ドイツ紀行・その10


【ダッハウ強制収容所】(99.09.14)

●強制収容所と言えばアウシュビッツが有名ですが、それ以外にも収容所はたくさんありました。ダッハウの収容所は1933年に建てられたドイツ最初の強制収容所だそうです。いまは犠牲者への追悼記念館兼資料館となっています(入場無料)。


入口付近の監視塔。この内側の芝生地帯に足を踏み入れた者は直ちに射殺されました。


入口から少し中に入ったところ。非常に広大な敷地です。

●上の写真は、現博物館方面からカトリック礼拝堂(1960年建造)を臨んだところ。真ん中の道は収容所の中央を貫き、その両側にはバラックが延々と並んで建てられていました(現在は土台が残っているだけ)。ナチスドイツがヨーロッパで急速に領土を拡張していた頃、1バラックに何と1,600名も収容されていたそうです。ちなみにこのポプラ並木は被収容者自身の手で植えられたそうです。

●旧管理部(現博物館)を正面から見たところ。博物館には多数の写真や資料が展示されています。博物館の前には(見えにくいですが)国際慰霊碑があります。博物館の資料によれば、1933年から1945年の間に20万6,000人のユダヤ人、政治犯、聖職者などが収容され、わかっているだけで31,591人がここで死亡した(もちろん殺された者も含む)そうです。また、収容所の外にある「射撃場」では、約6,000名のロシア人戦争捕虜が射殺されたそうです。

●上の写真は火葬場です。中にはガス室もありますが、ここでは使用されなかったそうです。あまり時間がなかったので、我々はそそくさと収容所をあとにしました。

●博物館の展示は広島の原爆資料館とは違い、見るも無惨な模型とか悲惨な写真はあまりありませんでした。実際、ダッハウはアウシュビッツほどひどい所ではなかったらしいです。しかし、ここで拷問、射殺、人体実験を含む蛮行が行われたことは事実であり、「なぜ、こんなにきれいな街でこんなことが・・・」と重苦しい気持ちにさせられます。

●これで、観光はすべて終わり。最後の夜は姉と再び合流しました。というか、姉がミュンヘンでホームステイしていた時のホストファミリー(Brunnerさん一家)に招待され、一緒に夕食をごちそうになったのです。快く迎えてくれ、私以外の人は会話も弾み(をいをい)、楽しい時を過ごしました。ちなみに姉はその後もBrunnerさん宅にお世話になり、全部で2週間ほどドイツに滞在しました。

●翌日(15日)は朝ミュンヘンの空港に行き、国内線でミュンヘンからフランクフルトへ飛び、フランクフルトで伊藤君と別れました。そして成田への直行便に乗り換えました。私は仕事があるため1週間しか滞在できませんでしたが、この1週間で3年分くらいの貴重な経験をしました。今の生活にあぐらをかいていてはダメで、もっとアグレッシブに生きなければいけないな、ということも悟りました(そのくらい日本でも悟れるか)。私は第二外国語がフランス語だったのですが、すっかりドイツが気に入ってしまったので、今度は少しドイツ語を勉強して、またドイツに行きたいと思いました。

●さて、長いことおつきあいいただきましてありがとうございました。感想などメールでいただければ幸いです。それでは他のメニューもお楽しみ下さい(^^;。


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