、ぼくは思う。
この本とは別の視点から日本語を論じたものとして、最近話題の『漢字と日本人』(高島俊男著、文春新書)も面 白い。日本語が千数百年前に中国から漢字を取り入れたことで、畸形(きけい)の原語になっていったいきさつと問題点を説いている。日本人の精神や思考の歴史を知らされたようで、ああ、そうなのか、と納得しつつ、ため息。
4/26/2002
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